残念ながら、教師の不祥事は多いです。
特に、性に関する不祥事……わいせつとか盗撮とか……が目立ちます。
これは、数はともかく、内容が内容なので、事実が明るみになると、とても話題になってしまいます。
さて、このような、性に関する不祥事を、この記事では、性不祥事と呼ぶことにします。
実は、教師の仕事をしていると、性不祥事を極めて「やりやすい」環境にあることに気がつきます。
その理由について、まずは述べます。
1つ目は、教師の適性が性不祥事をやりやすくします。
実は、生徒指導力というものは、一種の人心掌握術です。
もしも、校則を根拠にした正論を述べるだけで、生徒達が付いてくるならば、Pepper君でも名教師になれることでしょう。
ですから、正論以外にも、子どもたちを従わせる力が必要でして
この人心掌握術は教師の適性と言っても過言ではありません。
これを悪用すれば、女子生徒といかがわしいことをしても、その子が他者に相談しにくい心理を作ることができるでしょう。
ま、これは、「ピストルを持っているから警官は殺人をやりやすい」レベルの話かも知れませんが。
2つ目は、シンプルに、思春期の女子との接触が多い。
思春期の女子は、なかなかに多くの悩みを持ちます。
それに、たいてい、相談のための面談は、二人きりの相談室などで行なわれます。
誰が聞いているか分からない廊下でなんて、話せるわけ無いですからね。
その担任が比較的若い男性教師とかだと、悩みを相談しているうちに、恋愛感情のようなものを持ってしまう可能性が結構あります。
第三者の大人が見れば、「そんなもの錯覚だ」と言うでしょうが
そのときの本人にしてみれば、それは真剣な感情なのです。
それにつけ込めば、セックスに持ち込む事なんて、造作も無いことです。
私も新米の頃、ある女子生徒から「好きです」と言われ、驚愕したことがあります。
そんな経験がある教師は、少なくないと思いますよ。
ちなみにこれは完全な余談ですが
その女子生徒に好きだと言われた事実を、当時の上司に報告しました。
これは、「そんなわけだから来年私のクラスにこの子を入れないでくれ」という遠回しなお願いのつもりだったのですが
学級編成会議の時
「そういえば、○○さんは、名無し君のことが好きなんだったよね。
じゃ、名無し君のクラスに入れるか。
そしたら○○さん、毎日ウキウキだぜ」
と言われ、おい冗談じゃ無いぞと思ったことがあります。
当時新米だった私には、それに異を唱えることはできませんでした。
3つ目は、学校という施設の特性です。
あれだけ大きく、たくさんの死角があるのに、防犯カメラがほとんど設置されていない施設って、なかなかに特殊だと思いませんか?
やろうと思えば、いくらでも生徒と密会することなんて、可能ですよ。
やろうと思うかの問題です。
1つ目と2つ目はどうしようもないとして
3つ目の理由は、金さえかければ潰すことができます。
簡単です。
まずは、校内に監視カメラを設置する。
現在の学校は、不審者対策として、門や入り口にしか監視カメラがありません。
それを改め、トイレや更衣室以外、すべてにカメラを追加します。
教室や廊下については、生徒にも分かる形で監視カメラを設置し
相談室には、生徒には監視カメラの存在を伝えません。
二人きりで面談する場合は、必ず相談室を使用するというルールにし
生徒には「先生と二人きりで、誰も聞いていないからね」と言っておきつつ
実際は、そこでのやりとりを他の教師が観察可能な状態にしておきます。
そうすれば、教師がどこかの教室で生徒と怪しいことをすれば、すぐにばれる。
また、このカメラは、いじめの抑止力にもなります。
たいてい、いじめは教師の目を盗んで行なわれます。
教師の目に、監視カメラが加われば、少なくとも校内ではいじめを行ないにくくなります。
続いて、すべての鍵をカードキー式の電子錠にする。
そうすると、いつ、誰がその部屋を解錠・施錠したかがあとからわかるわけで
これも不祥事教師への抑止力になります。
もちろん、こんなことせずに不祥事を撲滅できれば良いんでしょうけど
現実、不祥事は無くなってませんし
教育委員会の偉い人が檄を飛ばして解決するなら、とっくに不祥事は無くなっているはずです。
だからもう、これについては、努力とか善意とか関係なしに、性不祥事を行ないにくい環境を作るしか無いのです。
ま、もちろん残念なことに、そんなお金どこにもないのですが。
特に、性に関する不祥事……わいせつとか盗撮とか……が目立ちます。
これは、数はともかく、内容が内容なので、事実が明るみになると、とても話題になってしまいます。
さて、このような、性に関する不祥事を、この記事では、性不祥事と呼ぶことにします。
実は、教師の仕事をしていると、性不祥事を極めて「やりやすい」環境にあることに気がつきます。
その理由について、まずは述べます。
1つ目は、教師の適性が性不祥事をやりやすくします。
実は、生徒指導力というものは、一種の人心掌握術です。
もしも、校則を根拠にした正論を述べるだけで、生徒達が付いてくるならば、Pepper君でも名教師になれることでしょう。
ですから、正論以外にも、子どもたちを従わせる力が必要でして
この人心掌握術は教師の適性と言っても過言ではありません。
これを悪用すれば、女子生徒といかがわしいことをしても、その子が他者に相談しにくい心理を作ることができるでしょう。
ま、これは、「ピストルを持っているから警官は殺人をやりやすい」レベルの話かも知れませんが。
2つ目は、シンプルに、思春期の女子との接触が多い。
思春期の女子は、なかなかに多くの悩みを持ちます。
それに、たいてい、相談のための面談は、二人きりの相談室などで行なわれます。
誰が聞いているか分からない廊下でなんて、話せるわけ無いですからね。
その担任が比較的若い男性教師とかだと、悩みを相談しているうちに、恋愛感情のようなものを持ってしまう可能性が結構あります。
第三者の大人が見れば、「そんなもの錯覚だ」と言うでしょうが
そのときの本人にしてみれば、それは真剣な感情なのです。
それにつけ込めば、セックスに持ち込む事なんて、造作も無いことです。
私も新米の頃、ある女子生徒から「好きです」と言われ、驚愕したことがあります。
そんな経験がある教師は、少なくないと思いますよ。
ちなみにこれは完全な余談ですが
その女子生徒に好きだと言われた事実を、当時の上司に報告しました。
これは、「そんなわけだから来年私のクラスにこの子を入れないでくれ」という遠回しなお願いのつもりだったのですが
学級編成会議の時
「そういえば、○○さんは、名無し君のことが好きなんだったよね。
じゃ、名無し君のクラスに入れるか。
そしたら○○さん、毎日ウキウキだぜ」
と言われ、おい冗談じゃ無いぞと思ったことがあります。
当時新米だった私には、それに異を唱えることはできませんでした。
3つ目は、学校という施設の特性です。
あれだけ大きく、たくさんの死角があるのに、防犯カメラがほとんど設置されていない施設って、なかなかに特殊だと思いませんか?
やろうと思えば、いくらでも生徒と密会することなんて、可能ですよ。
やろうと思うかの問題です。
1つ目と2つ目はどうしようもないとして
3つ目の理由は、金さえかければ潰すことができます。
簡単です。
まずは、校内に監視カメラを設置する。
現在の学校は、不審者対策として、門や入り口にしか監視カメラがありません。
それを改め、トイレや更衣室以外、すべてにカメラを追加します。
教室や廊下については、生徒にも分かる形で監視カメラを設置し
相談室には、生徒には監視カメラの存在を伝えません。
二人きりで面談する場合は、必ず相談室を使用するというルールにし
生徒には「先生と二人きりで、誰も聞いていないからね」と言っておきつつ
実際は、そこでのやりとりを他の教師が観察可能な状態にしておきます。
そうすれば、教師がどこかの教室で生徒と怪しいことをすれば、すぐにばれる。
また、このカメラは、いじめの抑止力にもなります。
たいてい、いじめは教師の目を盗んで行なわれます。
教師の目に、監視カメラが加われば、少なくとも校内ではいじめを行ないにくくなります。
続いて、すべての鍵をカードキー式の電子錠にする。
そうすると、いつ、誰がその部屋を解錠・施錠したかがあとからわかるわけで
これも不祥事教師への抑止力になります。
もちろん、こんなことせずに不祥事を撲滅できれば良いんでしょうけど
現実、不祥事は無くなってませんし
教育委員会の偉い人が檄を飛ばして解決するなら、とっくに不祥事は無くなっているはずです。
だからもう、これについては、努力とか善意とか関係なしに、性不祥事を行ないにくい環境を作るしか無いのです。
ま、もちろん残念なことに、そんなお金どこにもないのですが。
母方の家紋が卍の者です(笑)
教職員の人数を増やすこともですが、監視カメラを置くことも良いと思います。
正直に思ったことを書きますと、子供って程度に差はあれ、ずるいですから(笑)
それと、男子がいる母からすれば、女子も怖いと思うこともありましたから、
痴漢冤罪みたいなことを防ぐ意味では、監視カメラはあった方が良いとさえ思います。
先日、夫と「中高の修学旅行の行先はどこだったか」の話の流れで、
幼稚園から中学校までの先生の思い出話になり、
「昔の先生は、殴っても問題視されるどころか、信頼される人が多かったのはなぜだろうか」
という話題になりました。
昔は小学校でも、殴る叩くの先生方が多かったのです。
女子生徒でも容赦しませんでした。(女子への場合、「殴る」はありませんが)
勿論そんな先生方のすべてが信頼されていたわけではありません。
で、信頼されない先生のタイプとして、
「限度を知らない」「個人的な感情が入り過ぎる」「贔屓している子にはやらない」
ということを小学生でも感じていました。
今はどうだかわからないのですが、黒板の問題が解けないという理由で、
黒板用コンパスでそんな生徒の頭を叩き、流血騒ぎを度々起こす先生がいらして、、
「この先生、何回もケガさせているのに、なぜ学習しないのだろうか」と子供心に思ってました(笑)
あと、保護者がいないときに、気に入らない生徒に因縁つける方がいらして、
この先生は、修学旅行のとき、女子生徒の部屋を見回りに来たついでに布団に入ってました。
先生にとってはおふざけのつもりでも、私はそれが気持ち悪くて「お母さんに言います」と布団の中で言ってしまいました。
翌日から数か月、私は先生から因縁つけられる側のグループのひとりとなりました。
(結局、その布団エピソードごと、両親には言えませんでした。私の親は先生が正しいと思うタイプだったので)
不思議なことに、私が信頼できなかった先生方って、定年前に教育委員会にいらしたり、
ローカル新聞で教育に関して語っていたりするんですね(苦笑)
不祥事は今も多いかもしれません。
しかし、今の70才~80才代の先生方が現役教師の頃は発覚しにくかっただけで、
今が特別多いというわけではないと思うのですが…想像ですけど。
私は、子供を通して学校の先生を見て、「今の先生は真面目だなぁ」と思ってましたよ。
何か気になることがあれば、きちんと調べて、公正に処理をし、事後報告して下さる先生方が多いと。
公立は小学校までですが、私は子供の先生方に関しては恵まれていただけなのでしょうか?
「このくらいは指導の範疇として許されるだろう」というラインは、今と昔では大分違います。
というか、それだけではなく、いろいろなことが今と昔では違います。
よく、「昔はこうだった」と過去の学校を引き合いに、教育を語る方がいらっしゃいますが、これは完全にナンセンスです。
別に教育に限った話ではないでしょうが、現在と過去では、その背景にある社会の価値観が、違います。
だから、温故知新的に過去を振り返るのは良いのでしょうが……「昔は良かった」というように語られても、こちらとしては「それがどうした」としか言いようがないのです。
先日、教頭先生(50代後半)から、教頭先生が新米だったときの話を色々と伺ったのですが
今との違いに驚愕しました。