またまたいただいた質問に答えようシリーズです。
筆者は、道徳の教科化そのものには、賛成の立場です。
これについては、以前書いたので、そちらをご参照下さい。
さて、それに専門の教科担当が配置されないことについて、意見をと言う質問をいただきましたので、書いてみます。
実を言うと、なんとも思ってないです。
強いて言うなら
「妥当」
「そりゃそうだよな」
って感じ。
生徒指導をやってみるとわかるのですけど
正論を振りかざすだけでは、子どもの心は動きません。
日々の関わりの中で信頼関係を構築しておけば
子どもが何かやらかしたときに、指導が伝わりますし
逆に、信頼関係がなければ、どんなに合理性があることを論理的に説いても、伝わりません。
その経験談を踏まえ、道徳教育も生徒指導と似たようなものと思うと
道徳の教科担当が配置されず、今まで通り、学級担任や学年担当が実施するというのは妥当だと思います。
なんか、いつも批判ばかり書いているので、結構いろんな人から、「道徳の教科化も反対なんですよね!?批評書いて下さい!」みたいなことを言われるのですが
実はこれについては、文科省に対して、賛成ばかりですので、実はあまり書くことがありません。
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筆者は、道徳の教科化そのものには、賛成の立場です。
これについては、以前書いたので、そちらをご参照下さい。
さて、それに専門の教科担当が配置されないことについて、意見をと言う質問をいただきましたので、書いてみます。
実を言うと、なんとも思ってないです。
強いて言うなら
「妥当」
「そりゃそうだよな」
って感じ。
生徒指導をやってみるとわかるのですけど
正論を振りかざすだけでは、子どもの心は動きません。
日々の関わりの中で信頼関係を構築しておけば
子どもが何かやらかしたときに、指導が伝わりますし
逆に、信頼関係がなければ、どんなに合理性があることを論理的に説いても、伝わりません。
その経験談を踏まえ、道徳教育も生徒指導と似たようなものと思うと
道徳の教科担当が配置されず、今まで通り、学級担任や学年担当が実施するというのは妥当だと思います。
なんか、いつも批判ばかり書いているので、結構いろんな人から、「道徳の教科化も反対なんですよね!?批評書いて下さい!」みたいなことを言われるのですが
実はこれについては、文科省に対して、賛成ばかりですので、実はあまり書くことがありません。
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