先日のマップを参考に数えると(大体合っていると思いますが)
②2人③3④1⑤1⑥1⑦2⑧1⑨3?⑪1⑬1⑭2⑮1⑯2⑰1⑱2⑲2⑳1
21→1,23→1,26→2,27→2,29→2,30→1,31→1,33→1,34.→1,35→1,36→2,37→2,38→2,39→1,41→2,42→2,43→1,47→2,48→2,50.→2,52(48の右下)→1
住宅戸数は約50戸、馬小屋も入れると80以上。現在居住者のいる戸数は37、人口は58人とでました。
(注)①静子さん1/8ご逝去⑥エミさん非常駐⑦俊明さん入院中、22→トミコさん埼玉へ?、25→チカさん去年11月頃ご逝去、28→トシさんが馬小屋を住宅に改修後大阪に戻ったため定司さんが別荘として管理、31→猫が12匹?、32→隆明さんの陶芸工房。居酒屋「だんざ屋」にも変身する、33→ツヤさんは養老施設、40→家屋の形跡がほぼ無くなってきた、45→おととし通山に一家移住。住建の資材置場等に使用
参考写真 木口屋の現況表(木口屋公民館) 3月5日 追加
②2人③3④1⑤1⑥1⑦2⑧1⑨3?⑪1⑬1⑭2⑮1⑯2⑰1⑱2⑲2⑳1
21→1,23→1,26→2,27→2,29→2,30→1,31→1,33→1,34.→1,35→1,36→2,37→2,38→2,39→1,41→2,42→2,43→1,47→2,48→2,50.→2,52(48の右下)→1
住宅戸数は約50戸、馬小屋も入れると80以上。現在居住者のいる戸数は37、人口は58人とでました。
(注)①静子さん1/8ご逝去⑥エミさん非常駐⑦俊明さん入院中、22→トミコさん埼玉へ?、25→チカさん去年11月頃ご逝去、28→トシさんが馬小屋を住宅に改修後大阪に戻ったため定司さんが別荘として管理、31→猫が12匹?、32→隆明さんの陶芸工房。居酒屋「だんざ屋」にも変身する、33→ツヤさんは養老施設、40→家屋の形跡がほぼ無くなってきた、45→おととし通山に一家移住。住建の資材置場等に使用
参考写真 木口屋の現況表(木口屋公民館) 3月5日 追加
敬称略。間違いは指摘ください!
①朝隈②加藤昌利③博幸④サチ⑤タカオ(看護婦さんの借家)⑥宮崎為雄・エミ⑦宮崎俊明⑧加藤友衛⑨加藤英樹⑩加藤?⑪末盛・サヤ⑫嘉三次⑬睦子⑭三島啓邦⑮三島タキ⑯恒雄⑰児玉育也⑱静香・アツ子⑲有村⑳満良・トミエ21.利夫・ノブコ22.児玉トミコ23.貞夫・ユミコ24.幸平25.国盛26.治穂27.宗夫28.トシ29.静栄30.政子31.幸男32.鹿篭窯33.栄応33-B(34の農協寄り).中村ひでお34.中村ヒロクニ35.中村ナミ・カツエ(岡原さんの借家)36.中村實男37.宮崎秀明38.常盛39.秀人40.中川41.定司42.加藤治香43.サツ44.西野45.前野47.二宮長円48.深水隍治49.加藤牧太50.二宮務51.?...52(48の右下).深水優・フミ
①朝隈②加藤昌利③博幸④サチ⑤タカオ(看護婦さんの借家)⑥宮崎為雄・エミ⑦宮崎俊明⑧加藤友衛⑨加藤英樹⑩加藤?⑪末盛・サヤ⑫嘉三次⑬睦子⑭三島啓邦⑮三島タキ⑯恒雄⑰児玉育也⑱静香・アツ子⑲有村⑳満良・トミエ21.利夫・ノブコ22.児玉トミコ23.貞夫・ユミコ24.幸平25.国盛26.治穂27.宗夫28.トシ29.静栄30.政子31.幸男32.鹿篭窯33.栄応33-B(34の農協寄り).中村ひでお34.中村ヒロクニ35.中村ナミ・カツエ(岡原さんの借家)36.中村實男37.宮崎秀明38.常盛39.秀人40.中川41.定司42.加藤治香43.サツ44.西野45.前野47.二宮長円48.深水隍治49.加藤牧太50.二宮務51.?...52(48の右下).深水優・フミ
正月の2日午後は快晴となり、徳郎さん、啓邦さん・奥さん、私の4人で旧通学路の探索へ行きました。10年ほど前に行って以来で、すっかり森の中に埋没しておりました。ナタ鎌や鋸で雑木を切りながら進みました。
水飲み場(ソッダンというらしい)を見つけるのに少し時間がかかりました。以前のように水がコンコンと湧き出てはいません。水飲み場から少し行くと大きく折れ曲がり、急な坂道となります。この曲がり角を通らない(獣道のような)近道がありましたが、その痕跡は消えてしまっているようです(1月/8日訂正:本日午後仕上げ作業に行きすっかりきれいな道になりました。その際、近道もちゃんと残っているのを確認しました)。この坂道を登っていくと山頂ですが、途中に林道の悪谷線ができています。
山頂から40メートルほど下るとアバラン坂です。いつもここで休憩していたものです。ここの洞穴にはガラクタが捨てられていたものですが、撤去されていました。
昔の人(啓邦さん以前)には裸足で学校まで通っていたらしいです。よく馬糞が落ちていて踏みつけてしまったものでした。
次回へ続く....
水飲み場(ソッダンというらしい)を見つけるのに少し時間がかかりました。以前のように水がコンコンと湧き出てはいません。水飲み場から少し行くと大きく折れ曲がり、急な坂道となります。この曲がり角を通らない(獣道のような)近道がありましたが、その痕跡は消えてしまっているようです(1月/8日訂正:本日午後仕上げ作業に行きすっかりきれいな道になりました。その際、近道もちゃんと残っているのを確認しました)。この坂道を登っていくと山頂ですが、途中に林道の悪谷線ができています。
山頂から40メートルほど下るとアバラン坂です。いつもここで休憩していたものです。ここの洞穴にはガラクタが捨てられていたものですが、撤去されていました。
昔の人(啓邦さん以前)には裸足で学校まで通っていたらしいです。よく馬糞が落ちていて踏みつけてしまったものでした。
次回へ続く....