旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

ラダック・アンティーク・人間模様

2023年09月27日 | 古い物



仕入れの場のお話です。

特に役立つ情報はございませぬ。

人間模様の実録やり取りです。

※文中の人物名は仮名ですが、実話です。

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前回の渡航中、こんな事があった。

同宿だったフランス人、ソフィア。

たまたま、
彼女は指輪にするターコイズを探していた。

彼女は、
僕が古い物のバイヤーだと知ると、
「あなたと買いに行くわ」と
僕の返答を待たずに、
半ば強制的に僕を連れ出した。

経験上、こーゆーお願いは僕にとって良い事がない。
普段は断る。

でも、まぁ、
彼女の目的は明確だったし、
古い物に特段、興味もなさそうだったので、
僕は良しとした。

だが、
僕は彼女に言った。

「店は教えるけど、君が好きな石を選ぶと良いと思うよ」と。

そう僕が言うと、
癖の強い中年の彼女は、
僕に強めに返した。

「知っているわ。そんな事、分かっているわよ」と。

そ、そーなのね、じゃあ、いーですね。

そしてソフィアは、
「私はチベットの古い物を知っている」だの
「昔はこうだった、あーだったとか」とかも
続けて言うではないか。

僕は安心した。

そして、
だったら自分1人で買えや、ともちょっと思った。

ともあれ、
良いターコイズを置いている店に案内した。
(もちろん、僕の秘密の仕入れ場には連れて行かなかった)

ところが、だ。

店に着くなり、
僕にアレコレ聞いてくる。

これはどう?

あれは良い石なの?

と。

事前に言ってた事と違〜う。

パウダーの偽物を選ぶ彼女に、
僕は最低限の事を言い、
半ば無視をした。

最終的には、
偶然、店に居合わせた、
ガチ系旅人の某有名コレクターのフランス人カップル、
リュカとエマの
エマに声をかけ、彼女に選んでもらっていた。

リュカとエマは、お互いイカツいネックレスをしている上、
只者でない風貌をしているので、
一見して素人でないのは分かるだろうが、
彼らは売買業者ではない。
僕が知る限り、芸歴の長いコレクターで本物の旅人である。

二人ともナイスな人柄で、
リュカは何十年、旅をしているのだろうか。

・・・で、大量の山の中からエマがソフィアの為に選んだ、
そのターコイズ。

古い小粒で色艶が良く、
その上、穴の無い珍しいタイプであった。

流石のエマである。

しかしソフィアは、
エマの意見だけじゃなく、
僕の見解も被せて求めて来やがった。

君は人間不信か?

そんな言葉が僕の頭によぎったが、
実際にその時は、
そんな事はどーでも良く、
僕は、そのターコイズを見て、
すぐさま心の中で思った。

「あら、ちょっと〜、な〜に〜、ソレ、アタシが欲しいぃ〜」

と。

しかし、
状況的に、そんな事は言えない。

僕は格好つけた。

「フッ。グッドでレアなターコイズじゃないか。良いんじゃない」と。

僕の心の声は「ガチで欲しい」である。

僕の本音を翻すが如く、
エマは
「コレ、凄く良いわよ」とダメ押しをしやがった。

やめれ。

だが、結果、
ソフィアは買っておった。

くそう。

そんなやり取りを傍目に、
リュカの方はアフガン系の古いクリスタルのビーズの選定に集中しておった。

エマはエマで、
僕が選んでいたターコイズを欲しがったので、
「これはダメだよ、ワシが買うのじゃ」と制し、
僕は早々に現金を店主に渡し取引を完結させた。
早いもの勝ちですのじゃ。

ターコイズを一粒買うのにも、
人間ドラマが生まれるのである。

そう、
もうお気づきかもしれないが、
良い物は驚くほどすぐに無くなる。

ラダックが僻地であると思うのは勘違いであって、
実は、物の回転は意外と早いのです。

先日見た物が、
今日は無くなる、なんてのも日常茶飯事で、
密かに、僕が狙っていた古いパッソの数珠も、
僕が「空港検閲で問題あるな〜」と考えている内に、
チベット人が買って行ってしまった。

やはり良い物は目ざとく見つけられる。

それに加え、
現地の業者間での売買やり取りも、
一般的に想像するより、
頻繁に行われておるのです。

あっちの店にあった物が、
翌日にはこっちの店にあるとかね。

また、
僕が別の店で偶然再会した、
友人のネパール在住のチベット人業者ジムも、
僕が良いバター茶碗だな、と思って検討の一つに加えていた物を
翌日、彼が買ったと聞いた。

業者やコレクターは行き来をし、
どんどん良い物は無くなって行っているのです。

これでも今年は、
サンドラが来ていない。

サンドラはスイスの年季が入ったコレクターだ。
老齢にしてアクティブ。
コレクター歴は数十年。
そして、お金も持っている。
知識と財力、行動力を伴った無敵の女性である。

根は優しく、そして、ちょっと個性が強い。

嫌いな人に話しかけられても、
フルシカトする程、
好き嫌いがハッキリしている。

毎年ラダックへ来ていると思うが、
今年は用事があり来ていないらしい。

前回は僕の目の前で、
良い物を幾つも買って行かれた。

エマ達もあと数日でラダックを出ると言う。

今年はゆっくりできるかしら。

そんな甘い事はない。

ベトナム、マレーシア、シンガポールなどなど、
様々な国からラダックへ買い求めにやって来る。
もちろん、日本人もであろう。

今や欧米人だけではなく、
新興国を含めたアジア人が買い付けるのである。

若いベトナム人の半素人バイヤーが、
18万円以上の物を軽々と買っていくではないか。

ベトナム人も今やお金を持っているのです。

日本に出稼ぎに来ているのは、基本は労働者階級であって、
知識層は日本人が思うよりお金に余裕がある。
彼らは外国で肉体労働はしない。

そして、いっ時の中国人ばりに、
キツい値切りをする。

最終的に、僕の友人の店主にブチ切れられてはいたが。

彼を知る人間は、
彼が値引きをしないのを知っている。

僕も、業界歴38年の猛者である彼とは値段交渉は基本しない。

出会った最初の頃はしてたけどね。

幼少期から親に付いてアンティーク売買をやってきた彼。
既に十分なお金も持っているのも、今は僕は知っている。
家も凄く良い家に住んでいる。

そんな彼に、
アンティークに置いて、
交渉のテーブルで勝てないから。

そもそも彼は、
「もう売る事にはあまり興味がないよ」と自分でも言っている。
溢れるばかりのコレクションや商品を持っているが、
ゆっくりする事を好み、無理して売る事はしない。

だが、今や素人バイヤーも盛りだくさんである。

彼らはリスペクトなど無視でやってくる。

ほんのちょっと話しただけで芸歴の長い店主は、
相手の技量や財力、知識などを理解する。

プロの業者やコレクターは、
例えば、
ターコイズを手に取って、
「これはターコイズか?」とかは聞かない。

それは観光客の会話である。

その時点で良い物は見せてもくれない。

彼らが買えるのは、
店内の見える所に置いてある商品だけである。

値段の交渉または交渉の有無に関しても、
やり方が違うと思う。

そのベトナム人、
一方的に自分の希望金額を大声で押し付けるやり方であった。

そりゃ、友人もブチ切れるわ。

「あ〜、やらかしてるな〜」と
僕は店主の前の椅子に座りタバコを吸いながら、
金のロレックスを腕に巻いている若いベトナム人を見ていた。

今のラダックは素人バイヤーも沢山来るし、
観光客も大勢いる。

それ故か、
古い物に関しては、
実は、ゆったりとした時間は流れていない。

夏場に関して言える事だが、
ガヤガヤしている印象である。

人間模様も様々だが、
少し特有の雰囲気は感じる。

よく言えば、
濃密な人間関係、
悪く言えば、
噂好きの人間の集まり、
である、
カトマンズとは異なった様相を呈していると感じる。

僕はネパールでは、
観光客は来ないちょっと奥で仕入れをする。
そこには、
日本人バイヤーが来ていると言う話も聞かない。

しかし、
ラダックの古い物の売買の場には、
時として、
前述のソフィアやベトナム人の様に、
観光客も入り乱れてしまう。

それが良いか悪いか、とかではない。

プロばかりの場所とは異なった
人間模様が繰り広げられるので、
興味深い点もあるとは思う。

いや、
何処の場所でも
日本であっても
古い物に関しての
人間模様は面白い。

修羅の世界でもあり、
欲望と葛藤、
金と人情や裏切り、
それらが混じり合った、
面白い「人間」というモノが視られるのです。

僕自身も、
インスタグラムでの投稿や、
このブログで書いている事は、
僕の体験の、
ほんの数パーセントに過ぎないのです。

書けない事も多い。

実際には、
様々な人間が繰り広げるドラマが、
日々起こっておるのです。

最も、
ほとんどはロクなモンじゃないけどね。


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チベットのアンティーク家具

2023年05月24日 | 古い物




チベットの古い家具の事です。

ターコイズと共に良い家具は姿を消しつつある。

「これは無くなる、無くなる」と言いすぎて、
無くなる詐欺男と言われそうだ。

だが、
商売をやっている身としては、
まだ数が有る物をわざわざ言う必要は無い。

密かにたくさん仕入れ、売れば良いだけの話である。

そもそも家具自体をメインに僕は扱っていない。

あえて言うのは、
このブログは僕が感じたことを好きに書くだけのブログだからです。

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さて、先日のネパールの事です。

ある日、僕は友達とお茶をしていた。

いつもお茶してるので暇だと思われるかもだが、
これも仕事の内で、
常に頭と感性を働かしています。
24時間毎日仕事でもあるのです。

「チベットの古く良い家具を探してるんだけど、なかなか無いね。
有っても凄く高いし」とフト、僕が言うと、
「だったら〇〇が持ってるんじゃないかな」と
彼の友人の電話番号を教えてくれた。

友達は続けて「俺の名前を出せば話が早いよ」と言ってくれた。

僕はその番号に電話をして
「俺、〇〇(友人の名前)の友達で、チベットの家具を探してるんだけど、持ってるかな?」と
聞いた。

唐突だった僕の連絡に、
電話口の彼は、
「そーなんだ、OK。家具は有るよ。見にくる?」と
快く答えてくれた。

余談だが、
僕の友人はチベット人で、チベット人は同じ名前が凄く多い。
生まれた曜日で名前が決まる事も多いので、
「どの〇〇だ?」と言う問答の繰り返しは日常的な会話になる。

この時も、「何処何処の〇〇だよ」と言う感じで意思疎通をした。
因みに、正確にはチベット人には苗字という概念は元々はない。
公的書類上では苗字となるが、本来は苗字ではないらしい。

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場所を聞き、
時間を決めて向かった先は、
チベット人地区の奥の小道の先。

普通のマンションの鉄の扉の前だった。

高い扉の奥は見えない、
看板も何も無い所であった。

一瞬、
「場所ここで合ってるかな?」と思えたほど、
教えてくれなければ分からない場所だろう。

扉の前に立っていたのは、
痩身で背の高い若いチベット人男性だった。

笑顔で挨拶を交わすと、
「もうすぐ親父が来るからさ」と言い、
鉄の扉を開けて中へ迎い入れてくれた。

シャッターの閉まったフロアを開けてくれると、
ガラス越しに、
チベット家具が積まれているのが透けて見えた。

薄暗い中に入ると、彼は電気をつけてくれ、
蛍光灯に照らし出されたのは、
ワンフロア丸々の広いスペースに無造作に並べられた家具の数々。

そこは店というより倉庫であった。

場所と佇まいから小売店ではなく卸なのは明らかだった。


やがて、店に老齢な男性が入って来た。

少し猫背で質素な服を着た、
背の低いそのチベット人がオーナーだ。

年齢から見るに、
現地でファースト・ジェネレーションと呼ばれる、
チベットの古い物の売買を生業とし始めた最初の世代らへんだろう。

チベットやネパール、その他のチベット圏では、
アンティークと呼ばれる物の売買商売の歴史は浅い。

チベット本土ラサでもネパールのチベット地区でも、
仏塔の周りの巡礼路の路上で売り始めた人が集まり出したのが、
最初の始まりであったらしい。


物腰の柔らかい、その老齢な男性と挨拶をすると、
彼は店内を案内してくれた。

まず僕の目に止まったのは、
センゲェ(チベットの白い肌に緑色のたてがみの獅子)柄の棚机であった。

カトマンズの某地区で見かけるような古加工した家具類ではなく、
明らかに古いオリジナルだった。

「それは売れちゃったんだ」

主人は優しく言う。

「アレとコレとアッチも売れてて、発送待ちなんだ」

聞くところによると、
一般のチベット人が手持ちのジー・ビーズを売り、
そのお金で纏めて買ったとの事である。

売れたどの家具も古いオリジナルで、
僕が好む動物柄が描かれていた良い物であった。

試しに値段を聞くと現実的な値段であった。

もしコレらがカトマンズの高級店にあったならば、
値段は何倍にもなるであろう。

「そっちは地元のネパール人が買ったんだよ」と
主人は続ける。

後日、トラックの荷台に積まれる場を見たが、
何個ものチベット家具、主に机類であった。

え?

そんな勢いで売れているんですか?

卸と言っても古く良い家具はソレなりに値段はする。

しかも買っているのは業者でなく、一般人だ。

それが勢いよく売れているのだ。

チベット家具は早い段階で欧米人に見出されてきた。
専門書も出ている。

100万円以上のチベット家具が並ぶ高級店もあり、
一部のお金持ち欧米人観光客などが買っているのも知っていた。

しかし、急速に売れる類の物ではないと個人的には思っていた。

何が起こっているのか?

僕は不思議は気持ちになった。
少しの焦りと共に。


話は逸れるが、
チベット人地区には家具を扱う店はある。
新旧家具含めてだ。

そりゃ、古いチベット家具は
全く残っていないかと言えば、
有るには有る。

チベット本土にだって残ってはいるが、
発送関係を以前確認した事があるが、
かなり大変だ。

そして、
時には高すぎる金額であったり、
普通の物であったり、
特段、目を引く魅力ではなかったりするのである。
まぁ、良い物もまだ残ってはいるけどね。

以前から知る、
ある他の店は修復場(古い家具は汚れてたり壊れてたりする)兼倉庫を持っているのは知っていたが、
今回その店に行き、倉庫を見せてと聞いたら、今はその倉庫は閉めて、
「古い家具の在庫は全て売れてしまったよ」と言っていた。
残っていたのは新しい物が殆どであった。

他の店でも「中国人が数個まとめて買ってったよ」と言われる。

もしこれが短期的な偶然や嘘であったならば、
冒頭の僕の「チベット家具はなくなる」と言う言葉は、
事実とは異なってくるだろう。

むしろ、
チベット家具の美しさに惚れ込んでいる僕的には、
間違いであって欲しいと願うのだが。

--

「最近は、古い木に新しく絵を描いて古く見せる家具が増えたよ」と
老齢な主人は言う。

もちろん、
新しく描いた絵が悪いと言うわけではなく、
古く擦れた古い絵より、見方によっては見た目は良い。

僕は物の持つ物語と、
古い迫力が美しいと思っているが、
真新しいチベット柄の絵でも、良さはあると思える。



ホテルに飾ってあった物。
センゲェ柄がかわゆい。
こーゆーテイストは個人的に好き。
古さや物語にこだわらなければ、
新品完品も良い。一般受けもするだろう。



一方、
オリジナル。
買うかどうかマジで迷った。
元々は真っ黒だったらしい。
多くの古い家具はクリーニング(汚れを取る)をするとの事。
時には割れた場所を修復してるのもある。

広い店内を歩いていると、
仏の絵が描かれた良い経板があり、
僕が持ち上げると、
「それはそんな古くないんだよ。だからと言って偽物じゃないよ」
と主人は言う。

どうやら、実際に寺院で数十年使い込まれ、
汚れて経年変化して古くなってしまった物だと言う。

もし100年以上前の本当に古く良い(金彩等)オリジナル物であれば、
現地でも安くても数十万円〜100万近くはするチベットの経板。

「値段も〇〇だよ」と現実的な金額を言う。

僕は彼の正直さに驚いた。

真面目か。

多くの家具類に目を通し、
僕の惹かれたのは二点だった。

一点は、
マハーカーラが描かれた大きいキャビネット。

もう一点は、
密教ゴリゴリの古い戸。

キャビネットは、もし外国であれば、
即博物館か美術館に入るレベルだろう。

少なくとも、本には載せられる物であろう。
値段が僕には無理だったので泣く泣く見送った。
そもそも大きすぎるので、
買えたとしても日本までの発送が難しい。

主人は「日本には送った事がないんだよ」とも言う。
裏を返せば、ここで日本人が買った事はないのであろう。

もう一点の密教図柄の戸に、
僕は焦点を絞った。







髪の毛の生えたミンゴォ。
タントリック(密教)図柄で埋められている。

変態、丸出しである。

密教の家具自体は寺院来歴となるので、
密教図柄のオリジナルのチベット家具がそもそも少ない。

密教寺院から出てくる物自体が少ないのは、
前から僕も知っていた。

希少なのは明白だが、
ここまで密教、タントリック丸出しとなれば、
理解する人を選ぶだろう。

「珍しいでしょ。これは〇〇世紀のオリジナルなんだ」と
主人は言う。

物は間違いなく素晴らしい。
だが特徴的すぎる。

日本では売れないだろう、僕は直感的に感じた。

しかし、
僕はどうしても欲しかった。

現代アートとしても通用するであろう、その圧倒的な姿。

絵画の世界であれば、
数十万とか数百万円する絵は当たり前にある。

そう考えれば安い買い物だ。

僕は買うのを決めた。

「君、珍しい物を選ぶね。変わった眼をしてる」

主人は優しく微笑んだ。

---

僕は以前からチベットの古い家具を個人的に美しいと感じている。

「良い家具は、もうなかなか入って来ない」と、
何処で聞いても同じ事を言われる。

「全部、売れちゃったらどうするの?」と
僕は主人に聞いた。

「さあ?どうするかね」

老人は静かにつぶやいた。



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ジョージアの美術品と民族衣装

2022年08月20日 | 古い物


いきなり愚痴から始めるが、
ジョージアでアンティークを探すのは本当に大変である。

そりゃジョージアの美術館に行けば、
様々な美しいアンティークを見る事はできるが、
実際に買うとなると全く手立てがなくなる。

ジョージアでもアンティークショップと称する店は多いが、
扱っているのはロシアまたはソビエト時代のお皿やカトラリー、シャンデリアがほとんどで、
いわゆる古い日用品であって僕が求める古美術品ではない。

で、クタイシの美術館の物達のご紹介。
美術館員に許可を得て写真を撮っています。



中央の布をよく見ると、縁に古のジョージア文字※(正確な呼び名は不明)が縫い込まれている。
古いジョージア文字は現代の宗教物にも見る事ができ、美しいカリグラフィであると思える。

(※歴史的な詳細が複雑なので、この回でもジョージアまたはジョージア文字としてますが、
カルトヴェリとかカルトリなのかなど、
紀元前3世紀にはジョージア文字はあったらしいが詳しい事は分かりません。
毎度情報が間違っていたりで不勉強ですみませんが、
あくまで宝探しのブログとしてお読みくれれば嬉しいです)

こーゆーのが欲しいが、どこを探しても売っていない。
英語の話せる美術館学芸員に「アンティークが欲しいんだけど、何処で買えるの?」と聞いたが、
「えっと...うーん...ジョージアで売っている所はないわね」と言われた。

物を見る限り、おそらく教会関係から譲り受けるのだろう。
一介の外国人行商がそこに入り込むのは時間やコネが必要で難しいだろうな、と思った。




交易の地であったジョージア。
様々なかつての王国や帝国が入り組んでいて、一瞬どこの宗教物か分からないのだがジョージアの物だろう。
色々詳しく聞きたかったが英語を話せる学芸員が一人しか居なく、
それもたどたどしい英語であり詳しくは聞けなかった。








どれも素晴らしい。








トビリシの美術館の。
黄金が多い。
素晴らしすぎる。



アブラハムとその家族を信仰する護符らしい。
文化が混ざり合い交差するジョージアは様々な物が存在したのね。




有名な黄金ライオン。
きゃわゆい。

古いコインも多く展示されていたが、
モスリムコインも多くあった印象。

ジョージアは料理が美味しいとか自然が美しいとかが有名だが、
美術品の感性も非常に高いと個人的に思うのです。

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アンティークの美術品に続きジョージアの古い民族衣装。
今では結婚式以外では着られなくなったようだ。





クタイシの美術館に飾られていた男性用民族衣装チョハ。
以前、僕も古いチョハをジョージアで仕入れた事もある。
地方の古いチョハは山羊の毛で創られていると某学芸員の方に教えて頂いた。

剣は検閲上持ち帰られないのだがベルトもかっこいい。
ベルトは別日に個人的に買ったのだが、
僕が買ったベルトの装飾部分の先が少し尖っていて空港のX線チェックで二回止められた。










知人の絨毯屋に古い民族衣装の事を聞いたら写真を沢山送ってくれた。
もし仕入れても一般的には売れないだろうから、
どれも仕入れる事はしなかった。

もう忘れられていると思うが、一応、僕はプロのディーラーである。
しかも個人商売の零細バイヤーである。

今まで珍しい物や良い物は数多く見ているとは思うし、
自慢では無いがチベット関係に至っては美術書や専門書に載る以上の物も数多く見て来た。
多くの場合、それらはお金さえあれば買える(または交渉可能な)状況の場に居るのである。
しかし僕はコレクターや学者ではないので見送る事は多い。とゆーかほぼ見送る。

何せお金がない。

友人がキャバクラで一晩数十万円を使う姿を見てジクジたる想いであるが、
この資本主義社会の現代ではお金の使い方は人それぞれだろう。

やれやれ。


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おまけ
バグラティ大聖堂の裏にあった古の彫刻石。



写真の石はまだ壁の一部としての体をなしていてマシだが、
教会の周りには大小様々な他の彫刻石の破片が多数転がっている。
野外に全く手入れしてなく裏手の草だらけの溝とかに放置されていたので、
神父様に「どれか小さな石を記念に譲って頂けませんか?もちろん寄付金を収めます」と
神をも恐れず、ずうずうしく聞いたが丁寧に断られた。
当たり前だろう。
もちろん、売買用にするつもりもなく最大限のリスペクトを込めて聞きました。

歴史的な文化価値があるはずだが瓦礫の様に放置されているのは忍びない。
どこか屋内に保管するか、せめて整理して欲しい欲しいと外国人ながら余計なお世話とは思ったが感じてしまった。

僕が出来る事は寄付のみだったので寄付金を募金箱に多めに入れて後にしました。


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ジョージアの古い襤褸のコーカサス絨毯

2022年08月18日 | 古い物


ジョージア※の絨毯です。
アンティークのフラグメント(襤褸)です。

フラグメントや襤褸と言ってもリペアを充分施せる範囲で一部が破損してるだけ。
簡単な補修をすれば完品となるだろうが、オリジナルの摩耗や欠損などの襤褸は美しい。

日本人は一般的には破損のない物を求めるようだが、
個人的には古いオリジナルの傷や使用感などの味は良いとは個人的には思う。
もっとも、ただ単に破損してれば何でも良いという訳ではなく、
僕的には襤褸(欠損や摩耗)具合の美しさにもこだわりはあるのだが。

ジョージアと言えば平織りキリムが愛好家の間では知られるとこだろうが絨毯もあります。
相対的な数は少ないかな。
正しい情報かどうかは分からないが、
ジョージアの絨毯はジョージア南部または東部で多く織れている(いた)らしい。
西部海沿いのバトゥミ辺りでは織られていないのは環境を考えると理解できるが、
山岳地方メスティアでの織物は聞かないのは何故だろう。

知らない事だらけだ。
そして知識を得るのは現地に限る。

相変わらず、個人的な体験を書きますて。
情報は間違っているかもですさかい。

では、まずは写真を。





上記の写真一枚目の上部と二枚目の写真、
赤茶系をベースにした特徴的な図柄はジョージア特有の図柄。

白地の中央の十字の表現も面白い。
個人的には先端の丸が目玉に見えてしまった。




クタイシの美術館に展示されていた昔のジョージアの部屋を再現したブース。
後方にキリムが飾られているが、同じ文様が見られる。

ジョージア特有の図柄なのは判明したが、
冒頭でジョージアの絨毯と言ったが地域は正確には分からない。
長年やっている絨毯屋の主人はジョージアとは言っていたし、
美術館の展示物を見て、個人的にもジョージアであろうとは思うが。

上下左右が合っているかは分からないが、
左端の動物柄を見て判断しております。

キリムではたまにこの図柄を目にするが絨毯では稀かもしれない。
図柄が何を表すか知りません。
意味は今度、聞く事にしよう。
何かご存知の方が居れば教えて頂きたい。




謎の生物?がおります。
スカルのようにも見えるが柄が重なったたまたまかな。
不思議な雰囲気をもっている。
何故か絨毯の右側にだけ居た。



動物と人かしら。
人は下半身のみで上半身を織るのはやめたのかな。
おもろい。








びっしりと埋め尽くされた柄の数々。
よく見ると左右で微妙に色とかが違う。

完全なマニュアル作業な絨毯には惹かれないが、
この一枚は自由なのが良き。






時代を経た摩耗感。
良き。




ボーダー部分



裏面
太い糸で織られている。




凄い異質な存在感がある。

上部のみ欠損が見受けられる。
その他は大きなダメージは見られない。

因に、写真で下に敷かれているのはカラバフの超良品。
買うか迷ったが高いので辞めた。

日本で古いカラバフのオリジナルと言ったところで売れないだろう。
そもそも今の日本で絨毯にお金を出す人は、どれくらい居るのかしら。
バブルの時は100万円以上のペルシャやトルコの絨毯が飛ぶ様に売れたらしいが。

文献を見るとコーカサス地方の絨毯はカザックやカラバフ等いくつかに分類されるらしい。
この一枚は大分類される上記以外でもなくクバやダゲスタンでもないだろう。
この絨毯はどれに属するのだろう。
シャバーガン?だっけ?の絨毯に似てるが、それはアフガニスタンら辺だった気がする。
どうなのかしら。

絨毯屋の主人とお茶をして話していた事だが、
現ジョージアを含むコーカサス地方の産地は織物は複雑で、
めちゃくちゃ種類が存在する。

ジョージアに住むアルメニア人が織った織物も多く存在するし、
歴史的や地理的、年代的に見ても複雑に入り組んでいる。

一概に○○の絨毯(またはキリム)とは言いきれない部分もあるのだろう。

正確に説明するのは長い話しが必要で、
便宜上(売買の手間上)でジョージアだとかアゼリとかと言っているみたいだ。

トルコの業者のコーカサスの絨毯やキリムの情報は、
ジョージアの業者と言う事が違うのも気になるとこだ。

トルコであっても南西部の海沿いでは、
トルコに住むギリシャ人が織った古い絨毯もある。
柄も混ざり合っているし、
物自体の織り方等だけで判断すると正確な産地判断ができない気がするのは僕だけかしら。

また、僕が知る限りだが、
イスタンブールの絨毯業者や問屋は、
親や親族経営であって代々の伝聞が受け継がれているように感じ、
それに本等の情報が少し加わった位で、
絨毯やキリムの数自体はもの凄い数を見ているが、
本人が実際に現地に買付けや視察に行っている人は実際には居るのか疑問がある。

もっとも、学者や愛好家以外は深い事は気にしないのかもしれない。
特に一般的な欧米人は見た目で判断する(好きか否か)傾向を僕個人も強く感じる。
少なくとも僕の欧米人の友人達はインスピレーションで生きている人が多い。

一方、欧米の専門書籍でも知れる様に、
この分野における欧米人のマニアは恐ろしく深堀り探求する。
そして自国以外の美しい品の価値観を見出す先見の眼も超絶はやい。
感性重視と知識探求、その両極端性の振り切り具合は面白いと思う。


話しは逸れたが、この一枚、以前書いた宝探しの回のブログで見つけた絨毯。
車で絨毯屋の倉庫まで行ったのです。



こんな連れって行ってもらわなければ、絶対に分からない場所。




山積みストックの中から見つけた。


何枚かピックアップして倉庫から店に持ち帰ってオーナーに見せたところ、
この一枚はリペア待ちの絨毯屋主人の私物コレクションでござった。


以上
古く美しい絨毯でした。


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コーカサス地方アゼルバイジャンの古い絨毯「フラワー・オブ・ライフ」

2022年08月16日 | 古い物



アゼルバイジャンの古い絨毯でござる。

アゼルバイジャンと言えば、コーカサス地方。
知る人ぞ知る絨毯の産地ですね。

相変わらず僕は本などからの情報での解説はできず、
(いつも僕の解説間違っていたらすみません)
詳しい解説は博学な方にお任せして、現地での体験を書こうかしら。

ある日、僕は知人の絨毯屋でコーヒーを飲んでおりました。
場所はジョージア。アゼルバイジャンのお隣の国ですね。

その絨毯屋の女主人は、絨毯・キリムこの道50年。
多くのコネクションを持つ彼女には頻繁に新しい絨毯やキリムが入荷または地元民が売りに来たり、
写真を送ってきたりするので、僕はコーヒーを飲みながら世間話しをして時間を過ごしてたりしたのです。

この女主人は親切、正直(たぶん)で、
トルコの観光客向けのクソ絨毯屋にありがちな押し売りや、
嘘まみれとぼったくったりする事はないのはお国柄だろうか。

彼女はアゼルバイジャンともかなり強いコネクションも持っているらしく、
たまに英語の話せないアゼルバイジャン人業者がコーヒーを飲んでたりした。

その頃、僕はジョージアのキリムや絨毯を一通り見ていて、
他の国、アゼルバイジャンやダゲスタン共和国などの絨毯の良い物を探してもいました。

そこで、その女主人に「ダゲスタンとかアゼリの絨毯の良いのないかな?」と聞いたところ、
「あるんだけど普通のクオリティね。あなた向きじゃないわよ」と言い、
絨毯・キリムの山の中から何枚か見せてくれた。

ふむふむ

確かにダゲスタンやアゼルバイジャンのちょい古い絨毯だったが、
特段な柄でもなく、
特別古くもなく、
織りや色も普通。
良くも悪くも「普通」であった。
だが値段も決して高くはない。

もしこれがイスタンブールのグランドバザールの表通りの絨毯屋なら、
様々な売り文句に加えて高額な金額をふっかけられても、
普通の観光客なら「希少で珍しい高価な絨毯」と思ってしまうかもしれないが、
珍しいとは僕は思わなかった。

僕がちょっと見て全く興味を示さなかったので、
女主人は、だから言ったでしょ、という表情だった。

少し間をあけて、
彼女は続けた。

「まぁ、他に良いのはあるにはあるんだけど....家にあるのよ」

どゆこと?
あるのか。

とりあえず僕が見たいと言うと、
「明日持ってくるわ」と言う。

そして翌日。

その絨毯屋に入ると、
山積みの絨毯にかけられた「その織物」が眼に飛び込んで来た。

え?
明らかに他と違うじゃんか。

「お花、ドーン」

「これ、僕、好き」

それが僕の最初の印象だった。

稚拙な表現と言うなかれ。

毎日数十枚を次から次へ、
滞在中には数百枚も現地で見てれば、
織りがどうとかなど一枚一枚細かな事を気にしてはキリがなくなり
(とゆーか僕は最初からインスピレーション重視だが)、
初対面の印象はザックリしてくるんですね。

選び抜かれた逸品の写真を本でじっくり解説と共に読むのとは違うので、
実際の現地では、そんなもんだよ。

写真と現物では雰囲気だって全く異なるし。




額に囲まれたシンメトリーの支柱に挟まれ、
美しい花が咲いている。

色も美しい。

時代もあるであろう。

僕が知る限り部族的な柄が多く存在するアゼルバイジャンの絨毯。
それらとは一線を画していた。





掠れ摩耗した雰囲気が良き。
花瓶の淡いターコイズ・ブルーも個人的に凄く好みの色でもある。
写真だと色が浅く見えるが、実物は少し濃く奥行きがある色です。

花瓶の摩耗部分をリペア依頼するのも簡単だったが、
使い込まれたオリジナルの状態は美しいのでそのままにする事にした。
女主人も「良い判断ね」と言っておった。





「この花の色が美しい」と女主人は黄色い花の色を褒めておった。
サフランであろうか。
写真だと表現できないのが悔しいが、
淡い上品な黄色である。



この表現がモスリム的だと個人的に感じた。
シンメトリーで幾何学的。
色の配色も良い。
シャンデリアの表現だって良い。
緑かかった青(または青味がかった緑)ってのはモスリムを象徴する気がする。
話しは逸れるが、ブルサの緑の霊廟も色が極めて美しいし、
モスリム文化の色に対する美意識は優れていると思わざるをえない。





迫力がございます。
具象の柄って好き嫌いが分かれるとは思うし、
日本の家にはトライバル柄が似合うとも承知してるが、
ここまで振り切れると清々しくて好み。
量産商業用に型通りに織った物とは異なる。

人気のモチーフとして「生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)」が知られるとこだが、
これは個人的には「生命の花(フラワー・オブ・ライフ」を感じる。






艶のある深紅が美しい。
質の良さが現れ、光りの加減で色に変化がある。
写真だと伝わらないのが悔しい。




支柱の表現も良い。
花に強い存在感と生命力を感じる。








裏面。
しっかり織っている。







ボーダー部分




ボーダーの内側の支柱との狭間も手抜き無しで、
小花で埋められている。




細密とダイナミックの中間。
絶妙なバランスをとっていると個人的に感じる。

色も、赤・青・緑、と強い色を使っているのに、
優しく感じるのは時代を経て色が馴染んだからかもしれない。




左端がかなり解けていたので、
ここは補修を依頼した。
しっかり補修済み。






モスリムの花が100年、美しく咲いておりました。



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