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旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

世界の奇妙な旅行者たち

2025年02月07日 | 旅行




僕が出会ってきた、
面白い旅人たちを書きます。

彼ら彼女らは
奇妙であり、
愛らしく、
興味深い人たちです。

まず始めに、すごく面白い人生を送っている人々は、
インターネットで自分を発信しない事が多いです。
ド変人たちが日本語で発信する事は、特に少数になってしまいます。

しかし、僕の経験上ですが、面白い旅行者は沢山います。
彼ら彼女らは積極的に自分を発信していないだけです。

そこで、気合の入った真の変人たちをザックリ書きます。

紹介する意味を最後に書きます。

--

Sさん

日本人です。
彼は海外への渡航を繰り返して31年です。
今年で32年目かな。

31年間、
一年の半数を海外で過ごしています。

もはや異常者です。

もし綺麗なスーツを着れば、
青山や六本木あたりなら、
やり手の会社員に見えるであろう男前の顔立ちと鍛え抜かれた肉体です。
しかし普段は軽トラに乗り、着込まれた服装をしています。

「次に日本に戻るのは春頃かな」と季節単位で旅をします。
一般とは逸脱してしまった系です。

海外で警察に捕まった経験や、
ポルトガルに家を買おうとした話など
面白いエピソード満載です。

彼もSNS等での自己発信はしていません。

もちろん英語は流暢に話します。

--

ハンク

オランダ人です。
ネパールの同宿の常連です。
博学で、70歳になろうとする今でも好奇心旺盛です。

ボランティアでネパールの貧困層のため
学校を複数作り運営や数々の支援活動をしています。

アムステルダムでエリートだったのに、
アジアの旅行で、深夜も働く幼く貧しい子供たちを目にして、
「そこで初めて世界の現実を知った」と言い、
その後の生涯を支援活動に捧げています。

貧しく教養のない子供というのは、

「もっとお金や、良い環境を欲しがる」
「その願望を無償提供されないと、怒りの対象は提供側に向く」

と、彼はボランティア(または支援活動)の影の側面を言い、
恨まれようとも長年続けています。

物静かな瞳の奥に、尋常じゃない熱量があります。

---

ジミー

チベット人とシェルパ族のハーフです。
アンティーク業者でジービーズのディーラーでもあります。

常に旅をしています。

「あんな旅する奴は他にいない」と
旧友のソナムは評していました。

ネパールではもちろん、
成都やラダックでも
偶然会った事があります。

イカツイ顔面の作りと、
腕に大きなタトゥーがありますが、すごく良い奴です。

昨年、ネパールのチベット人地区の奥にカフェをオープンさせました。

父親は芸歴の長い百戦錬磨のアンティーク業者です。

---

Aトゥール

ドイツ人です。
8ヶ国語を流暢に話します。
バイリンガルやトリリンガルを遥かに凌駕するマルチリンガル(多言語話者)です
突出した知性派で、愛に溢れた文章を書きます。
高身長でイケメンです。
ドイツの知性派イケメンのレベルを知りました。

以前はイビザ島の遊び人の富裕層と戯れていましたが、
今は落ち着いたようです。

性格は穏やかで、今は東南アジアを旅してます。
ココナッツの生ジュースにハマっているようです。

---

クリスとアフィヨン

フランス人カップルです。
もはや説明できません。
何十年、旅しているか分からないイケイケ系の旅人です。
アンティークの知識に秀でていています。
フランスの家の写真が送られて来ましたが、とんでもない森の中でした。
容姿を含め、日本には絶対居ないタイプです。

---

Uちゃん

美人です。
問答無用の美人です。
ブラックピンクのジェニーに似ています。
スタイルも良く、色気を振りまいています。
ロシアと韓国のハーフです。

世界を股にかけて何かをしています。
以前、仕事を説明されても分かりませんでした。

少し前に、ドバイで超セレブな生活を送っていたかと思えば、
今は何処か他の国でワインを飲んでいます。

男を狂わすその美貌とは裏腹に、性格は個性が超絶に強いです。

意外と情に厚いです。

---

デイビット

イギリス人です。
70歳を超える年齢なはずです。
若い頃はカメラマンとして30年以上、世界を旅してました。
ネパールには20年以上住んでいます。
真偽不明ですが、50年は旅をしているのでしょう。
今では腰が悪くなり杖をつき、なぜかラスタカラーのリストバンドをしてます。

噂話や現地情報に精通し、
現地民が売った家の価格や、その後の状況まで知っています。

ネパールのチベット人地区での欧米人界隈では、
ちょっとした有名人です。

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ピーター

ベルギー人です。
彼も僕の定宿の常連です。
アゼルバイジャンに住んでいたり、各国を転々としてます。
世界、特にヨーロッパの情勢に詳しかったりします。
政府の仕事をしている以外は彼の仕事は知りません。

情勢に詳しすぎるので、政府の何かのエージェントと僕は感じていますが、
特に突っ込んで聞いた事はありません。
チベット仏教徒です。
いつも濃い目のサングラスをかけています。

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S

南の島在住の日本人

イギー・ポップを自称してます。
僕は、華道家の假屋崎省吾に似ていると思いますが、独特の雰囲気があります。

長い付き合いです。
年末に東京に来て飲んだ時、恵比寿で川を眺めていた際、
その間に皆んなが居なくなってしまい、
「マジックにあったかと思った」と言う天然系天才です。

オーストラリアに行ったきり戻って来なくなった過去を持ちます。
変則的な旅人生を送ってます。

南国に住むのにVANSONの革パンを履くお洒落男です。
酒に飲まれがちです。

バンドをやっていて、最近売れてきたようです。

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他にも、東欧に移住したデジタルクリエイターのシンガポール人女性、
27年間ノルウェーに住む台湾人や、ドイツ在住のウクライナ人の美人女性、
中国を離れた中国人、
夏の地を渡り歩き長年旅するリモートワーカーのフランス人のモモ、
良い写真を撮る芸術家肌のイラン人などなど

挙げればキリがありません。

各々、興味深い旅と人生をしております。

---

僕の元には様々な問合せやメッセージが裏で来ます。
意味不明のメッセージ(マウントを取ったりする)も来ます。
裏で攻撃してくるクソ野郎もいます。

それ以外にも色々な連絡がきます。

「現地で銀1gは幾ら?」から始まり、
「生きる事の相談」や、
「ジョージアってどうですか?」、
英語や中国語で「インスタの〇〇は幾ら?」まで。

多くはSNS経由での事です。
送り主を見ると、鍵垢や投稿なし、顔や名前を出さないアカウントなので、
答えようも無い状況が多いです。

答えたとしても、僕の言葉が役に立つのでしょうか。
コミュニケーションが成立するのでしょうか。

だから、ここで言いたいのです。


上述した世界の旅行者である、彼ら彼女らと会って話をしたり、
離れても、定期的に連絡を取り合ったりして知るのは、
それぞれの悩みや葛藤があります。

強烈な個性を持った世界のド変態たちでさえも、
みな、足掻きながら、人生を楽しんでおるのです。

国籍特有の問題もありますが、
一個人、同じ人間としての悩みもあります。

僕自身も、世界の物語の一部なのです。
生き残る為に必死で足掻き行動しております。

行動すると、もちろん失敗もあります。
僕も笑えない失敗を人生で数多く繰り返しております。

ただ、SNSだけの世界に居たり、
自分の環境の周りだけを気にする必要はないと思えるのです。

だから僕も気にしちゃいられません。

面白い人間模様の風景が
世界には広がっているからです。


そう思うのでした。



コメント

旅路のトラブルの歴史

2025年01月19日 | 旅行




ちょっと息抜きです。
フィクションとしてお読みください。

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「危ない事とかなかったですか?」

たまに聞かれます。

こんだけ海外旅行を繰り返しているので、
聞かれる事もあります。

結論から言います。

「無いです」

命の危険に関わるような事件は、
今までの長い旅で経験した事はないです。

そもそも、マジで危険な地域には行きません。
行きたくもないです。

一斉摘発前の何年か前までのエルサルバドルとかの
ギャング抗争地域とか行った事がありません。
行きたいと思った事もございません。

そーゆーのはアメリカ人の
冒険系youtuberか報道に任せます。

断崖絶壁ギリギリを猛スピードで爆走するバスに
乗ったりするのは、僕的には危険とは言えません。

本来、僕は、
パリのお洒落なカフェで小指を立てながら、
エスプレッソを飲んで優雅な旅をしたい派です。

だが、
いつの間にやら、
ド辺境に行くようなハメになってしまいました。

何故かしら?といつも自分に問うてます。

そりゃ、今まで、
大揉めしたり、
囲まれたり、
野良の大型犬に噛まれたり(→過去ブログ参照)、
大喧嘩したり、
深夜に警察の聴取を受けたり、
喧嘩に巻き込まれ、誰かが投げたガラス瓶の破片で流血したり、
と色々とありました。

あの安全な国ジョージアですら、
メトロの出口で、二度も職務質問を受けました。
初ジョージア時には、ウェルカムな筈の入国審査ですら、
個別に取り調べを受けました。
何故に...


東チベットから中国圏の超マイナーな街に戻って来た時、
バス停にたむろする客引きに、
ワクワクしながらついて行ったりもしました。

連れて行かれたのは、
薄暗い雑居ビルの入り口

狭いエレベーターに乗った先は、
闇経営の宿でした。

結果、何も起きませんでした。
むしろ凄く親切で、部屋も清潔そのもの。
何なら、翌日、バス停まで笑顔で送ってくれました。


ある時、
エジプトのカイロの下町での深夜。

エジプトに7年住んでいたアメリカ人の友人マックが
「あそこら辺は悪夢だ」と評する場所

怪しげな人が行き交い、
ネオンが光る混沌の裏道

そこをアホな僕は当時、夜中に散歩してました。

理由は忘れましたが、
エジプト人の不良たちと揉めました。

服は引っ張られるわ、
腕は掴まれるわ、
で散々だった思い出があります。

でも無事でした。


ある時は、インドでの事。
もうだいぶ前です。

僕は疲れ切った体で、
リキシャ(三輪オートタクシー)に乗って駅に向かってました。

土煙が舞い上がる小汚い駅に着くと、
お釣りを渡さないドライバーと揉めました。
インドではお約束です。

今ではウーバーの普及で移動も快適ですが、
当時はそんな便利なものはなかったので毎度交渉です。

もちろん、親切なドライバーも多いですが、
地元インド人もリキシャドライバーは厄介だと思っていると、
インド人の友人に少し前にも聞きました。

まぁ、地域にも寄ります。
今やサウスデリー辺りは品の良いリキシャドライバーもおりますが、
その時は、何処か田舎の都市でした。

結果、大喧嘩です。

僕を振り切るドライバーの手が、
思いっきり僕の顔に直撃しました。
めっちゃ痛かったです。

さらに逃げようとするので、
僕は彼の顔面に右ストレート(右フックだったか?)を叩き込みました。

プビー、と彼は鼻血を吹き出しました。

あ、やべ...

とかは、当時の僕は思わず、
さらに、ドライバーの白いティーシャツを引っ張り、
ぶん回しました。

プンスカしながら駅に向かった思い出です。


日本でパワープレーをすると、
超面倒くさく、大ごとになるので、
やってられません。
絶対やりません。

しかし、
日本以外の路上を彷徨う場合、
(今や日本でもかな?)
多かれ少なかれトラブルは付きものです。
話は全く通じない、理不尽な現実は多いです。

それらの対象は日本人に対してだけに限らず、
たまに泣いている欧米人の若い女性バックパッカーも見ます。
弱く見られる人からやられます。

黙ってていると、やられ放題です。
力技はダメですが自己主張は必要です。
状況次第ですが。

ただ、
個人個人が揉めると厳しく罰せられる一方で、
世界では、ミサイルや自爆ドローンをバカスカ打ち込んでおります。
不思議です。


20代前半の頃の僕は、
ロンドンの安宿で言い合いしたり、
アムステルダムで薬物中毒者と喧嘩したり、
ニューヨークで強盗からダッシュで逃げたり、
インドで乗っていたバスが爆発したり、
リスボンの裏町で闇取引したりと、
まぁ、色々な事がありました。

「日本人は大人しいはずなに、お前は違うな」と
イビザ島へ向かうスペインの、
空港の搭乗カウンターで言われた事もあります。

褒め言葉と取りましたが、
面倒くさい系だな、という意味だったのでしょう。

イスタンブールでは、
金がらみで腹の立つ思いもしましたが、
基本は穏やかな日常でした。

因みに、旅行者の間でウザイと言われる、
モロッコでは嫌な思い出はありません。


病気で大変だった事は何度もあります。

卵での食中毒で動けなくなったり、
何かの病気で苦しんだりと、
色々ありましたが、
おおむね、
大した事はなかったです。
全て、今となっては良い思い出です。


今まで多くの思い出がありますが、
過去一番の恐怖は、
以前付き合っていた女性に、
部屋の中で包丁を出された時かな。



適度なトラブルは、
旅の香辛料です。

後々、笑い話になれば、
それで良いよ。


そんな感じでした。


終わり。



コメント

ネパールの「世界で最も美しい谷」ランタン谷トレッキング

2025年01月17日 | 旅行




ネパールでのトレッキングです。

かつて、イギリスの探検家に
「世界で最も美しい谷」と形容されたランタン谷です。

世界で一番かどうかは分かりませんが、
ランタン谷のトレッキング編です。

冬に差し掛かる、2024年11月中旬です。

どんどん書きます。

---

ネパールへの渡航数日前に、僕はトレッキングを決めた。
急いで、登山靴やベースレイヤーなどの登山用具をスーツケースに放り込み、
適当に見つけていたカトマンズのトレッキング・オフィスへ連絡をした。

「来週カトマンズへ行くよ。トレッキングをする。オフィスで会おう」

僕はオフィスのオーナーにメッセージを送った。

細かい取り決めなどは一切していない。
大体の工程と予算確認などだけ、
whatsappでオーナーと軽いメッセージのやり取りをしていただけだった。

前金の送金や、確認書などの事前手配はしていない。
トレッキングに行くかどうかも直前まで決めていなかった。

一応、先方からは確認書の必要・不必要など聞かれたが、
僕の定宿を彼が知っていた事もあり、
「トレッキングをする場合は連絡する。現地で会う時に全て済ます」という内容で合意していた。

アンナプルナBCも、
プーン・ヒルも、
ラダックのマルカ渓谷トレッキングの時も、
事前手配らしい手配はした事がない。
他の人はどうやっているのだろう。

因みに、
ネパールでは、決まりとしてガイド必須になりましたが、
ランタンでは、
ガイドも誰もつけないで登っている人も、
チラホラ見かけました。

----

カトマンズに着くと、
僕はタクシー・ドライバーの客引きたちを振り切り、
大通りに出て、適当にタクシーを捕まえて宿に向かった。

いつもの宿では
「ウェルカム・アゲイン」と言われ、
慌ただしく荷物を置くと、
僕はオフィスへ連絡をした。

「カトマンズに着いたよ。今からオフィスへ行くね」

「オーケー、オーケー」と
電話の向こうでは男性オーナーが言う。

繁華街の三階にあったオフィスで、
軽い挨拶と、
事前合意していた金額を支払い、
ガイド兼ポーターの紹介を受けると、

「じゃぁ、明日の朝7時に」と告げ、
足早に僕は宿に戻った。

ランタン谷は山に慣れていれば、
特段、ガイドは必要とは思えないが、
僕はソロ・トレッキングにこだわっている訳でもなく、
荷物を持って欲しかったのでポーターが必要だった。

因みに、
ネパール登山での人件費は、
ガイドが一番高く、
その下が、ガイド兼ポーター
一番安いのがポーター

ガイドが一番経験があり、
ポーターは基本あまり英語が話せない。
皆、普通はポーターからキャリアをスタートさせる。

僕はガイド兼ポーターを依頼していた。
支払いは、円高の時に両替していた100USドル紙幣が何枚か残っていたので、
それでまかなった。

---

翌朝、憂鬱な顔をしたガイドのハリーと待ち合わせをして
タクシーでバス停に向かった。







バス停という名の路上。
カトマンズにはバス・ステーションは幾つかあるが、
ここは単なる大通りに面した路上。
そこにシェア・ジープやバスが数多く集まる。




最前列の近くに陣取る。

トレッキングの出発点、シャブルベシまで、
約8時間の道のりです。






休憩
チヤ(ミルクティー)を飲む。






シャブルベシ到着。
結局、ドア to ドアで10時間近くかかった。

トラックの停車している駐車場の奥に安宿が並ぶ。
一泊約550円

因みに、ランタンは国立公園内。
入域料金は、外国人3300円。
入り口ゲートの看板を見ると、ネパール人は110円だった。
さすが観光立国。
差がえぐい。

さて、明日からスタートだ。

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朝早くシャブルベシを出発。
谷の奥へと足を進める。
初日は楽です。
大したアップダウンもないです。




長い橋を渡る。






よく見ると、崖に蜂の巣がある。






休憩です。
バンブー辺りかな。
道中には茶屋が点在してます。

ミルクティーを飲み、すぐに出発。



・・と思ったが、
巨大なマリファナがあり、記念撮影。
野生です。
もはや樹木です。




バンバン、森の中を進みます。

急激な便意をもよおし、
森の中で用を足す。

チベット奥地とかでの今までの野外トイレの経験上、
ティッシュは自然分解する良い紙を使った。

結局、道中にトータルで3回、ネイチャー・トイレをした。
自然の中での排便は気持ちがよく、癖になりますが、
大便はトイレでしましょう。




馬です。
お仕事中です。
運搬、お疲れ様です。




道端で出くわす。
茂みの中から突然出てきて、
お互い、わー、とびっくりする。




到着。
初日の目的地ラマ・ホテル
山小屋泊です。
7時間くらい歩いたかしら。




山小屋のキッチン。
一泊550円。トイレ別。
電気もなし。wifiもなし。



食堂。
ネパールでは韓国人の登山者も多く、
彼らはポスターとかを山小屋にバンバン貼っていく。
個人的にはヒマヤラの風情がなくなるからやめて欲しい。



食事は高いです。
ラマ・ホテルは、モロに山小屋だが、
何故か、ここから更に上(奥地)に行くと、宿のクオリティは高くなる。

山小屋は他の各国の登山者達で満員だった。
たまたまこの時は、アジア人は僕一人。
フランス人が多かった印象。

イタリア人の若い女性や、
フランス人親子、
スペイン人のDJたちと夜中まで話す。
特に、イタリア人の女性と話が盛り上がり、仲良くなる。
フランス側アルプスに住み、山の仕事をしているとの事だった。

こういった交流が、何より楽しい。




翌朝、出発。
山の犬(各山小屋で飼っている)が先導する。
さすが、山の犬。歩くのが早い。




森から山が見える。




休憩。
入域許可証(パーミット)の確認箇所らしい。
地名は忘れた。
犬くんはここまで一緒についてきた。




猿です。
パーミット確認所を越えると、
動物大集合。





ここら辺は花が咲き、
ヒマラヤの自然を感じられる。




馬くん達ものんびりしている。




2015年、大地震が起きた時に、
ここでの地滑りで多くの人が亡くなった。
悲しい自然災害の事故でした。






二日目の宿泊地ランタン村に到着。
村というより集落。

歩きは6時間くらいだったかな。

ランタンの宿は綺麗で、
こんな奥地で、熱いホット・シャワーが出た事に驚いた。
wifiもあった。

この辺は大地震で昔の宿は潰れてしまい、
今あるのは新しく建てられた宿らしい。




夕暮れ。
ランタン村で一泊する。
宿は快適。

同宿だったバンコクに住むイギリス人と食堂で話し、
タイの情報を得る。
スクンビット周辺で1ヶ月の家賃は500ドルくらいとの事。
彼は昔に、アソーク地域に部屋を買ったらしい。頭が良い。
今は高騰して、普通は買えないだろう。






翌朝、7時前に宿を出て、
キャンジン・ゴンパへと向かう。




天気が良い。
朝晩はすごく寒く、ダウンは必須。
宿には布団があるので、11月中は寝袋は不要。
そもそも寝袋は持って来ていなかった。








雰囲気がございます。
バリバリのチベット仏教圏であるのを感じさせる。




半家畜や野良の動物がおります。




牛くんです。








ランタン村を出て、
三時間くらいでキャンジンゴンパに到着。
余裕です。




キャンジンゴンパ集落の全景
ここで標高4000mくらいかしら。






ヤク君たちです。

ネパールやチベットでの、
高地の動物といえば、ヤク。

ヤクと牛の勾配種「ゾォ」も居る気がする。
どうなのだろう。

チベットで見たヤクとは少し違う。
ヤクにも何種類かいるとは聞いていたが、
ランタン地域のヤク種だろうか。


1時間くらい休んで、
このトレッキングの目的地、
キャンジン・リに登ることに。



写真上部の、
とんがった先端の頂上が、キャンジン・リ。




キャンジンリへの途中からの景色。
巨大な氷河が見えます。

以前書いたが、この先に集落や村はない。
先に行くと、チベット本土です。

スケールが雄大すぎるので、
遠近やサイズがバグるが、
登山道はかなりの急勾配で標高も高いです。

高度順応のためキャンジンゴンパで一泊してから、
翌日にキャンジンリに登る人も居るけど、
僕は体調が良く、疲れてもいなかったので、
その日のうちにキャンジンリへ登る。










山頂です。

標高4400m

頂上では猛烈な突風が吹いておりました。

天気は晴れ渡り、
雄大にそびえる山々が美しかったです。

正直に言うと、
個人的には、
山の山頂には突出した思い入れはないが、
流石にここまで来ると、
「おー、すげー」と感じます。




神々しい。




記念撮影。




登る途中。

登っているので体は暑いが、
風が強すぎる。

寒くてハードシェルを着込む。
ハードシェルは久々に着たが便利ですね。

予備で持っている、マウンテン・イクイップメントのハードシェル。
アークテリクスのシェルは日本に置いてきてしまった。



ついでに足元。

ラ・スポルティバです。
一足目は壊れて、二足目です。
スポルティバは素晴らしいです。

アイスブレーカーは、山より、旅で愛用していて、
長期間着ていても匂わず、本当に優秀と思う。

因みに、ランタン谷ではトレラン・シューズの人も見かけました。
HOKAのスピードゴートが多かった印象です。




話を戻して、
キャンジン・ゴンパのヤクチーズ工房です。
冬季なので閉まっておりました。




地元のオバハン達と会話したり。
タバコ吸ってるがな。

ここでは高級品のタバコをあげたら、
気に入られて、色々話す。
首に巻いた石類の、年代や、摩耗具合とか見せてもらったりした。

言葉は通じなかったので、
ガイドのハリーに通訳してもらった。
この頃にはハリーと打ち解け、彼は仕事を果たす。
良き時間。




夜は満月でした。




キャンジンゴンパで一泊して、
山を降りる。

登りと同じルートで、出発点シャブルベシへ戻る。
くだりは二日間の日程。
キャンジンゴンパからラマホテルまで、一気にくだる。
約8時間くらいかな。




大麻ですな。
標高を落とすと、
野生の植物が青々しく茂っている。








山の自然は美しい。

僕は、
道中の自然の色や、
風や木々の香り、岩や木の感触、
木の実の野生的な味、
各国の旅人や、現地民との会話など、
それらに触れること、
それらを感じられる事、
が嬉しいのです。


ラマホテルで一泊し、
シャブルベシまで戻り、
シャブルベシでトレッキング終了。

宿では、イギリス人カップル、
ノルウェーに27年間も住む台湾人女性と
夕飯を一緒に食べる。
それぞれの国の状況を話し合う。


翌朝、ローカル・バスでカトマンズへ戻る。

キツイと言われる、ネパールでの長時間のローカル・バス移動。

爆睡していて、
気が付いたらカトマンズに着いておりました。

---

カトマンズの宿に戻って、
熱々のシャワーがたまらんかった。

心地よい疲れとやり切った感もあり、
やっぱ楽しいな、トレッキングは。

ただ、僕は、少し休んでから、
買い付け仕事をしなければならない。
あの、大金が絡む、
修羅の世界へ戻らなくてはならない。

トレッキングは、
僕の旅の一部、重要な一部ですが、
過程に過ぎないのです。

全ては、
旅の物語。



旅は続きます。


以上、ランタン谷のトレッキングでした。


コメント

ラダックでマルカ・バレーのトレッキング2

2023年09月06日 | 旅行



トレッキングの回、続編。
この回で終わりやす。

サクッといきます。

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4日目
ハンカール2からニマリン・ベースキャンプへ。







ひたすら美しい大自然の中を歩く。
ここら辺は本当に美しい。

個人的にはネパールのアンナプルナより歩いていて楽しかった。

ハンカール2からは、登り道が多い。
と言うよりほとんど登り。

標高は4000m以上。

同行したアリスは、
「息ができない!」と言って苦しんでいた。

僕とガイドにかなり遅れて登ってきて、
「遅くてごめん」と言いつつ、
高山植物の写真を撮りながらマイペースで来ていた。
さすがフランス人。

ベースキャンプ付近は動物天国で、
野生のマーモットやウサギ?ネズミ?類や、
馬、ヤクなどで溢れている。



ベースキャンプ到着。
6時間くらい歩いたかしら。




本日はテント泊。

二マリン・ベースキャンプは、
標高4841m

結構な標高なので高山病の症状が出る場合があるだろう。

ベースキャンプには、
残雪の6000m級の山々に単独でアタックする強者も居る。

改めて、マムートやアクテリクスは彼らが着るとカッコ良さを増すと感じた。
軟弱ハイカーの僕がアークテリクスを着ていると「なんだかなー」と感じる。

他の宿泊地同様にぼっとん式のトイレもあるが、
ベースキャンプのトイレはかなり汚いです。

他の隊のガチ系の経験豊富なガイド達と話し、
「僕らは山が好きだが、山は僕らの事を好きではない」と
言っていた言葉が心に残る。
深い。


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5日目

ベースキャンプから標高5300mの峠越え。
峠からチョグドへ。

4800mから5300mへひたすら登る。





景色がダイナミックすぎて、一見、なだらかな丘に見えるが、
実際には急登。



こんな感じ。

標高5000m近い。




ズドーン。
峠の上に到着。
標高5300mやー。
いや正確には5200mちょいか。まーいーや。

ただただ美しい。

僕は高地順応がうまくいったのか、
比較的、楽に登る。
同行者のアリスは苦しそうだった。



タルチョ、たなびく。






一休みしてチョグドへ。
ひたすら下り、砂利道を歩く。







峠を越えてからが結構、長距離。
川を複数渡る。
浅いように見えるが、結構深い。流れも急。
幅の広い川もあり、飛石をジャンプしながら越える。
落ちたら笑える。
ここは体力より運動神経の方が重要な気がする。

アトラクション満載で楽しい道。

後ろ姿で見えるのが、僕らのガイドさん。
超経験豊富のプロのガイド。
ラダックのガイドには半素人ガイドも居るが、彼はガチ系。





荷物運搬してる馬さん。
すごい急な坂道も昇り降りする。
お疲れ様です。

なお、僕らは馬が降りてきている道を登る。
急坂です。



チョグドへ到着。
6時間位かかったかなー。

写真の時は曇りだが、
ほぼ晴天で心地よかった。

普通はチョグドからレーへその日のうちに車で戻る。
僕らは翌日ゴンパ巡りするので、チョグドで宿泊。

チョグドでは客待ちの車(ジープ)が複数います。

めでたくトレッキング終了。

お疲れ様でした。




コメント

ラダックでマルカ・バレーのトレッキング

2023年09月05日 | 旅行



さて、ラダックです。
アンティーク関連の投稿ではなく、
トレッキングの回です。

「はぁ?オメーは仕事の渡航だろ、遊んでんじゃねぇ」と
言われそうだが、僕は旅自体が仕事でござるよ。

トレッキング前には色々、下準備をしているのです。
色々な知人、友人に声をかけ、
良い物を集めてもらっているのです。

店で、その場の物を買うだけが僕のスタイルではないのです。

詳しくは書かないが、
店で置いてある物を買うのは簡単ですからね。

インスタグラムとかでは全然言っていない、
水面下で色々と動いていたのです。

言い訳はその辺にして、
トレッキングにゴー。

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行き先はマルカ渓谷。

ラダックでトレッキングでは、一番有名なルートではないだろうか。

日数は6日間。

ぶっちゃけ、マルカ・バレーは6日間も必要はない。

6日目はゴンパ(チベット寺院)巡りをしたし、
ルート自体は3泊4日で十分踏破できる。

強ければ、2泊3日や1泊2日でも可能だろう。
ただ、1泊2日はアスリート・レベルだろうけど。

とは言え、3500m以上のルート
5200m付近の峠も越える絶景が待っている。

ゆっくり行きたかったので5泊6日。

ルートは下記。

1日目 Leh→Skyu→Sara
2日目 Sara→Markha
3日目 Markh→Hankae2
4日目 Hankar2→Nimaling Base Camp
5日目 Nimaring→Chogdo
6日目 ゴンパ巡り Stakna-Matho-Stok → Lhe

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1日目

レーを早朝5時頃に出発して車でスキュヘ。
スキュからトレッキングがスタートとなる。



スキュまでの車窓からの景色。
レーから少し離れると、
いきなり大荒野になる。
天気は曇り。





スキュからサラまでは車道(砂利道)を歩く。
このルートは歩いていて、つまらない。
ラダックの大自然の景色は広がるが、
もはや僕は見慣れてしまっている。
道も平坦なので楽。

道沿いには今や電線が通っていて、電柱が並ぶ。
遠目には大荒野だが、ちょっと目を移すと文明を感じる。
時代の流れ。



スキュからサラへはすぐに到着する。3時間もかからなかっただろう。

僕らはサラで一泊したが、
宿泊する必要はあまりないと思う。

スキュからマルカまでその日のうちに行く事は十分できる。
サラは見どころ全く無し。
家が2軒くらいあるだけの場所です。

なお、ここでも3400mだったかの高地なので、
いきなりレーに到着後にトレッキングに行くと、
高地順応も必要。
この後の標高はドンドン上がります。



ホームステイの寝室。
宿泊客はいなく独占。

当たり前だけど、
ルート上に豪華なホテルなどは無いです。
全てホームステイかテント泊。

因みに、僕はレーで同宿だったフランス人のアリスと一緒にトレッキングに行った。
ガイドをつけたのでシェアしようと言う事もあり。
彼女は女性なので部屋は別々。

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2日目

サラを出発後、二日目の宿泊地マルカ村へ。
道は平坦。

天気は晴天。
ダイナミックな景色が広がる。










川も複数渡る。
結構、流れは強い。
今年は異常気象で乾燥地帯のラダックにも雨がよく降る。
膝上まで水があるが、これでも少なくなったらしい。
一週間前には川が増水して水量がかなりあったとの事。




マルカ村。
あっという間に到着。
つらい道もない。
5時間もかからなかったと思う。

黄色の花が咲き誇り、ただただ美しい。





村は谷間にある。
写真だとスケールが伝わらないが、
背後の山は圧倒的な大きさ。



マルカ村。



マルカ村のゴンパ(寺院)内にあったストゥーパ(仏塔)
ターコイズが美しい。
勾玉型のターコイズもある。
許可を得て撮影しています。



ホームステイでの夕食。
ラダック版パスタのチュダギ。
劇美味でした。

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三日目

マルカ村からハンカール2へ。
2としているのは、ハンカール村は二ヶ所あり、
ハンカールから1kmくらい先に行った場所がハンカール2。
正確には地名があるかも知れないが、
ハンカールまたはハンカール2と呼ばれていた。

割と長距離歩くが、
トレッキングに慣れてる人であれば余裕であろう。
ただ、ここは4000m付近の高地。
順応してなくていきなり来ると歩くのは大変かも知れない。





祈りですな。



登り。
崖ですな。



ハンカール2からの景色。
素晴らしい荒野。
だが、
この辺になると見慣れてしまって感動が薄い。



よく見なければわからないが、
丘の上にそびえるハンカールの宮殿。

個人的には城跡だと思うが、
「宮殿だ」とガイドさんは言っていた。

近く見えるが、遠いい。
スケール感が狂う。



ハンカール2のホームステイの家。

日にちに余裕があるので、
一日一日の工程は短く、到着後ゆっくり過ごせた。
のんびりお茶を飲み、素晴らしい午後を過ごす。



居間。
結構、立派である。
因みにwifiとかネット環境はないです。

ハンカールで若いイスラエル人グループと出会す。
ガイドをつけず、トレッキングにも全く慣れていなく、
かなり気軽な雰囲気だったので、
僕らのガイドが心配していた。

つい先日もガイドを付けない外国人が道中に骨折してしまい、
大使館を巻き込み大騒ぎとなり、
結局はヘリで輸送されたらしい。

個人的には、体力的にもルート的にも難しいルートとは思わないが、
標高4000m以上、5000mも越すし、行き交う人も少ない。
乾燥もしている。

トレッキングに慣れていれば話は別だが、
もし、初心者で単独(一人)であれば、
シェアする人を見つけて、
ガイドは付けた方が良いかもしれない。
まぁ、個々の自由ですが。

因みに、レーのトレッキング屋では、
シェア希望の張り紙がされていたり、
トレッキング屋ごとに人数募集してたりします。

トレッキング屋は、チャン(グ)スパ・ロードや、
アッパー・トゥクチャ・ロードにも複数あります。

続く。


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