納屋の片づけをしたら、大昔読んだ本を詰めたダンボール出てきて、中にフロイトの「精神分析学入門」もあった。
暇だし、ちょっと拾い読みする。
フロイトは、世間が物忘れやしくじり行為に意味はないとみなしているのは間違いで実は意味がある、と主張してる。
おれは、フロイトの見識は認めるが、彼のいう物忘れやしくじり行為は業だとおもったほうがいい。
物忘れやしくじりを無くせば人生楽だが、どのみちたいした問題じゃない。
時には、それに愚痴くらいは言うが、そこで止めておくのだ。
なぜなら、人生にはタイムリミットがあり、当然やるべきこと、できることに優先順位があるからだ。
優先順位を間違うと、さあいよいよ死ぬというその時に「しまった!どうしてもっと前に気づかなかったのか…」と唇を噛むことになる。
(禅に聞け 澤木興道老師の言葉 櫛谷 宗則編)より引用させて頂きます。
イタチは夜目が見え、アザラシは水泳がうまいということは、業通(業の通力)なのであって、決してエライのでもなんでもない。世の中でエライと言うてもたいがいは業通でしかないので、頭がようて高文(高等文官試験)を通ったと言うても業通だ。──真実の人生を見つめたからでも何でもない。
…
頭がよい、悪い、器量がよい、悪い、──みんな業である。…
頭の悪い人間が、頭のよい人間に、言わされ、おさえつけられてしまうのも業であって、頭のよい人間が、頭の悪い人間より偉いというわけではない。ただ業である。
仏法はそんな業の話ではない。
(引用終。強調はわたしです)
業の問題は
深入りせず
放っておくべきだ、
とおれはおもう。
自分が有能だろうと無能だろうと気にするな。
器量が良かろうと悪かろうと気に病むな。
自分がカシコだろうとアホだろうと気にするな。
自分の性格が良かろうと悪かろうと気に病むな。
自他の性格を無理に変えようとしてタイムロスするな。
(My Favorite Songs)
[名曲和訳] You Are Not Alone - Michael Jackson - YouTube
(過去記事編集再録)