チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。
俺の仲の良い友達、ソナム。
ソナムといえば、チベット人では、よくある名前で、
現地の有名なアンティーク・ショップのオーナーもソナムという名だが、
俺が仲が良いソナムも、アンティーク・ショップをやっているが、
小さな店の方の若いソナムだ。
ソナムの店は、
驚く程高額なモノもなく、品数自体も少ない、
父親から引き継いだ小さな店だが、
中には、
センスの良さ、民藝的な目線の佳いモノがたまにある。
俺より若いソナムだが、
柔らかい人柄が俺と相性が良い事もあり、
俺はお気に入りである。
因に、40代以上の世代のチベット人業者は、
「商売抜き」で親密になるには
結構、時間がかかるが、
若い世代のチベット人業者は、意外とフランクだ。
俺が、チベットモノで分からない事があると、
まず先に連絡するのがソナムである。
ソナムにも分からない事があると、
知人に聞いてくれたり、
彼のお母さん(チベット生まれ、チベット育ちの純粋なチベタン)
に聞いてくれるので、助かっている。
そのソナムだが、
彼のルーツは、東チベットのカム地方にある。
そう、
カムパ(または、カンパ。カム地方の人の意味)なのだ。
カムパと言えば、
広いチベットに置いても、
特有の文化、その闘争心や歴史的背景で、
一目置かれる人々である。
しかし、
ソナムは自分でも言っているが、
カムパっぽくない。
カムパの男の特徴として、
180cm以上は普通である高身長と、
ゴツイ外見、鋭い目つきのイカツイ顔、などが挙げられるが、
ソナムの身長は低く、
顔立ちも薄い上、たれ目である。
性格もいたって温厚だ。
以前、ソナムの友人である、
チベットを撮る写真家として著名な某外国人カメラマンと、
彼の店で知り合った事があるが、
ソナムの外見の話題が出た時、
シニカルな、そのカメラマンは、
ソナムに向かって、
「ソナム、お前の外見がカムパっぽく無いのは、フェイク・チベタンで、
グリーン・チベタンだからだろ」
と笑いながら言っていた。
フェイク・チベタン(偽チベット人)に加え、
グリーン・チベタンに例えるとは、
超強烈なブラック・ジョークである。
グリーン・チベタンとは、
チベット世界に置いて、
口に出す事も躊躇するような、「隠語」である。
チベット自治区内(特にラサ)の公安(警察)は、
チベット族と、漢民族の二種類がいて、
制服の色も異なり、
チベット族の公安は、モスグリーンの制服を着る事だった事から由来する、
グリーン・チベタンと呼ばれる隠語である。※1
自治区内に置いて、公安が意味する事は、
日本でいうところの、単に警察官としての役割だけではなく、
スパイ、もしくは、
政治的反抗者を取り締まる事、を意味する。
つまりは、
見解や主義の違いは様々あれど、
ある種のチベットへの裏切り行為の意味も含んでいる。
強烈である。
ソナムとカメラマンは、すごく仲が良いからいいが、
もし、気心が知れない人に向かって、
この言葉を言ったのなら、喧嘩になりかねない。
カムパっぽくない外見はともかく、
ソナムの家柄は、生粋のチベタン家系である。
父親は、今もカム地方に住んでいて、
兄貴は、南インドの難民キャンプにほど近い、
何とかという、かなり大きなゴンパ(寺院)で、長年、出家修行中である。
俺も、ソナムの兄貴とテレビ電話で話した事があるが、
まぁ、良い奴だった。
そのソナムの店だが、
いつも、誰かしら居座っている。
客ではない時が大半である。
時には、尼さんや坊さんだったり、
時には、店周辺の他業種の彼の友達だったりもする。
ソナムは、
その友達達と、しょーもない話をして一日を過ごしているのだが、
その内容が、ほんと、しょーもない。
近所のおじいちゃんが風邪を引き病院に行ったら、
薬を10錠処方され、
そのおじいちゃんは、一度に10錠を飲んでしまい、
寝込んでしまった、とかいう内容である。
ソナムは、一人で店に居る時は、
ひたすらオンライン・ゲームをやってる。
一見、商売やる気ないよーにも思えるが、
チベット本土のカム地方がルーツなので、
カムにも、もちろんコネがあり、
韓国やインドにも旅行に出かけ、
ブータンにもビジネス・パートナーがいるので、
なかなか、行動力がある。
そんな、ソナム君でした。
※1:グリーン・チベタンの由来は個人的見解であったり、過去と現在の違いや、見解の違いもある。
現在、僕が知る限り自治区内の公安は、チベット族および漢民族も同じ、濃い青色が制服である様に思える。
グリーン色は、アーミー(軍)であった可能性もある。
ネパールのチベット圏に、ニマって友達がいる。
俺がいつもいるコーヒースタンドで、
頻繁にお茶をする友達だ。
ニマのガールフレンドが、そのコーヒースタンドで働いているので、
ニマも必然的に通う回数が多く、
俺と会う回数も多くなる。
名前の通り、ニマはチベット系だが、
宗教色が濃くない家庭に育ち、
日常も宗教色が薄い生活を送っているので、
服装も民族衣装などは全く着ないで、
使い込まれた革ジャンにバイクというスタイルである。
アンティーク業界とも全くの無縁で、
一切、業界用語や品物に関しての知識は、ない。
大きな瞳に、彫りの深い顔立ちで、
一見、不良っぽい風貌のニマ。
昔、荒れた生活を送っていた事を思わせるニマの腕には、
大きなタトゥーが入っているが、
それをニマは見せたがらない。
音楽が好きなニマだが、
今は、荒れた生活から更正して、
真面目に、哲学を勉強している。
英語もネイティブ級にうまく、
スラングまじり、
強烈な下ネタも話す。
ネパールでのチベット系としては珍しく、
コーヒーはいつも、エスプレッソを愛するニマ。
いつもは、どうという事のない話、
多くは女の話、
時には、
○○人のセックスはどーだとか、
道を歩く女を見て、いー女だ、とか、
をするんだが、
ある時、真面目な顔になったニマが
「おい、ハチ(俺のあだ名)、なんで人々はコルラ(巡礼)をするか知ってるか?」
と聞かれた。
そのコーヒースタンドのすぐ近くには、
巡礼者が多く集う巡礼地があり、
「あいつらは、なぜ、毎日、歩く(コルラする)のか知ってるか?」
と聞いてきた。
俺は答えた。
「彼らは、チベット仏教を信じていて、
次の人生で、より良い生を生きるため、
もしくは、
今の人生が、もっと幸せであるように望んでいるから、
その為にコルラして歩くんだろ」と
ニマは首を振った。
「いや、違うね」
「死ぬ準備をしてるんだよ」
「あそこを歩いてる奴らは、それぞれ、死ぬ準備をするため、歩いているんだ」
人々は、
死ぬ事に備える為に、
生きているのだ。
それが、ニマの答えだった。
そう、
人は必ず、死ぬ。
誰しもが。
俺も貴方も。
死ぬ事を前提に、
人は生きてるのだ。
俺は、ニマがコルラをしている姿を見た事がない。
しかし、ニマは、「生と死」について、
考えているのだった。
デイビット(デイヴィッド)というイギリス人がいる。
俺がネパールに滞在する時に泊まっている宿の住人だ。
年齢は64歳。
いついっても、
いつも同じ部屋に居るので、
以前、
「どんくらいココ(ネパール)に居るの?」と
聞いた事がある。
「10年」
それがデイビットの答えだった。
もう、
何日とか何ヶ月とかの単位ではなく、
10年だ。
地元の新聞にも紹介される社会奉仕的な活動もしているが、
基本的には、日々ぶらぶらしている。
腰が悪いので、いつも杖をつき、
ゆっくり歩くデイビット。
たまに一緒にコーヒースタンドでお茶をするのだが、
なにせ、会話の内容が難しい。
英語が難しいというより、
内容が難しいのだ。
時には、核爆弾の話題だったり、
時には、野菜売りの起源だったり、
時には、経済成長と貧困、
がテーマだったりするのだ。
過去には世界中でカメラマンやライターをしていたようで、
色々な経験をしているので、
ある時、俺は難しい質問をぶつけてみた。
「ねぇ、デイビット、結局、人生ってやつはなんなのよ?」
普段、雄弁なデイビットは急に黙り、
使い込まれた革鞄の中から一冊のノートを取り出し、
そのノートの空ページのど真ん中に、
一言を書いた。
【人生に真実の答えはない】
それが、デイビットの答えだった。
深い
深過ぎる
しかし、そのページを俺に見せた時の
デイビットのドヤ顔が気になり、
言葉が入ってこなかった。
深い思想を持つデイビット。
20代のネパール人のガールフレンドがいるデイビット。
チベットでは店を持たない行商人がたくさんいる。
日本でいう露店商だ。
時にはチベット人が集まる集合的な露店(小規模の骨董市のような場所)であったり、
街角であったりする。
街角の場合は、大抵が繁華街、といっても街によっては小規模の繁華街の一画に
台や敷物、机を勝手に置き、売買している。
一人だけでやっている場合は少なく、何人かが集まっている場合が多い。
毎回見かける顔もあれば、地方から出て来て売っている人もいる。
売っている物は装飾品や法具などの小物が多く、偽物ももちろんある。
地方から出て来た人の露店は偽物が少なく、土着の珍しい物があったりもする。
はっきり言ってしまうと、それらの露店商の物で光る物を探すのは困難だ。
なぜなら、チベットで古い物を地元の業者が仕入れる時、彼らは一般の地元民からも
買い上げているのだが、お金もあり、店を持つ業者は、一般人にも人づてに噂になっているので、
一般人が自分の家の古い物を売りたい時は、まずはその店に行く。
これは日本でもネパールでも共通した事だと思うが、まずはお店に売りに行く。
やり手の露店商を除き、個人でひっそりとやっている露店商は、仕入れのルートと資金力が限られるので、
あまり良い物は少ないのだ。
例外的に中国圏のチベット族が集まる街では、露店商でも集団でいる場所であれば、
店を持っていなくても、一般人との取引ルートを持っているようで新たに仕入れた商品が頻繁に出ていたりする。
チベットの各地から行商人が、そこの露店商が集まる場所にはるばる売りにやってくるので、
業者同士の取引も頻繁に目にする事があるので、品物が回転しているのだろう。
そもそも、そこは露店商といえど、毎日同じ場所で売買するので、店舗のような感じになってはいる。
しかし、ひっそりとやっている露店商だが、
中には、珍しい物が時にはあるのも事実だ。
店を持つ業者が目もくれないガラクタを扱っていたりもするので、
個人的は必ず目を通すようにしている。
ガラクタこそが見方を変えると美しいモノであったりする場合もあるからだ。
そんな彼らを見ていると、日本の寅さんを思い出す。
各地を行商でまわり、フーテンをしているので、
場所も時代も違うが、同じような生き方かもしれない。
あ、もしかしたら俺もそうかもしれないな。
旅する骨董屋「喜八」のオンラインショップページ→
チベットに、ンガッパ(梵語ではマーントリン)という行者がいる。
いにしえの昔からその存在はあり、かの河口慧海の本にも神卸という存在で登場している。
髪はドレッドの長い髪でありながら僧侶と同じ地位にいる。
いや、むしろ、密教を行じる事や血筋などから考えると、エリートと考える方が適切かもしれない。
密教系の人骨からできた法具などを用い、独特な風貌から、時には、奇異な存在に目に映るのではないだろうか。
世を捨てた秘密の行者という雰囲気があるが、チベットにおいて、高い地位にある方々もンガッパであったりもする。
文献では、白い衣を纏う、ともあるが、今はそうでないンガッパも居る。
しかし、共通して皆、髪は伸ばすようで、今迄会ったンガッパは全員髪は長くなっていた。
三人映る写真では、右は端のドレッドヘアの方がンガッパである。
ある日、民家に泊まっていたところ、その家で儀式を執り行うとの事なので、部屋を覗いた所、ンガッパが居たのである。
机の上には、ドルジェやベルが並び、ンガッパは僧侶と同様にチベット仏教の儀式や祭事を執り行う。
その時に見た、紳士的かつ神秘的な面持ちは忘れられない。
ある街で出会ったンガッパは路上に居た。
地方から出て来たようでチベット語しか話せなかったが、人骨の笛カンリンを手にもっていた。
チベットでも実際にカンリンを使っているのをリアルタイムで目にする事は稀で、会えて嬉しかったのを覚えている。
「ンガッパ」
奥の深いチベット仏教の、その更に奥。
ンガッパという秘密の存在。