木口屋 むらのたより

鹿児島県枕崎市美山町(木口屋集落)からふるさとのかおりを届けます。

臨時総会、花壇移設

2020-07-02 21:42:04 | 「村のたより」ほか
6月28日に集落の臨時総会が実施されました。
当初は、3月29日に予定されていましたが、公民館長の三島啓邦氏の急死と新型コロナウィルス禍により、大幅にずれてこに日になりました。

事前に総会資料が配布されていましたので、前年度の報告、収支報告、及び令和2年度予算案等が問題なく承認されました。

公民館の体制につきましては、1月の総会で公民館長は、三島啓邦氏になっていましたが、規定により主事·会計の原田豊氏が来年の総会まで代行となりました。
長く、木口屋を離れている方には、原田姓はなじみがないと思いますが、二宮長圓氏のところの克子氏の旦那さんです。
これから、皆さんと協力して木口屋を盛り上げていきます。

※総会の写真は、撮り忘れてしました。


総会終了後に子供会の花壇移設を行いました。
移設前は、市内と金山への分かれ道の水道ポンプの横にありましたが、場所が遠いのと水やりが大変(水道ポンプの横にあるのに蛇口がない)とのことで木口屋博幸氏宅の上にある畑に移設しました。
(木口屋の最初のT地路のところ)
梅雨の晴れ間に子供会、父兄、青年会等で楽しく移設しました。




































立派な、花壇ができました。






















金山小と山村留学

2006-11-19 12:58:11 | 「村のたより」ほか
金山小学校のPTA新聞
金山小学校の児童数は年々減ってきているようで、現在25人ほどか?。複式学級もあり、10年以内には平成版「二十四の瞳」ができそうだ。それともマイクロバスで桜山小学校に通うのか、桜山小金山分校となるのか、わかりません。 平成7年3月の金山小のPTA新聞「仙洞岡」では、減少する児童数への危機感から山村留学制度の活用を呼びかけています。しかしこの頃でも既に受け入れる「里親」が「里ババァ」になってしまっていたのでしょう。
  震災で疎開した勇希クン
同年の1月の阪神大震災で疎開した私の甥っ子ユウキくんも載っています。わずか3ヶ月ほどですが、キグッヂャから通学した最後の子供たちとなっています。
 金山小学校よりも深刻なのが我がキグッヂャ村です。高齢化が進みアチコチの畑が草ボウボウです。団塊世代(もっと若い人も)の皆さん!キグッヂャに戻って畑を耕しましょう。そして孫を預かり金山小に通わせましょう。


むらの遠足

2006-10-28 00:46:10 | 「村のたより」ほか
むかしは、集落も人口が多かった。50軒ほどの家にはどこにも爺・婆・両親・子供3、4人ほどいたから300人ほどいたのではないでしょうか。
それで毎年いろいろな行事が催されました。行楽地へもよく行ったものです。吹上町のさつま湖や加世田の新川、川辺の塘之池公園などに行った気がします。
30年ほど前には木口屋グランドができて運動会もやりました。(今でも爺さん・婆さん達が毎週ゲートボールしてます。)

写真は1965年のもの。私が4歳5ヶ月(左端の白帽子のかわいい子)。もちろん覚えていません。

※写真はクリックすると拡大します。
①

木口屋の紋章 Emblem of Kiguchiya Village

2006-10-08 00:09:53 | 「村のたより」ほか
昭和54年7月15日発行の「村のたより 第3号」に発表された我が集落の紋章です。永く忘れ去られてきましたが、国旗掲揚台の設置のおかげで復活の日も近そうです(お約束はできませんが)。ちなみにこの紋章のデザインは、桜山中学校で教鞭を執られていた美術の内先生によるものらしいです。
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