哲学日記

迷いの酒(夢中の有無は有無ともに無なり)

興教大師全集 - 国立国会図書館デジタルコレクション

「障子文/480」より画像(一部)を引用させていただきます。

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夢裏むりの有無は

 

有無同じく無なり、

 

迷中の是非は

 

是非ともに非なり


(興教大師 障子文 一部書き下し)

 






我有妄想者の見識は、それが感服称賛しない者なき正論であっても、必ず悪しき結果に帰着する。

「心の迷いの酒に酔い、いまださめやらない状態がずっと続いている」からだ。

 

 

心の迷いの酒(我有妄想) とはなにか。

 

「人は死ぬ」と言うと
「そんなことは常識だ。誰でも知っている」と笑う。

同じ人が、輪廻転生を信じると言う。

その心は、(死んでも、また戻ってこれるから安心)ということで、結局
「人は死ぬが、自分だけは死なない」
と思って生きている。

 

これが心の迷いの酒(我有妄想)だ。

 

 

 

 

 

 
…仏のお誓いを疑うはてしない心の迷いの酒に酔っている人にますます酒をすすめ、貪り、怒り、愚痴の三つの毒を久しく好んで食べてきた人にますます毒を食べることをゆるして、それを好きになるように、と言いあっているようで、憐れなことであります。
わたしたちはいずれも、心の迷いの酒に酔っていることを悲しみつつも、この三つの毒を好んで食べていますから、まだ一度もその毒の消えきったことはありませんし、心の迷いの酒の酔いもいまだにさめやらない状態にあるのです。

よくよくこのことをご納得になってください。

(親鸞 末燈抄19石田瑞麿現代語訳 より。 強調は私です)



心の迷いの酒に酔い、

さめやらない状態が

今この時も、続いているのです。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)  

 

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(過去記事統合増補編集再録)

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