旧きんざんみっ-その弐 2007-01-10 20:47:00 | その他 アバラン坂をすこし下ったところにもう一つ大きい洞穴を発見しました。昔はなかったような気がしますが、陥没したのかもしれません。 アバラン坂から40メートル下るとスズッカシィ(涼っか洞)です。入ると涼しいですが、独特のにおいが思い出されます。 アバラン坂から農免道路まで、草木が生い茂っていましたが、我々できれいにしましたので、十分に散策可能です。キクラゲもいっぱい採れました。 « 旧きんざんみっ-その壱 | トップ | 木口屋詳細地図が完成しました。 »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (元小学生) 2007-01-12 20:32:52 お疲れ様。洞窟のコケを見ていると、あの懐かしいにおいが思い出されます。金鉱石は落ちていなかったですか。 返信する ほんのこてまこて (ダン塊) 2007-01-13 02:07:01 タイトルの後にはカンシンジャッ(感心)と肯定詞につながりますのでご安心ください。小生もこのような活動に共感する者の一人です。正月早々の金山ミッ(道)の除伐作業や取材配信ご苦労様です。写真を見るとうっそうとした木立の中に埋もれてしまっているのですね。帰省の折には散策したいと楽しみにしていますので全線開通を期待しております。スズシカシッ(洞)は末盛ドンかたの裏に開口していると聞いたことがありましたが、その辺の調査(音響は通じませんか)も宜しくお願いします。話しは遡りますが、村のたよりの復活版が2006年9月末に出てから毎号楽しみに覗いています。里山にシンボリックな国旗掲揚をしたこと。そこからの集落の風景。十五夜の月見の集いをしたこと。40年前の懐かしい写真。東京キグッジャ会の催し。正月の拝賀式の様子等々いろんな情報を載せて頂いて有難うございます。 追伸:今の集落の戸数人口はどの位ですか。小生在郷の頃は45戸200名ぐらいではなかったかと思いますが。以上ナガナガとゴメンナサイ。 返信する ご愛読感謝します (編集長より) 2007-01-13 13:18:45 元小学生さん:キグッヂャの自分名義の山に金鉱脈が発見されることを期待しましょう。ダン塊さん:37戸50人ほどかもしれません。マップをつくりますので情報提供もよろしくお願いします。 返信する マップ (伊能タダタダ) 2007-01-14 00:58:13 編集長さんへ:木口屋は小さい集落ですが、名字は多彩で結構ありましたよ。今はどうでしょうか。順不同で列挙してみますと、木口屋、中村、加藤、三島、宮崎、児玉、朝隈、西野、中川、有馬、深水、二宮、前野、あともう一つ姓がありましたが思い出せません。俗呼称地名としては、クッヂャ(口屋)、ナカモイ(中村)、ドッコッ(六石)、マオ(丸尾)、カヅラ(勝羅)、マッジャマ(松山)、サカンシタ(坂下)、オコッ(大河内)、私の認識違いもあるかもしれませんので、詳しいことは古老に聞いてください。50年前のゼンリン住宅地図を作れば面白いですね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
洞窟のコケを見ていると、あの懐かしいにおいが思い出されます。
金鉱石は落ちていなかったですか。
話しは遡りますが、村のたよりの復活版が2006年9月末に出てから毎号楽しみに覗いています。里山にシンボリックな国旗掲揚をしたこと。そこからの集落の風景。十五夜の月見の集いをしたこと。40年前の懐かしい写真。東京キグッジャ会の催し。正月の拝賀式の様子等々いろんな情報を載せて頂いて有難うございます。 追伸:今の集落の戸数人口はどの位ですか。小生在郷の頃は45戸200名ぐらいではなかったかと思いますが。以上ナガナガとゴメンナサイ。