旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

日常ベイベー

2024年04月22日 | 日記



その日、僕は胃が痛かった

今日は人に会わなければならない

決まった日の約束はしていないので、
今日でなくとも良いのだが、
今日、なのだ。

人は、会える時に会わなければ、
次に機会がいつ来るかは分からない。

例え、
息がドブの匂いがしている日でも、だ。

僕はそう思っている。

歯と舌を念入りに洗い、
支度をして家を出た。




味気ない、地下鉄の風景

僕の目には、
無彩色に映る風景

自分の意識が、
他人事みたいに思える

東京のメトロは、
何処か冷たく、
規則的で連続性を持った重い空気を感じてしまう。

「それがメトロと言うものだよ」と言われればそれまでだが、
ロンドンやニューヨークで、車内に音楽家が乗り込むみたいな事や、
パリのメトロ駅の通路に美しく響く生演奏、
または
イスタンブールみたいに、
猫とか犬とかが自由に乗れるくらいの柔らかさが、
東京のメトロにも欲しい、
といつも思う。

でも、
良くも
悪くも
日本人の気質的、社会性的に無理かな




浅草に着く

最近、浅草近辺に来る用事が多い

道中、雷門周辺の道路には、
白のアルファードとかの、
大人数乗り大型車が列をなして路上駐車している

車からは、何人かの中国人がゾロゾロと降りてくる

観光客だろう

運転席に残るのは、
車内でタバコを吸うヤカラみたいな中国人

今は、そーなっちゃってるんだね
と思いながら、
僕は浅草の奥へと足を進める






浅草は古い日本の風景が残る

東南アジア系の親子連れの観光客が、
スマホをいじりながら店から出てきていた




みぞれ肉そば、大人のオモチャ

エロい言葉だ。
官能的である。




ドロンしたい(昭和)

浅草は面白い店名の店が多い


---

知人に会い、
建設的でポジティブな話ができた事に、嬉しさを感じる。

彼は、美しい感性と深い心を持ち、
柔らかな空気感をまとわせ、
相変わらず、穏やかだった




美しい、古き良い日本文化

お寺は落ち着く

蔵前らへんにて


少し散歩をして、
浅草を後にする。




渋谷

駅前の喫煙所には、
入りきらないほどの若者で溢れていた

イギリスでは2009年以降生まれの人は、
タバコの購入は生涯禁止されるらしい

少し前にオーストラリアのニュースでも
似たような事を耳にした気がする

今や多くの世界で、
タバコの喫煙は悪として認定されているだろう

まぁ、間違ってはいないだろうが、
個人的には、
昔、若い頃のケイト・モスが喫煙する姿は、クールに見えたもんだ。

今でもクールな女性だと思えるが、
ザ・リバティーンズのピート・ドハーティと付き合っていた頃は、
退廃的でかっこよく見えた。

世間的には大不評だったようだが。

ドハーティも若くして亡くなれば、
伝説になったかもしれないが、
今や、太ってしまって、
病気はあるが健康的な生活をしているらしい。

突出した才能と共に、
破滅的な生き方をしていた、
エイミー・ワインハウスや
カート・コバーンもそうだが、
若くして、この世を去ると、
「若い姿のまま、人々の記憶に残る」

リンキン・パークのチェスター・ベニントンが
自ら命を絶った時はショックだったが、
彼の魅力的な歌声と、
何処か、悲しみを纏った容姿は、
人々の記憶に残るだろうと思う


才能があるかどうか、
いつ、あの世へ旅立つか、は置いておいて、
僕は「死ぬ時は美しい姿でいたい」と思う




帰路、
平日の帰宅時間帯に重なってしまった

ホームに溢れかえる人、人、人

そう言えば、
午前中に人身事故で大幅に遅れていたっけな


何年も前、
やたらと、人身事故が起きる瞬間に出くわす事が多かった時期がある

先頭車両に乗っていて、

ドンッと言う軽い衝撃

そのすぐ後、
ゴリゴリッと何かに乗り上げる感覚

それらの感触は今も忘れない

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山手線の駅のホームに立っていて、
すぐ隣、
1メートルも離れていない人が電車に飛び込む姿

ホームと電車の隙間に吸い込まれる影

急停車した車内の人々と、
ホームに居た僕の目が合った日

----

他の日には、
飛び込みがあった直後に、
僕はホームに居た

救急隊員もまだ到着していない

飛び込んだ人がホーム脇に置いていたであろう、傘

数分前には、生きていた誰かの持ち物だった、その傘

寂しそうに見えた

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様々な人生

交差する生と死


その僅かな間を僕らは生きる

その繰り返しが、
人生って呼ばれるのかもしれない

多くの人にとって、
人生ってのは、
本人の捉え方次第だが、
良い事と
悪い事は
均等ではないかもしれない

日常ってのは、
人を幸せにする一方、
不幸せや、
退屈にもさせる

さて

そろそろ
また、旅をする時かな



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日々 回顧録

2024年04月16日 | 日記



少し前、用事があり東京の下町へ足を運んだ。

用事を終えて、次の約束まで時間があったので、
門前仲町あたりから東京駅まで散歩をした。

商店街を通り、
川を越え、
橋を渡り、
映画「パーフェクト・デイズ」で出てくる橋はこの辺りかと思いながら、
高そうなスーツを着たビジネスマンが行き交う兜町を抜け、
東京駅に到着した。

丸の内口の趣のある顔とは異なる、
八重洲口の味気ない近代的な風景

溢れかえるほどの、
大勢の外国人観光客を傍目にJRの改札へ向かう。

駅中のコンコースの路上に座る中国人団体客。
通路は、事故があったかと思うほどの大渋滞。

それを怒り、怒鳴り散らす日本人の中年男性。

やれやれ、だ

僕はホームへと上がる

騒がしい音声案内が響き渡り、
人で混雑したホーム

週末の午後

けたたましい音を立てて電車がホームへ勢いよく滑り込む。
僕は人混みに紛れ、電車に乗り込み、窓際に立つ

窓から見える風景は、
大きなビルが並ぶ東京駅周辺から、
中規模のビルと広告看板が隙間なく建つ風景となり、
やがて、
同じ様な外見の戸建の家々へと変化する。
そして、
再び大きな街へと電車は走る

淡々と過ぎる風景

それぞれの日常がそこにあるのだろう、と思いながら
車窓から流れる風景を見て、
僕は電車を降りる

改札の近くで
偶然、知人に出会う

地元が同じ知人だ

「今、日本に居るんだ?」と知人は僕に言い、
僕は、
「最近、どーなの?」と聞く

知人は、
地元の議会議員が如何にクソか、という話題を話す

相変わらずそうなのか、と思いながら、
僕は知人と別れを告げる

用事が終わると、
帰路の途中、
知人のバーでワインを飲みに立ち寄る

「正直、最近は本当に厳しいよ」と知人は言う

その店のすぐ近く、
年配の女性が趣味でやっていた居酒屋は、
コロナで給付金をたくさん貰ってから、
早々にやめてしまった。

僕が知る限り、
知人は真面目な性格で、
経営も正直にやっていたが、
誰かが言っていた
「正直な人が損する時代だよ」と言う言葉を思い出す。

どんな世界、
どんな業界でも同じかもしれない。


先日、偶然会った友人に、
「キハチさん、優しさ疲れしてるんじゃない?」と言われたっけ。

そうか、俺は疲れているんだ。


下町で見た巫女さんは、
日本の美しい文化だったな

彼女達もオナニーはするのだろうか

下衆な感想だろうと我ながら思う


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昨年末

日本へ帰国した翌日に、
旧知の友人たちと忘年会をし、
その足でクラブへ行った

彼ら彼女らとは、
もう25年以上の付き合いになるのかな

終電前に帰るつもりだったが、
「最近の東京の夜はどうなんだろう?」と思い、
クラブへ行くという友人たちと一緒に行った

友人の力で案内された、
V.V.I.Pという、VIPの上のランクの特別室の隣のテーブルには、
音楽関係か広告関係者、
または、IT関係と思える若い服装をした中年男性2人と、
若いスタイルの良い女性2人のグループが座っていた

見下げるダンス・フロアは若い男女のグループで満員だった

友人が言うには、今日は有名なパーティとの事だ。

そうなのか、と思いながら、
フロアに降り、
少し踊る

何かが足りない

何処か、
勢いを感じない

タトゥーだらけの若い女の子も居るが、
何処かが
整頓されている

何処かに
見えない枠、
見えない制限、を感じてしまう

刺激的だった90年代、
イスラエル人などのパーティ・フリーク達が、
世界中からこぞって集まっていた、
2000年から2006,2007年頃の東京

渋谷近辺では、イラン人達の闇の商売も横行していた

今、
そのイスラエルとイランはミサイルを撃ち合っている


そして、
当時の、
ヨーロッパの狂ったクラブの数々

数年前にも、
ジョージアの盛り上がっていた、
無軌道なクラブ

インドの
無茶苦茶な人々

今の東京と、
何かが違う


僕が変わってしまっただけなのだろうか

僕以外の何かが、日本が、変化したのだろうか

それとも、

僕が知らないだけなのだろうか

分からない




深夜の東京

なんか小さく見えたな


日本

もう、だいぶ前に飽きちゃったよ

耳に入るのは悪いニュースばかりだ

日本は快適なんだけどね
素晴らしい部分、
美しい文化も沢山あるし、
好きなところも多い。
そして、
僕は日本人である

でも、
今は、
居心地が悪いし、
退屈だよ


遠くを想う



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不確かな実在と、感謝

2024年04月08日 | 日記



『そこに在る』

僕が物に対して、よく使う言葉です。
度々登場させてきた言葉です。

物の佇まいや、
物と人を取り巻く物語など

それらを表現したいので使っております。

しかし、同時に、

「実在はしていない」

とも感じております。

実在はしていないが、
僕が認識することによって、
「在る」と
位置付けているのを表現したい側面もあります。

これは、
量子力学でいうところの、
「観測(認識)されなければ、それは存在しない事と同じ意味」に由来し、
逆説的に言うと、
「見れば(見た時に)それは存在する」
という事を言いたいのです。

大丈夫かな、あってるかしら?
まぁ、そんな感じ。

量子力学は難しすぎるので、
僕はうまく表現できない。
そもそも分からない。

マジで難しい。
難しすぎるっす。



僕が知る限り、
デンマークのニールス・ボーアが唱えた理論は、
アインシュタインの理論とは異なり、
多くの論争が長年あったそうだ。

んー、
アインシュタインの説も、大いに共感できる。
(詳しくは理解できんが、何となく)

一方で、
僕自身が感じている事は、
ボーアの説に近い。
または、
「共感する・共感したい一面がある」印象を持っている。
(自身の経験が、理論を理解する壁になる場合もあるし、真理は分からんが)

-----

『僕を見つけて頂き、ありがとうございます』

初めてのお客様へ品物を送る時など、
僕が時には、
お手紙に添える一文でもある。

これは、承認欲求とは異なる、と僕は思っていて、

「誰かに認識してくれたおかげで、僕はそこに存在できる」

に近い感情を持っておりました。

存在欲求になるのかな?
知らんけど。

何となーく、
「あー、この感覚なのねー」と、
感じる時もあるのです。

そして、
僕が扱う品物たち

量子力学を自分的に解釈すると、
(例えば)僕の品物を、
僕や、僕のお客様達、が認識する(見る)事で、
その品物は「存在し得る」
となるのかしら。
(実在は別にして)

量子力学上で言えば、
もし見なければ、それは存在していない、のと同義なので、
僕や、あなたが、品物を見つけなければ、
品物は、僕らにとって存在しないのです。

これは、深い。

もっと大袈裟に言うと、
あなたの世界は、
あなたにとって、その世界が全てであり、
そこに僕が存在するか否かは、
あなたが僕を認識しなければ(見つけなければ)、
僕は存在しないのです。
それは、
世界に僕が存在しないと同義なのです。

では、僕は実在するのでしょうか。

逆の事も言え、
果たして、
あなたは実在すると言えるのでしょうか。

そう

実在っつーのは、
不確かなものです。

不確かなものを、世の中は信じているのです。

不思議ですな。

僕の超絶極薄(間違いも含め)の知識での物理学で説明すると、
表現が難しいのですが、
僕の感覚では、
「存在する事」に、
いや、
「あなたや、僕や、対象となるモノが、世界に存在する為に」
この仕事の意義や、
僕が生きている意味、
があるのかもしれない、と思う時もあるのです。

例え、
全てが
実在しようと、
実在しなかろうと、
僕らは
「存在を求めている」とは思えるのです。

難しくなってきちゃったなー

伝わらなかったり、
間違っていたら、すみませぬ。

とりあえず、
世に無数にあるモノゴトから、
僕を見つけて頂き、
また、
僕を見て頂き、
僕の品物を見つけて頂き、
本当にありがとうございまする。


それが言いたかっただけでした。



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死ぬ事すらもカスリ傷 輪廻編

2024年03月27日 | 日記



今回は、
死の捉え方に関して書きます。

笑いが必要とか言っときながら、
開き直って、
ド真面目な話題です。

結論を先に言うと、
生きる事に関してですな。

「オメーごときが言うなよ」と怒られるでしょう。

単なる、
自分に対しての書き留め事です。

間違っていたり、
考え方が違っていたりするかもしれません。
ご容赦くださいませ。

---

少し前に、テレビで安楽死に関して特集が放映されていた。

よく放映したと思う。

難病を患い、
スイスでの自死を求めて渡航し実施する人や、
直前で考えを変える人、
または、
同じ難病を患いながらも、
生きる選択をして考えを広める活動をしている人

そういった人々を、
ドキュメンタリー形式で撮影していた。

その後の反響をネットで見る範囲では、
反響はすごく大きく、
様々な意見が飛び交っていた。

あるサイトでは、
多様性AIなるものがピックアップした意見は、
安楽死の「議論」の必要性を訴える意見を
選抜してもいたが。

何日か経つと、
次から次へ湧き起こる世間の話題の中に埋もれ、
その話題は消え去ってしまった。


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死後の事、死んだらどうなるかは、
考え方や信じ方は人それぞれでしょう。

チベット仏教では輪廻転生という考え方がある。

チベット仏教では、
全ての生きとし生きるものは輪廻転生するとなっていて、
「肉体は死んだとしても、生まれ変わって、永遠にその魂は続きまっせ」と言うらしい。

つまりは、
再スタート

六道輪廻(ろくどうりんね)と呼ばれる、
神・人間・非神・地獄・餓鬼・畜生
(または、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)という、
六個の生まれ変わり先が存在し、
そのどこかに生まれ変わるのですな。

それがグルグルと周り続け、魂は不滅という訳でして。

正確には、
トゥルクやヤンシーと呼ばれる存在の様に、
人から人へと自在に生まれ変われる存在も信じられているけど。

いずれにしても、
現世での
再スタート(厳密には魂の延長線上だが)となる。

チベット仏教上、
「魂のゲーム・オーバーは無い」という考え方でござるな。

そう、
多くの場合、
喜びと共に苦悩に満ちた生が再スタートとなる。

例え、
バッタに生まれ変わったとしてもね。

厳密には、
ニルヴァーナ(ヒンドゥーや仏教等でも)、涅槃、と呼ばれる、
輪廻からの解脱、があると思うが、
それを話し出すと話が複雑になるんので、
ここでは一旦、置いておきましょう。

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一方で、
「死んだらそこで終わり」という考え方がある。

現代社会では、それが一般常識であろう。
特に現代の先進国では。

簡単に言ってしまうと、
医学的見地?に基づいた、
「肉体が完全停止したら終わり。その先は無いっしょ」的な
考え方ですな。

まぁ、
古代エジプトとかでも死後の世界感とか、
日本でも多くの国々でも、
お墓とかお盆とか、
色々な儀式等で、
形式上は死後の世界を意識した行為が実在しているし、
世に無数にあるスピリチュアル的な様々な考え方も
色々とございますが、
現代での一般的な価値観では、
「死ねば、あの世に直行で、そこでエンド」

実際、
「死ぬことが最終」と考えてるだろうね。

それが普通だろう。

だからこそ、
「一度きりの人生」という言葉や価値観が、
大いに支持されているのかもしれない。

そこには、
「死=終わり」と言う概念が根付いているのだろう。

---

ここでは、
「魂の不滅か、死んだら全部終わり」の
どちらが真実かを論じたいのではなく、
実務的に、
日常生活において、
どっちを
信じる(または重きを置く)方が、
楽(または役に立つ)のでしょうか?と言う話です。


現代社会での人生は一度きりとした時、

「一度きりの人生、だったら思いっきりやろうや」

とも、ポジティブな面では考えられるし、

「一度アウト(死)すると全ては終わりだぁぁ、恐ろしい」

とも考えられる。


もし生きる事が苦しいのであれば、

「終われば(死ねば)楽になれる」

とも考えられる。



一方のチベット仏教での輪廻。

「死んでもまた始まるんだから、思いっきりやろう。善い行いもしちゃおうかな」

とも考えられるし、

「この苦しみがまた始まり永遠に続くんでしょ、やってらんねぇぇ」

とも考えられるかもしれない。



いずれにしても、
「死」を一定の境にしているのは共通する事であろう。


ぶっちゃけさー、
死んだら実際どうなるかって誰も知らんでしょ。


でも、例えば、
僕らの手元にゲームが二種類あるとしましょう。

一つは、
一度使って、ゲーム・オーバーになると、
二度と使えないゲーム。

もう一つは、
ゲーム・オーバーしても、
何度も再スタートできるゲーム。

どちらを選びますか?


人生をゲームに例えるのは適切では無いかもしれませんが、
僕であれば、
後者を選びます。

しかも後者のゲームには、
涅槃という最終ゴールが設定されています。
そして、
そのゲームは永久に続けられます。

---

基本的に、
多くの人々にとって、
人生は苦難の連続でしょう。

「あ〜、あんなに悲惨な事があった」
「人間関係が苦しいぃぃ」
「つらい事ばかりやがなー」
とかとか無限に苦しみや悩みや疑問は生まれます。

もちろん僕だって、
悩みや苦悩は溢れるほどあり、
在庫過多で倒産するほどあります。

「良い生き方してるね」とか
「旅を楽しんでるね」とか
よく言われます。

しかし、
もちろん、
実際にはそんな気軽な事ではなく、
悩みは絶大な苦しみとして、
僕に覆いかぶさってきます。

海外の安宿で、
悲しみや、
苦しみ、
溢れ出る様々な感情を、
外に聞こえないように、
枕に顔を埋め、
大声で叫ぶ時もあります。

もう発狂寸前よね。


----

「死んだら楽になれる」

よく聞く言葉です。

「死ぬ事以外はカスリ傷」

有名な台詞です。

それは逆を返せば、
「今、生きている事は辛い」のを感じているのかもしれません。


公的な心の相談窓口は、
多くの悩み、
自らの命を絶つ事の相談がとんでもない数、寄せられるので、
繋がらないらしく、
そこで先日、
知人の友人が個人的に、
「命の電話」を開設したと聞きました。

心の悩み、
命の相談電話ですな。

今、
その電話は鳴り止まないそうです。

僕自身も生きてきて、
近くで、
自ら死を選んだ人々の話は聞いてきました。

これは異常な社会状況なんだけどね。

----

そこで僕は想うのです。

死を、
絶対的な最終ゴールをしちゃうとさー、
生きる価値観に固執しちゃう気がします。

そして、
それはある種、
もっと自分の心を苦しめる(追い込む)かもしれません。


僕の死の捉え方、
捉えようとしている方法は、

「死んだって、どーせ、また始まるんでしょ〜
現世の細かい事なんか気にしてられんよ」

です。

つまりは、

『死ぬ事すらもカスリ傷』

です。


「あー、すんごい失敗しちゃった。でも次の世界では上手くやりますよ」程度ですな。

そう考えると、
良い意味で、
どうでも良くなる時があります。

僕の場合、
現世を一度きりの絶対的な出来事として考えると、
失敗せずに上手くいく幸せ、を考え過ぎちゃいます。

他人と自分を比べる、
幸せ迷子にもなりがちです。

しかし、
もし、死んでも再スタートすると捉えるならば、
今の苦しみすら限定的な事かもしれません。

そう考えると、
アホらしく思える時があります。

まぁ、チベット仏教ベースですが、
それには、
魂の苦しみは解脱するまで永遠に続くって考え方も付随しますが、
それまで信じてしまうと、
無理ゲーを永久に続けるようなもんです。

僕は都合よく良いとこ取りをしたいです。

だって、それは自由じゃん。

ぶっちゃけ、
死生観なんて、
自分勝手に信じ込んだもん勝ちよ。


基本、
人は、
善い行いだけをして生きる事は、
不可能だと僕は思っています。

そもそも、
善い悪いの基準すら人によって決められ、
曖昧なものだと僕は思っています。

自死や安楽死すら、
今の時点では、
いや、少なくとも
全員に共通する、
「善悪の真実」なんて分かりゃしないと思うのです。

家族や親しい人々など、
「現世に身を置く側からの見解や感情」、
それらが、
自分自身と安楽死という行為を複雑にしているかもしれません。

安楽死に関しては、
国によっても国民性によっても違うのだから、
尚更ですよ。

死んでも、
また始まるから。

次の世では、
きっと上手く出来るよ。

現世の人生の展望がなく、
または辛すぎるなら、
究極論、
死んだって良いかもしれない。
だって、
価値観は人それぞれです。
それを家族や
愛する人達ではない人が、
こうだと断じる事はできない、
あくまで、議論にとどめるべきだ、と僕個人は思っています。

しかしながら、
今、悩んで死ぬより、
この今の世の命で、
得な考え方を選んで気軽に、
自分勝手に生きた方が良いかもね、
とも考えています。

命に向き合うってのは、
非常に重い行為と思想でもあるだろう。

でも、
だからこそ、
今の社会に置いて、
あえて、
時には、
そんな軽いノリで良いんじゃないのかしらね。


そんな事を思うのでした。



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変化するチベットの人々とアンティーク

2024年03月19日 | 日記



チベット仏教系の古い物は、今、
手に入りにくくなった。

渡航する度に感じる事です。

「どうして?」と
たまに聞かれる質問でもあります。

その問いの答えには、
複数の理由があると思います。

正確な原因は、
僕は公的機関や調査会社でないので、
分かりまへん。

なので、
僕が知る範囲の理由(体験)を書きます。

これらは、
アンティークというモノを通した、
チベットの人々の変化の話題でごじゃる。

----

一つ目の理由

『現地の人々の生活様式が変化した』

まず、これですな。

まぁ、簡単に言ってしまうと、
チベット仏教圏の人々は現代化して
生活も現代的になってきている、と思うのです。

僕は以前から言っていますが、
「チベットという魔法の言葉」を付けると、
日本では、
遥か遠くの、悠久の大地を駆け巡る祈りの民や遊牧民、を想像するかもしれませんが、
今は実際にはそうとも限りまへん。

もちろん、
上記の古い文化を残す生活をしている人々も、
いまだに存在するのも事実です。

しかーし、
多くの場合、
チベット人(またはチベット仏教圏の人)の生活は、
今は現代化しとりますがな。

ラダックや東チベットで、
民族衣装を着た一般人のオバハンの家に行っても、
テレビなどの電化製品はもちろん、
ペットまで居るのは当たり前でござる。


日本でも同じでっしゃろ。

戦後80年近くなろうとしている。

1940年代の日本を想像してみて欲しい。

80年ほどで、日本は凄まじく発展した。

しかし、2024年の現在でも、
日本を知らない外国人によっては、
日本は芸者が多くいて、
皆、寿司を食べ、
木造の古民家が立ち並んでいる、
と思っている外国人は多い。

確かに、
間違ってはいないが、
それらは日本のごく一部だ。

インターネットの普及で、
世界も劇的に変わった。
しかし、
思い込みのイメージは根強い。

そこら辺の説明は専門家に任せるとしよう。

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昨年末のネパール渡航でこんな事があった。

チベタンの友人に、
「最近、あそこのチベット寺院がカフェをオープンしたんだ、行こうよ」と、
誘われた。

「そーなん?じゃぁ行こう」と僕は答えた。

チベット仏教ニンマ派の大寺院の境内にあった、
広いテラスがある、その新しいカフェ。

日本のそこら辺のカフェよりお洒落である。

僕はカフェ・ラテを注文した。

友達に奢ってもらったので、
値段は分からんが、
一杯300ルピー(約330円)はするだろう。

ネパールにあって、
330円のコーヒーは一般大衆はあまり飲めない。

都市部等で現地民が飲んでいるのを見かけるかもしれないが、
それは一部に過ぎず、
全体として見た時、高級な趣向品の部類となる。


テラス席に僕らは腰を下ろすと、
少し離れた後ろの席には、
4人組のチベット人とおぼしき家族が座っていた。

友達は僕に言った。

「彼らドルパ(ドルポの人々)だよ」と。

ドルポといえば、
最奥地の秘境とされる場所である。

二人は浅黒い肌をした中年男性。
デニムを履き、現代的な服装をしている。
奥に座った若い女性も現代的な服装だ。
一人だけ老婆が居て、彼女だけ民族衣装を着ていた。

友人曰く、民族衣装がドルポの様式だと言う。

その現代的なカフェ、
ネパールの庶民にとって間違いなく高級の部類のそのカフェ、に、
秘境とされるドルポの人々も、今や、お茶をしているのである。

ドルポの真冬は厳しく、
冬場には寒さを避けてカトマンズ近郊にやってくるのである。

そう

察しの良い方なら、
もう分かるだろう。

彼らは意外に金を持っている。

(では、なぜ金を持っているのか?という問いには、
ここでは省略しますのです)

昔のように皆、極貧ならば、
少額でも現金が必要不可欠で、
自分達の持ち物を積極的に換金化する行為も多かったと思う。

しかし、今や、
一杯300円以上のコーヒーも家族で飲める
経済的観点から、
大切な伝世品を安く手放す、その必要性は低くなった。

厳密に言うと、
今でも所々で持ち物の換金化は行われているが、
その数や品物のクオリティ、頻度は年々減少していると言う。
僕自身も行くたびにそれは感じる。

そして、
換金化が可能な、
『古い物も自分達の手元には少なくなった』のは、よく聞く話だ。

これが二つ目の理由だろう。


世界中の多くの国々と同様に、
手間も時間も必要な伝統的な物作りは
数が減っていっている現代。

安価で便利な物を求める。

それはチベット仏教圏の人々にとっても、
僕が知る限りでは、例外ではない。

日本に例えると、
祖母が着ていた着物を手放し、
ユニクロを買う的なノリかしら。
ちょっと違うかな。


生活の向上と、
換金物の欠如

この二個の理由


そして、中国市場も大いに関係しているだろう。

それが、三つ目の理由になるかしら。

10数年前(15年前以上は詳しく知らん)から、
中国圏のお金を持つ層に、
チベット仏教の物は広く人気になり、
その圧倒的な需要(求める人数)は、
かつての一部の欧米人コレクターや愛好家たちの数の比ではないのは、
想像に容易い。

結果として、
『現在流通している物の金銭価値の上昇』が起こった。

金額が勢いよく高騰するに伴い、
市場流通している物の数が減っていった。

そして、
時代の変化・現地民の生活様式の変化と共に、
供給される量も少なくなった、
というより、底が見え始めた。


それらを認識した現地の売買業者たちは、
安く売る事をしなくなった。


個人的には、
それらが外国人である僕らが、
チベットのアンティークを手に入れずらくなった理由と思える。

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1970年代には、
チベットの古い物は、
今では信じられない安い金額で大量にあったらしい。

僕自身も、
当時のチベット本土への渡航歴のある、
年配の欧米人旅行者に会った時、
何度か聞いた言葉である。

ラサのバルコル周りに、
今で言う所の古物屋たちが集まっていたと言うのは、
よく聞く話だ。

チベット本土だけではなく、
ネパールでのチベット・アンティーク売買においては、
1960年代、またはその前後、1970年代とか
仏塔周りに古物を売り出した人が集まったのが
始まりと言われるらしい。
(正確には知らんが)

その生き残りは、一部で、
ファースト・ジェネレーションとも呼ばれる人々ですな。

1950年代とかのカトマンズの今のチベット人地区の写真を見たならば、
何にもないド田舎って感じです。

ラダックであっても、
30年前でも、
「古い物はドンドン入ってきた」
「今ではサッパリだ」と、
現地で40年商いをする知人は言う。

30年前って言ったら、
意外とごく最近でっせ。

1990年代とかだよ。

チベット本土であっても、
東チベットであっても、
その発展ぶりは、
日本のそれとは遥かに上回る凄まじい勢いで、
空港はできるは、
高速道路は通るは、
です。

以前も書いたけど、
年単位ではなく、
週単位で日々変化していっている。

ザンスカールやラダックの奥地であっても、
道路の建設や、
電線が通り出した。
(数年前まで奥地は太陽光発電だけだった記憶がある)

そんな勢いで、
変化していっている生活に置いて、
アンティークが勢いよくドンドンと、
新たに村々や地方や民家から
今でも出てくるのでしょうか?

彼らは安く手放すのでしょうか?

手放さないよね。

出ても来ないよね。

もう出尽くしたに等しいよね。

普通に考えて。

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彼らは、
祭事時以外で、
今や、若い世代は民族衣装も着なくなっている。

数珠だって、
50歳、60歳代、70歳代になる世代が愛用していて、
普通の若者が日常持ち歩くのも少なくなっている。
少なくとも、
プラスチックの数珠などに、
簡易的な物として変化して行っている。

親はオールド・スクール、
子はニュー・タイプ、
と言う感じだ。

その次の世代、
または、
その次の世代では、
民族衣装を日常着込む姿や、
数珠を日常持つ姿などは姿を消すと思えてならない。

そう

チベット仏教圏において、
今が、世代交代、
「伝統文化の変化の境」にあるように思えるのです。

今がその時

そう思えるのです。

それを
良いとか
悪いとか
評価や意見する権利は、
もちろん、
僕には無く、
ただ、そう感じる、という個人的な印象なのです。



終わり。


※冒頭のコーヒーの写真は、
文中に登場する寺院内のカフェとは違うカフェでの写真です。




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