長く旅をして来た気がする。
そして、今は想う。
僕は、
誰かと価値観を共有したいだけなんだ、と。
本当に
ただ、
それだけなんだ。
でも、
僕にとって、それは、
とても難しい事らしいのです。
僕が間抜けだからでしょう。
僕は、
良い車も、
五つ星のホテルの宿泊も、
高級なレストランの食事も
求めない。
それでも、
時には、
裏切られ、
時には、
人とすれ違い、
時には、
バカにされ、
時には、
傷つき、
時には、
怒り、
時には、
良くない噂をされ、
出会いと別れを繰り返し、
それでも、
魂と身体を擦り切らせ、
生き続けているのです。
「俺は人生を売っているんだ」
友人が言った言葉だ。
その言葉を聞いた時、
僕はドキッとした。
だって、
そう、
僕も『人生を売っている』と想っていたからだ。
長い時間をかけた旅
多くの時間や労力や、
少なくないお金を費やした。
それが品物という物として現れているだけなのです。
矛盾をする様ですが、
その対価が現時点で金銭であると言うだけなのです。
本音は金銭でなくとも構わないが、
心の共感だけでは、
現実世界では食べていけません。
心の底では、
他の何かを求めているのです。
それを、理解してくれる方は稀かもしれない。
それは、僕のエゴなのかもしれない。
それでも、
僕は、
必要以上は、
見返りは求めない。
いや、
正確に言えば、
僕は、
共感を求めている。
僕は多分、面白い出来事や
素晴らしい風景、
言葉に表せない体験をしているかもしれない。
それを共有したいだけなんです。
だから、
僕は公に顔を出しているし、
色々な発信をしているだけなのです。
ただ、
それは、
この弱肉強食の世の中、
信頼と言う言葉は、
驚くほどに脆い。
どんなに言い訳しようが、
「金」が全てである。
最終的には、
自己の利益が優先されるだろう。
それは構わない。
僕も理解しているさ。
それでも、僕は信じる。
まだ、他の『風景』があるのだと。
金さえ有れば、
幾らでも稼ぐのは可能な現代だろう。
でも、
金が無い僕でも、
何かを信じているのです。
例え、それが思い違いとしてもです。
僕は、
何処に居ようと、
誰と居ようと、
常に、
孤独感を感じて来た。
だが、
誰かと居るとわずらわしく、
独りで居ると何かを求める。
僕は、そんな性格です。
だからこそ、
「価値観の共有」を強く重視するのです。
難儀で困った性格なのです。
だがそれは、
もう、
損得勘定ではない、のです。
もしかしたら、
簡単な事かもしれないけど、
僕には難しいのです。
心が求めているのです。
その、「誰か」を。
その、「共有」を。
そして、まだ見ぬ、風景、を。
そんな感じなのです。
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