仏教講義 3「阿含経の教え 1−11」(「仏教哲学の世界観」第6シリーズ)
より引用させていただきます。
私の心はいつもおびえています。未来のことに対しても、今現在の状態に対しても、おびえずに生きるにはどうしたらよいでしょう。
という切実で正直な問いに対して、ブッダが
一切のごまかしを排した、ありのままの真理
で答えます。
佐々木閑の仏教講義 3「阿含経の教え 1−11」(「仏教哲学の世界観」第6シリーズ)
このブッダの教えについて書いた過去記事に少し加筆して、コピペしておきます。
事実は、
恐ろしく厳しいものなわけです。
選択の余地などない。
これは事実だから、絶対変えようがない。
不治の病が奇跡的に治癒しても真の治癒ではない。社会に適応して大富豪になっても真の適応ではない。
人間は誰でも結局死ぬから、このような治癒、適応は空しい。
けっして揺らぐことのない心の平安を得ることが、
真の治癒・真の適応だ。
さとりに至る実践の修養
をやるしかない。
今逃げても、繰り返される苦しみに厭きて、
結局やることになる。
やらないという選択肢は無いってことだ。
失敗したらどうしようと悩むなんて意味ない。
だって、やるしかないんだから。
人生に迷いの余地はまったく無い。
じゃあ、今すぐ始めて
少しでも早く始末をつけるのが
一番カシコってことだ。
考え方を
ちょっと変えてみたらいいだけだ。
人生に迷いの余地まったく無しってことは、
この上ない幸福のはずでしょう。
安心のはずでしょう。
でも大多数の人たち(含自分)はそれをちょっとも喜ばず、
先延ばしにして逃げまわっている。
先延ばしにしてちゃいかんです。
そんなこと頑張ってどうするよ。
おれは…分かっちゃいるけどやめられない…
って、
こんなことばっか言ってちゃ、
ほんといかんです。
甚だしい徒労。
人は昔から、いろんな「幸福になる方法」
を発明して、
あらゆる誤魔化しをやって、
この
選択肢無しの事実
だけは見ないように頑張っている。
ことごとく徒労、無駄な努力。
心は常にあわてふためき怯えている。
「小さな幸せ」「つかの間の安らぎ」…
そんなものも本当はない。
そんなもの本当にない。
(ホントの事実はウケないものだ。おれは事実をありのまま言う暴挙を、あえてしているので、少ない客がドンびきしていくのがなんとなく分かるが、言うしかない)
酔生夢死の人生でいいと思ったら、
その人間はもう、
この世の支配者に降参している。
白旗あげた人生だ。
それより、事実を潔く事実と認めれば、
そこから
思いもかけぬ新たな道が
開けるかもしれないのに、
それは怖くてできない。
一切誤魔化さず、堂々ときっぱり認めてしまえば、
べつに怖いことも
恐ろしいこともなく、
カラッと明るい気持ちに
なるかもしれないのに。
(My Favorite Songs)
イエス。
「ロンリー・ハート」