哲学日記

識は常に楽を求む「わたしと踊れば、あなたを愛そう」

 

 親鸞は教行信証で『大智度論』を引用して言ってる。

「真実の智慧に依る」とは、その智慧はよく善悪を比較し区別するが、
識別はただつねに楽しみを求めるだけで、

肝心の正しい道にはいっていかない
からである。

(石田瑞麿 現代語訳)

[原文]
「依智」とは、智はよく善悪を籌量し分別す。
識は常に楽を求む、正要に入らず

[以上。強調はわたしです]






ブッダは、繰り返し、教えてる。

 

識は無常にして苦である。

識を厭い離るれば貪りを離れる。

貪りを離るれば解脱する。


と。

 

なぜか。

 

 

 

 

 

識別はどんなに輝かしいものでも、

 

ただひたすらに
生きんとする
盲目の意志

 

の奴隷だ。

盲目の生きんとする意志は、識別が自分の奴隷である限り、ほんの気まぐれで、輝く美しさも、底なしの醜さも共に惜しみなく与える。

 

盲目の意志の奴婢である限り、彼(彼女)の識別を輝かせて、ノーベル賞をいくつも獲る知的巨人にもするし、世界一の大資産家にもするし、世界を征服する権力者にもするが、ただそれだけのことだ。

盲目の意志は、気前がいいわけではなく、そういう

些事

には全く無関心な主人なのだ。
盲目の生きんとする意志は「わたしと踊れば、あなたを愛そう」と常に誘惑してる。 

 

彼(彼女)は、100年経たず惨めに死ぬだけの、頭のいい獣に過ぎない。

さあいよいよ死ぬというその瞬間ときには、望むなら誰でも、それらが確かに些事だったと簡単に気づくことができる(盲目の意志は、今際の際いまわのきわ のあなたをすきにさせる、もう死ぬだけの物に興味ないから)

このタイミングで気づいても、完璧に手遅れだ。
















(My Favorite Songs)

「ダンス・ウィズ・ミー」

Dance With Me - Cover of Orleans - YouTube

www.youtube.com

 

(過去記事編集再録)

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サムライグローバル鉄の道
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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