旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

ラダックでマルカ・バレーのトレッキング2

2023年09月06日 | 旅行



トレッキングの回、続編。
この回で終わりやす。

サクッといきます。

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4日目
ハンカール2からニマリン・ベースキャンプへ。







ひたすら美しい大自然の中を歩く。
ここら辺は本当に美しい。

個人的にはネパールのアンナプルナより歩いていて楽しかった。

ハンカール2からは、登り道が多い。
と言うよりほとんど登り。

標高は4000m以上。

同行したアリスは、
「息ができない!」と言って苦しんでいた。

僕とガイドにかなり遅れて登ってきて、
「遅くてごめん」と言いつつ、
高山植物の写真を撮りながらマイペースで来ていた。
さすがフランス人。

ベースキャンプ付近は動物天国で、
野生のマーモットやウサギ?ネズミ?類や、
馬、ヤクなどで溢れている。



ベースキャンプ到着。
6時間くらい歩いたかしら。




本日はテント泊。

二マリン・ベースキャンプは、
標高4841m

結構な標高なので高山病の症状が出る場合があるだろう。

ベースキャンプには、
残雪の6000m級の山々に単独でアタックする強者も居る。

改めて、マムートやアクテリクスは彼らが着るとカッコ良さを増すと感じた。
軟弱ハイカーの僕がアークテリクスを着ていると「なんだかなー」と感じる。

他の宿泊地同様にぼっとん式のトイレもあるが、
ベースキャンプのトイレはかなり汚いです。

他の隊のガチ系の経験豊富なガイド達と話し、
「僕らは山が好きだが、山は僕らの事を好きではない」と
言っていた言葉が心に残る。
深い。


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5日目

ベースキャンプから標高5300mの峠越え。
峠からチョグドへ。

4800mから5300mへひたすら登る。





景色がダイナミックすぎて、一見、なだらかな丘に見えるが、
実際には急登。



こんな感じ。

標高5000m近い。




ズドーン。
峠の上に到着。
標高5300mやー。
いや正確には5200mちょいか。まーいーや。

ただただ美しい。

僕は高地順応がうまくいったのか、
比較的、楽に登る。
同行者のアリスは苦しそうだった。



タルチョ、たなびく。






一休みしてチョグドへ。
ひたすら下り、砂利道を歩く。







峠を越えてからが結構、長距離。
川を複数渡る。
浅いように見えるが、結構深い。流れも急。
幅の広い川もあり、飛石をジャンプしながら越える。
落ちたら笑える。
ここは体力より運動神経の方が重要な気がする。

アトラクション満載で楽しい道。

後ろ姿で見えるのが、僕らのガイドさん。
超経験豊富のプロのガイド。
ラダックのガイドには半素人ガイドも居るが、彼はガチ系。





荷物運搬してる馬さん。
すごい急な坂道も昇り降りする。
お疲れ様です。

なお、僕らは馬が降りてきている道を登る。
急坂です。



チョグドへ到着。
6時間位かかったかなー。

写真の時は曇りだが、
ほぼ晴天で心地よかった。

普通はチョグドからレーへその日のうちに車で戻る。
僕らは翌日ゴンパ巡りするので、チョグドで宿泊。

チョグドでは客待ちの車(ジープ)が複数います。

めでたくトレッキング終了。

お疲れ様でした。




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ラダックでマルカ・バレーのトレッキング

2023年09月05日 | 旅行



さて、ラダックです。
アンティーク関連の投稿ではなく、
トレッキングの回です。

「はぁ?オメーは仕事の渡航だろ、遊んでんじゃねぇ」と
言われそうだが、僕は旅自体が仕事でござるよ。

トレッキング前には色々、下準備をしているのです。
色々な知人、友人に声をかけ、
良い物を集めてもらっているのです。

店で、その場の物を買うだけが僕のスタイルではないのです。

詳しくは書かないが、
店で置いてある物を買うのは簡単ですからね。

インスタグラムとかでは全然言っていない、
水面下で色々と動いていたのです。

言い訳はその辺にして、
トレッキングにゴー。

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行き先はマルカ渓谷。

ラダックでトレッキングでは、一番有名なルートではないだろうか。

日数は6日間。

ぶっちゃけ、マルカ・バレーは6日間も必要はない。

6日目はゴンパ(チベット寺院)巡りをしたし、
ルート自体は3泊4日で十分踏破できる。

強ければ、2泊3日や1泊2日でも可能だろう。
ただ、1泊2日はアスリート・レベルだろうけど。

とは言え、3500m以上のルート
5200m付近の峠も越える絶景が待っている。

ゆっくり行きたかったので5泊6日。

ルートは下記。

1日目 Leh→Skyu→Sara
2日目 Sara→Markha
3日目 Markh→Hankae2
4日目 Hankar2→Nimaling Base Camp
5日目 Nimaring→Chogdo
6日目 ゴンパ巡り Stakna-Matho-Stok → Lhe

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1日目

レーを早朝5時頃に出発して車でスキュヘ。
スキュからトレッキングがスタートとなる。



スキュまでの車窓からの景色。
レーから少し離れると、
いきなり大荒野になる。
天気は曇り。





スキュからサラまでは車道(砂利道)を歩く。
このルートは歩いていて、つまらない。
ラダックの大自然の景色は広がるが、
もはや僕は見慣れてしまっている。
道も平坦なので楽。

道沿いには今や電線が通っていて、電柱が並ぶ。
遠目には大荒野だが、ちょっと目を移すと文明を感じる。
時代の流れ。



スキュからサラへはすぐに到着する。3時間もかからなかっただろう。

僕らはサラで一泊したが、
宿泊する必要はあまりないと思う。

スキュからマルカまでその日のうちに行く事は十分できる。
サラは見どころ全く無し。
家が2軒くらいあるだけの場所です。

なお、ここでも3400mだったかの高地なので、
いきなりレーに到着後にトレッキングに行くと、
高地順応も必要。
この後の標高はドンドン上がります。



ホームステイの寝室。
宿泊客はいなく独占。

当たり前だけど、
ルート上に豪華なホテルなどは無いです。
全てホームステイかテント泊。

因みに、僕はレーで同宿だったフランス人のアリスと一緒にトレッキングに行った。
ガイドをつけたのでシェアしようと言う事もあり。
彼女は女性なので部屋は別々。

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2日目

サラを出発後、二日目の宿泊地マルカ村へ。
道は平坦。

天気は晴天。
ダイナミックな景色が広がる。










川も複数渡る。
結構、流れは強い。
今年は異常気象で乾燥地帯のラダックにも雨がよく降る。
膝上まで水があるが、これでも少なくなったらしい。
一週間前には川が増水して水量がかなりあったとの事。




マルカ村。
あっという間に到着。
つらい道もない。
5時間もかからなかったと思う。

黄色の花が咲き誇り、ただただ美しい。





村は谷間にある。
写真だとスケールが伝わらないが、
背後の山は圧倒的な大きさ。



マルカ村。



マルカ村のゴンパ(寺院)内にあったストゥーパ(仏塔)
ターコイズが美しい。
勾玉型のターコイズもある。
許可を得て撮影しています。



ホームステイでの夕食。
ラダック版パスタのチュダギ。
劇美味でした。

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三日目

マルカ村からハンカール2へ。
2としているのは、ハンカール村は二ヶ所あり、
ハンカールから1kmくらい先に行った場所がハンカール2。
正確には地名があるかも知れないが、
ハンカールまたはハンカール2と呼ばれていた。

割と長距離歩くが、
トレッキングに慣れてる人であれば余裕であろう。
ただ、ここは4000m付近の高地。
順応してなくていきなり来ると歩くのは大変かも知れない。





祈りですな。



登り。
崖ですな。



ハンカール2からの景色。
素晴らしい荒野。
だが、
この辺になると見慣れてしまって感動が薄い。



よく見なければわからないが、
丘の上にそびえるハンカールの宮殿。

個人的には城跡だと思うが、
「宮殿だ」とガイドさんは言っていた。

近く見えるが、遠いい。
スケール感が狂う。



ハンカール2のホームステイの家。

日にちに余裕があるので、
一日一日の工程は短く、到着後ゆっくり過ごせた。
のんびりお茶を飲み、素晴らしい午後を過ごす。



居間。
結構、立派である。
因みにwifiとかネット環境はないです。

ハンカールで若いイスラエル人グループと出会す。
ガイドをつけず、トレッキングにも全く慣れていなく、
かなり気軽な雰囲気だったので、
僕らのガイドが心配していた。

つい先日もガイドを付けない外国人が道中に骨折してしまい、
大使館を巻き込み大騒ぎとなり、
結局はヘリで輸送されたらしい。

個人的には、体力的にもルート的にも難しいルートとは思わないが、
標高4000m以上、5000mも越すし、行き交う人も少ない。
乾燥もしている。

トレッキングに慣れていれば話は別だが、
もし、初心者で単独(一人)であれば、
シェアする人を見つけて、
ガイドは付けた方が良いかもしれない。
まぁ、個々の自由ですが。

因みに、レーのトレッキング屋では、
シェア希望の張り紙がされていたり、
トレッキング屋ごとに人数募集してたりします。

トレッキング屋は、チャン(グ)スパ・ロードや、
アッパー・トゥクチャ・ロードにも複数あります。

続く。


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アンナプルナ・ベース・キャンプへトレッキング

2023年04月25日 | 旅行



もし皆様がこのブログを見つけたり読んでたりするのであれば、
興味があるのは、チベットの古い物の事だと思う。

しかし、あえてトレッキングの事を書こう。

一般的にネパールと言えば、トレッキングである。
そう、世界有数の高い山々を誇るネパール。

これだけ何回も何回もネパールを訪れているのに、
ネパールの山にほぼ行った事がない僕。

「いー加減、行こうではないか」と思い、
行ってみました、真冬1月のアンナプルナのベース・キャンプへ。

サクッと書きます。

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ベース・キャンプと言えば、
エベレストのベース・キャンプが一番有名だろう。
しかし、アンナプルナ・ベース・キャンプ(通称ABC)も匹敵するほど有名である。

ABCトレックには、
ネパール第二の町ポカラまで行く必要があるが、
僕は仕事の用事があり、
ポカラに居たのでABCに行く事にしました。

ポカラの町のレイクサイド周辺にはトレッキング用品の店や、
トレッキング関連の旅行会社で溢れている。

そこらの旅行会社(アドヴェンチャー関連)でガイドやポーターを雇っても良いが、
宿のマネージャーが「良いガイドがいるよ」と言うので、僕は宿に仲介してもらった。

通常、ホテル経由だとガイド料の値段が高くなる傾向があるかも知れないが、
僕は他の旅行会社の料金を事前に調べ、まぁ、オーケーな料金だったので納得した。

ガイドと言っても荷物を持ってくれるポーター兼ガイド。

ABCのルートは道に迷う場所はほぼ無く、ガイドは必要ないと知っては居たが、
小学生以下の体力の持ち主である僕。
荷物を持って欲しかったのである。

ウザい性格のガイドだったら嫌だったので、
事前に会って性格を確かめた。
10年以上の経験があるグルン族の屈強で物静かな若者だったので、
問題なく即依頼を出した。

ABCトレッキングにガイドを雇うなら、
山々に精通した地元のグルン族のガイドが最も良いと思う。

ガイドの相場は大体、1日15ドル〜25ドル位かな。
ポーター業のみはもっと安い。
一人で行っても複数人でも同じらしい。

因みに、安すぎるガイドは注意が必要だろう。
旅行会社やホテルと契約している、
人気がある良いガイドは一定の料金をとる。

フリーのガイドでは、
マジでダメなガイドも居るとは聞く。

普通、一週間位は一緒に行動するので、
変に節約して悲惨な思いをするのは僕はお勧めできない。




出発は、真冬の1月。
1月24日か25日であった。

早朝、乗合ジープで出発。
宿に迎えに来てくれる専用ジープではなく、
地元民も利用する乗合ジープで行くのが安上がり。
でも、地元民仕様なので満員になるまで出発しません。



トレッキングする客が僕ら以外いなかったので、
途中の道端で降ろされました。
ここまでくれば十分。




少し歩くと大きな橋があった。



長い橋を渡る。



橋の後、ジヌーを抜け、登り階段がひたすら続く。

階段は2時間かけて登る人も居るらしいが、
チョムロンまで40分程で踏破。
張り切りすぎ。



初日の宿泊地チョムロン。
宿代、充電チャージ、wifiとか全部含めて500円位。
フィッシュテイル・ゲストハウスだっけな、名前忘れたが、良い宿でした。



朝食。
グルン族のパンケーキ。
メニューになかったが、「美味いよ」と言ってガイドが頼んでくれた。



チョムロンを出て、二日目のトレッキング・スタート。











ひたす森の中を歩く。
ジャングルの中、ひたすらアップ・ダウン。
バンブーらへんかな。
バンブーとい名前の通り、竹林も多かった。






二日目の宿泊地。ドヴァン。
ドヴァンは二カ所あり、アッパー・ドヴァンの寂れた宿に宿泊。
一泊250円だった。



キャンプ・ファイア。
ガイド君と人生を語り合う。

ガイド君は屈強な肉体を持っていて、
かつては英国軍隊所属のグルカ兵の試験を受けた事があると言う。

体力試験をトップの成績で通過し、メンタル試験もクリアしたのだが、
最終的に落ちたという。
どうやら、当時、合格には賄賂が必要で、
貧困層出身で両親の居ないガイド君には払えなかったのが原因らしい。

グルカ兵になれば村の英雄で、生涯保証されるネパールで名誉ある地位でもある。
山岳地帯の貧困地域の若者の多くは、グルカ兵を夢見るが、
実力があっても、そこには知られていない現実もあるようだ。

その後、ガイド君はポーターを経て、ガイドとなったと言う。

ネパールでの光と影を知る。



ドヴァンを出て、三日目。
真冬だったが、ここら辺はまだ水が凍っていない。
寒さも少ない。



ヒマヤラ・ホテル通過。
この辺、2900mらしい。



また、ひたすら階段。



見えにくいが、
中央にあるのが幻覚性ハニーのミツバチの巣。

僕のガイドが他の場所で採取してみた事があるらしく、
「めっちゃ大変だったよ」と言っていた。




壮大な風景。
マチャプチャレ・ベース・キャンプへの途中の谷。
なぜか僕は晴天より曇天の山が好きらしい。
雰囲気あって美しい。

登山者はほぼ居ない。
すれ違うのは食料等を上まで運ぶ職業の人が多い。



僕は標高が高い山の頂上より、
自然が好きらしい。
この谷の小川で遊ぶのが楽しかった。





しばらく歩いて、
マチャプチャレ・ベース・キャンプ(通称MBC)へ到着。
三日目の宿。
アンナプルナ・ベース・キャンプの一個手前のキャンプ。
ここを通過するトレッカーは多いらしいが、
僕はゆっくり行きたかったので宿泊。





眺望が素晴らしい。



MBCからの眺め。
アンナプルナは見えるが、方角的にベース・キャンプの宿からはマチャプチャレは見えない。

真冬なので、宿泊者はほぼゼロ。
快適。
シーズンには部屋が取れず、ダイニングの椅子で雑魚寝もザラだと聞く。

僕が思うにベスト・シーズンは冬だと思う。
宿はガラガラで布団も使い放題で、僕は持参した寝袋も使わなかった。
トレッカーも少ないし、寒さを除けば快適である。
寒さも我慢できない寒さではないし。



四日目。
マチャプチャレ・ベース・キャンプを出発。

ここからが本番。
「眺め」の本番と言う意味。

大きな山の景観が好きならば、
ここまでは眺望に感動する事は少ないだろう。

MBCからABCへの途中は、まさに絶景です。





凍っている。
昼間は太陽が出て暖かったが、朝晩はマイナス8度位。
例年よりかなり暖かいとの事。



歩いてる時はダウンは不要。
インサレーションで十分でした。




アンナプルナ・ベース・キャンプに到着。
4130m

チベット圏では4000mとかは普通なので、
標高が高いとは思わず。

高山病の症状もなかった。



ベース・キャンプからの絶景。



ここまで来ると雪はある。



ベース・キャンプの宿周辺。



記念撮影。
流石にダウンを着ないと寒い。



タルチョはためく。



夕陽が綺麗でしたね。



食事は大体チョウメンと言う焼きそば。
普段、街で食べても美味いと感じないが、山で食べると美味しいと感じる。








下山。
二日間かけて降りてきた。
最後はジヌーで宿泊。
楽ちん。





泊まっていた宿はこんな感じ。
山小屋というより、しっかり宿ですな。
快適。
部屋は基本ベッドがあるだけ。

ポカラまでの帰りは、ジヌーを降りた長い橋を渡った場所(名前忘れた)で、
乗合ジープに乗って帰ってきた。
帰りは宿まで直行してくれる。

大きな橋の場所からはバスもある。


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行ってみた感想だが、
平凡な意見ですみませんが、良かったと思える。

僕は山の頂上には興味は少ないが、
日本とは違うレベルの大自然を味わえるし、
山の人々の村を通過する楽しさもある。

そして体力的にも大して必要はない。
ただ、ひたすらアップダウンを繰り返すので、
個人的にはメンタルが疲れた。

僕は時間的な余裕があったので、
ゆっくり行ったのだが、
時間の余裕がない場合でも、
体力的に強ければ、かなり短期で往復できると思う。

以上
アンナプルナのトレッキングでした。



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奇祭マハー・シヴァラトリー

2023年04月19日 | 旅行


久々です。
暫く日本に居ませんでした。
ネパールに居りました。
日本へ戻りしばし時間が経ちますが、
最近ブログの存在すら忘れかけていた僕。
いー加減、ここら辺でブログを更新しなければ、
アイツは死んだと思われそうだ。

何から書こう。

ヒマラヤへのトレッキング、
アメリカ在住の難民チベット人の人生、
チベット正月ロサル、
ジー・ビーズとのビッグ・ボスとの出会い、
仕入れ関係...

書く事が多すぎる。
どーしよう。

まずは、サラッと、シヴァラトリー祭りの事でも書こうかしら。

ほぼ写真を撮っていないけど。

ーーーーー

シヴァラトリーと言えば、
知る人ぞ知るヒンドゥー教の大祭典である。
(正確にはマハー・シヴァラトリーだが便宜的に今回の記載ではマハーは割愛)

ネパールやインドを知らない人からすると、
ピンと来ないだろうが、
祭り自体が年中盛んに行われるネパールでも、
指折りの大祭典である。
とゆーか奇祭。

何が?と言われるかも知れんが、
祭りの詳細は、
ウィキペディアとかで検索してほしい。

ネパールに置いては、
火葬場パシュパティナートにサドゥ(ヨガ行者とか修行者とか表現される)達が大集結するのである。

火葬場と言っても、
日本人が想像する建物内のアレではなく、
広大な敷地内に寺院併設の川べりの野外で火葬する地区である。

因みにこの火葬場、
いつ行っても、
木材の土台の上に寝そべるご遺体をボウボウ燃やしているのを間近で見れます。

まぁ、サドゥが大集結する祭りと言えば、
インドのマハー・クンブメーラが一番有名だが、
シヴァラトリーも匹敵する程に有名でござる。

両方行った身としては、
マハー・クンブメーラは多数の死人も出るほど、
桁違いの人数と変人変態大集合のスーパー・カオスでしたが、
シヴァラトリーも結構カオスでした。



シヴァラトリーの行われるパシュパティナートへの道、の当日の風景。
奥に、こんもり見える森?の一体周辺全てパシュパティ。
写真で見える群衆は、ほんの一部。
何千人、何万人?もの人が、この祭りに押し寄せているのです。

この先に、
軍隊だか警察だかが警備する、
何重もの鉄製ゲート(バリケード)が設置されていた。

僕はアメリカ人の友人と行ったのだが、
並んでいる人々をかき分け進んでいった。

もう無理やり突破して行ったよね。

写真を撮る余裕がなかったので残念だが、
僕と友人は、
最後の方のバリケードの最前列で行き詰まり(人数制限でバリケードが閉じられていた)、
後ろから押し寄せる何百人もの群衆と鉄製バリケードに挟まれてマジで死にかけた。
圧迫死するかと思ったよ。

最終的には、
「僕達、外国人ですから〜」と言う必殺の謎の言葉を大声で連呼し、
警備の人にバリケードの間から入れてもらった。

裏話を言うと、パシュパティナートにはメインゲートの他に裏から入れる入口もあって、
裏口から入るとすんなりノーチェック(厳密にはチェックゲートはあるがスルーできる)で入れます。
いつもは裏口から入るのだが、
この日は、たまたま道を間違えて大混雑するメイン・ゲートから入ってしまった。
まぁ、良い思い出です。



何重ものゲートを突破した先。
皆が並んでいる先、階段の上にメインの寺院がある。
寺院にはヒンドゥー教徒のみが入れる。

僕らも近くに寄ろうと試みたが、
直近の橋に二重のゲートがあり、
漫画に出てきそうな棍棒を持った鬼軍曹に追い払われてしまった。
因みに、
この階段周りで普段は火葬が行われる。

黄色の服を着た人々は皆サドゥ。



メインのお寺。
写真では分からないが、
内部ではマリ○ァナでハイになったサドゥ達が踊って、
異常な盛り上がっているのを遠目から見た。
間近で見たかった。




くつろぐ人々。
ほぼネパール人かインド人。
外国人はあまり見かけなかった。



聖なる川。
もはや透明度はゼロだが、
単なるドブ川ではない。

火葬された灰や生活汚水が流れ込む。
コップ一杯飲めば致死量になるだろう。



奥の方でトランス・パーティが開催されてた。
祠がデコレーションされ、爆音が響き渡る。
水も撒き散らされ、盛り上がっておりました。
もうこうなると何の祭りか分からなくなる。



バング・クッキーも売られてます。
マリ○ァナを練り込んだクッキーです。

この日のパシュパティナートでは、
マリ○ァナは無法地帯(暗黙の了解の元、解禁)となっていて、
公然に喫煙や売買がそこらじゅうで堂々と行われている。

サドゥ達がせっせとジョイント(マリ○ァナ入りタバコ)を巻き、
販売に精を出していた。

警察も黙認している特別な日でござった。

因みに、僕は吸いません。



シヴァラトリーは夜も明けない早朝から深夜まで、
ぶっ通しで行われるので、サドゥもお疲れです。



美女がいたので一枚撮らせてもらった。




中心部は人混みが凄いので、
奥の方へ避難した。
ちょっと空いてる。
手前のテントはインドからやってきたサドゥの簡易住居。
写真には撮らなかったが、屋台も沢山出てました。




祭りの当日は混み合うので、
実は前日にも友達のバイクに乗って行ってみた。

本来の目的の一つである、サドゥ来歴のルドラクシャを手に入れる為にですね。

で、本気でサドゥをやっている老齢なサドゥと出会い、彼のルドラクシャを譲り受けた。
インドのハリドワールから祭りの為に来ていたリアル・サドゥでした。

交渉前に話をするきっかけの為、一応、祈祷もしてもらったのだが、
普通、額に付ける印のティカは紅いが、
このサドゥは木を燃やした灰でティカを作っていた。

お祈りの水もかけられたのだが、
あの聖なるドブ川の水だと思うので、
マジで勘弁して欲しかった。

英語が通じなかったので、同行した友人に通訳してもらったのだが、
交渉後、お互い納得して譲り受ける。
リアル・サドゥは簡単には譲ってくれませんでした。




サドゥ達と。
皆、朝からバンバン吸っているので目が出来あがっちゃっています。

普段、パシュパティナートに居るサドゥは、
写真を撮ると金をせびるビジネス・サドゥ(サドゥの格好をした変人)がほとんどだが、
彼らはリアルなサドゥ・ライフを送っている。

この場所、パシュパティナートの一部で観光客が行かない場所。
とゆーか、門を入るのに普通は躊躇するかも知れない。
全員ゴリゴリのサドゥで、皆、マリ○ァナをチラム(筒の喫煙具)でボフボフ吸っていた。

同行してた現地民の友人も門の先へ入りたがらなかったが、
「入ろうぜ」と無理矢理誘って入ってみました。
祭りの為にインドから来たサドゥ達の溜まり場兼一時的な住居ゾーンで、
サドゥ達がテントを張って野宿しておりました。

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シヴァラトリーに行ってみた感想だが、
ネパールでのシヴァラトリーは楽しいお祭りって感じ。

奥の祠で色々な祭事も行っていたが、
全般的に、
とりあえず祝おう、長時間楽しもう、って感じでした。

インドでのシヴァラトリーは長時間歩くとかってあるみたいだが、
ネパールは人こそ多いが、比較的、楽に楽しめる。
場所のパシュパティもカトマンズ中心部からアクセスも良い。

しかし、空気は猛烈に悪い。
普段でも火葬の煙が舞い上がり、
独特の匂いがするパシュパティ。

当日は、人の匂いとか砂埃とか色々な悪臭が混ざっている。
マスクはしてった方が良いかもね。


シヴァラトリーでした。




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クタイシの美しいゲラティ修道院

2022年08月19日 | 旅行


日本に戻ってしばらく経つのでジョージアの事を書くにはどうかと思ったが、
一応記録的に残しておこう。
インスタでは詳細は全くアップしないし。

場所はいきなり古都クタイシです。

トビリシに移住したトルコ人友達カップルの家に居候してた時、
「クタイシでも行こうか」という話しになり行きました。

特段、クタイシで見たいものもなかったが、
どーやらクタイシは古い教会関係が数多くあるらしい。

僕は教会が好きです。修道院も好きです。寺院だって大好きです。

そのなかで良かったゲラティ修道院。
ここはおすすめなので書こうかしら。

小雨が降っていたのも雰囲気的に良かったのかもしれない。

一番有名らしいバグラティ大聖堂は全く感動しなかったが、
ゲラティ修道院は行って良かったと思った。













内部
美しい。
宗教壁画ってのは良い。

友人がトビリシの教会の真新しい壁画には全く興味を示さなかった時、
「あと400年待てばこの絵も芸術さ」と返しておいた事もあるのだけど、
クサい事を言うと、時間も芸術のエッセンスの一部なのかもしれない。

因にゲラティ修道院は1106年に建てられたらしい。
以前はゲラティ修道院とバグラティ大聖堂は共に世界遺産だったが、
その後、ゲラティ修道院は世界遺産に残り、
著名なバグラティ大聖堂は再建後に世界遺産リストから除外されたとの事。

外の世界からの視野で古き文化遺産を残す事を重視するか、
現地の現在進行形の価値観や言い分を優先するかは、
難しいとこなのかもしれない。

バグラティ大聖堂の再建前の写真を見ると文化的価値はあるのかもしれないが朽ちていて、
詳細な理由は知らないけど、綺麗に今風に建て直したくなる地元民達の気持ちも分からなくはない。

参考迄に今のバグラティ大聖堂の内部





ゲラティ修道院の話しに戻ります。







静かな時間が流れる。



どこをとっても絵になる。

12世紀から17世紀の修道士達とその祈りの生活に想いを馳せる。

時期は夏の始まり5月中旬だったが、
小雨で寒かったからか観光客は僕ら以外、誰も居なかった。

静かで古の修道院の雰囲気を感じ取れ良い時間を過ごす。






床とか。
チベットの古い寺でも同じだが、
僕は何故か建築物そのものより、床や手すりやドアに魅力を感じる。
遥か昔、かつての人の存在に想いを巡らすのが好き。






小高い丘の上に建っておりました。




行きはローカルバスで行き、
帰りはバスの時間までかなりあったので、
雨がやんでたのもありブラブラ散歩しながら歩いて帰りました。

行きのバスはクタイシ中心部マクドナルドの近くにミニバスの溜まり場があるので、
そこら辺にいる人に適当に「ゲラティ?」と行き先を聞けば分かると思う。
クタイシ市内から30分位だったけな?
クタイシ全般に言える事だけど英語はほぼ通じないです。

タクシーは高く言われるのでオススメしない。

帰りのミニバスは2,3時間位に一本で、
クタイシ市内行きの最終便も夕刻のはやい時間でなくなります。

丘の上にあるので行きの道程を歩くと登りになり、歩くには少し遠いいかな。
尚、ミニバスは停留所以外でも手を上げれば乗せてもらえます。


雨のゲラティ修道院でした。



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