旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

世界は広いぜ

2019年08月18日 | 日記


日本ではこの業界、
そう、
チベット文化圏の古いモノ、
アンティーク・ビーズだとか
アンシエント(古代)・ビーズも含め、
俺を含めた様々な業者達が、
あーでもない、
こーでもない、
と持論を繰り広げる。

いや、この業界だけではなく、
どの業界でも同じかも知れない。

せ、狭い。

ジャパン、狭過ぎる。

世界を見渡してみよう。

欧米人の先見の眼、てのは
凄いよ、これ。
チベットモノに関しても例外ではない。

ヘレンという老齢な女性がいる。
俺が敬意と併せふざけてグランド・マスターとかブラックベルト(黒帯)と
呼んでいるスイス人女性だ。

欧米で富裕層にあたる長年のコレクター、
(もはや何十年選手か分からないくらいの芸歴だ)
である彼女の
コレクションの一部を写真で見せてもらった。

そりゃーもー、凄い、よ。

例えば、
マントラのトクチャ持ってる?と聞くと、
「そーねー、4個か5個、持ってるわよ」
という答えが返ってくる。

もちろん、
古いオリジナルである。

写真を見せてもらっても、
見た事ないのもあったりする。

他の品物に関しても、
一個あれば珍しい、というレベルのモノでも、
○○個持ってる、という具合になる。

彼女のコレクションは、
既に
現地でも手に入らなくなったモノも含まれる。

そのコレクションの一部を
現地の老舗業者が
高値で買いたい、と話すほどである。


ヘレンと共通の友人であるラダック人アンティーク・ディーラー、
シャミンとゆーのもいる。
俺は彼を敬意を表し「シャミン先生」とも呼ぶ時もある、に関しても、
親の代から受け継いだこの仕事、
芸歴30年以上の強者である。

「日々、現地で本場のアンティークに囲まれて仕事をしてる」のだ。

ネパール・カトマンズの某地区の
大部分のクソみたいなチベット人業者達は除き、
チベット本土の数少ないマトモな業者もそうだが、
年に数度、現地へ行く、とかを
いくら僕ら外国人が何年も何年も繰り返したところで、
全く歯が立たない。

その情報量と経験、商品数たるや
プロ同士として実際に接してみないと理解できないかもしれない。

時には、
その差が大きすぎて、
自己嫌悪にすら陥る時もあるくらいだ。

店に出てない品物だって多くある。
とゆーか、超特別なモノは、まず出てない。
そして、
店頭のモノであっても、
多くの品物に混じって、
美術館クラスのモノも当たり前のようにゴチャゴチャになってすらいる。

あー、すごいねー

としか言えないのである。

しかし、
俺も、
優位点「アドヴァンテージ」もある。

それは、
様々な地域を比較的自由に訪れる事ができる、のだ。

ラダック人やチベット人であれば、
パスポートの問題もあるので、
自由に行き来がしずらい。

なので、
国際情勢だったり、
様々な地の特性、
様々な地の品物の種類、
を理解しずらかったり、
比べられないのである。

そして何より、
俺の場合、
「新たな価値観」を求めている。

市場化、
相場化、
情報化、
されたアンシエント・ビーズの世界とかではなく、
新たな俺独自の価値観、を求めているのである。

独りよがり、かもしれないが、
コレがないと、
俺という一つの個性がやってる意味がない。

これが、
俺の
アドヴァンテージ、であり、
個性、である。

既にある既存価値観を求めるのであれば
絶対に、
ヘレンのような気合いの入った欧米人コレクターには敵わないし、
現地そのまま、ってのを追い求めれば、
シャミンのような現地の百戦錬磨には
到底追いつかない。

独自の道を切り開かなければ、
先はしれているのだ。

何より、
世界には、
上には上がいる、
ってのは知っておかなければならない。

日本での何処かの業者の言葉、
盲目的に信奉してる人もいるらしいが、
世界には、
ぜんぜん、
ぜんぜん、
ぜんぜん、
上がいる、のである。

日本は狭い。

日本の業者は世界を隠したがる。

自分の価値観が、
この世界の価値観だと言わんばかりだ。

違う。

そーではないのだ。

世界は広い。

想像以上に
広く、
深い、のだ。

ソコにこそ
真実がある。

そう

見るべきは、
聞くべきは、
極所的な狭いジャパンの何処かの誰かの言葉では、ない。


見るべきは、
世界なのだ。




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