名無しの教師の日誌

ある公立中学校教師の教育私論と日記です。

残菜ゼロキャンペーンの是非

2017-10-09 18:25:08 | 教育に関する私論
呼称や具体的な手立ては学校によりけりなのですが

小中学校でしばしば次のようなキャンペーンが行なわれています。

・給食の残菜(残食、残飯とも)を無くすor減らすことを目指すキャンペーンである。
・給食委員の生徒が呼びかける。
・このクラスは残菜が無かったが、このクラスはあった、という具合に、競走の原理を導入する場合もある。


私の勤務校でも実施され、呼称は残食ゼロキャンペーンです。

少し前、先生が児童に給食を無理矢理食べさせて嘔吐した、というニュースが流れていましたね。

それを見ていて、今日の記事を書こうと思った次第です。



まず、私の個人的な信条を書くと、食べ物を粗末にすることは大嫌いです。

私の言う、「食べ物を粗末にすること」とは

・自分の食べる量よりも多い量の食べ物を注文し、食べ残すこと。
・バイキング形式や食べ放題形式のお店で、どうせ同料金だからと沢山取り、食べ残すこと。
・そもそも食べ残すことを前提とすること。

(少し前に、芸能人が、回転寿司屋でダイエットだからとシャリを残す様子をネットにアップして炎上しましたが、そのようなことです。)

です。

しかし、残食ゼロキャンペーンには反対の立場であります。



私がいつも思うのは

そもそも、なぜすべて食べきらなければならないのか?

ということです。

まず、給食とは、こちらの需要量に関係なく、機械的に給食センターが用意する物です。

例えば、40人学級であれば

給食センターに、中学生1人は平均的にこれくらい食べるというデータがあり

それ×40+αの量が、ご飯等であれば質量で、汁物であれば体積などで量られ、送られてくるわけです。

各学級の、沢山食べるとか食べないとか、その日の体調や欠席者数などは一切考慮されません。



さて、読者のみなさんは、「+αって何?」と思ったと思います。

これは、食べ物に対して適切な表現か少し疑問ですが、「予備」です。

小中学生が配膳するので、こぼしたり、異物を誤って入ってしまったり、何らかのアクシデントが起こる可能性は十分にあります。

ご飯や汁物であれば、数人分こぼしてしまっても、十分足りるようになっていますし

どこかのクラスで食缶ごとひっくり返してしまっても、他クラスの予備をかき集めればどうにかなるようになってます。

ですから、こちらの状況や思いに関わらず、需要量より多い食べ物がそもそも供給されるのが、給食なのです。



もちろん、残菜はない方が良いに決まってます

しかし、もし沢山食べられる生徒がいて、その子が沢山食べて、結果的に残菜が無くなれば良いねレベルの話だと自分は思っていて

学級の目標として残菜ゼロを掲げること自体ナンセンスだと思っています。

ダイエットだからとぜんぜん給食を食べようとしないことや

特定の食材だけを偏食のごとく避けること

または逆に、おかわりをたくさんしたあげく食べ残すことはいけないことで、指導対象だと私は考えますが

クラスとして食べきったかどうかはそんなに重要では無いと思いますし

そこを重視すると、無理矢理(教師はそのつもりは無いのだろうが子ども側はそう感じている)食べさせるだとか

生徒が給食の時間までも苦痛に感じるという事態になりかねないと私は考えています。



あともう一つ、残菜ゼロを学級の目標として掲げることに無理があるとする理由に

社会の変容があります。

これは給食に限った話では無いのですが

社会の大人達がやっていることを、子どもたちに「いけないことだからやめなさい」と言うのは無理があります。

今の日本社会を見て下さい。

飽食の時代と言われ、ファミレスでは大人達は普通に食べ残しを出し、コンビニやスーパーでは毎日大量の食品廃棄が出ていることを子どもたちは知っています

昔のような、食料が豊富でなく、食料を無駄にすることが大きな悪であった時代とは違うのです。



学校給食法によれば、給食の目的の1つは

「学校給食が児童及び生徒の心身の健全な発達に資するもの」

だそうです。

食事中に児童生徒が嘔吐する。

「無理矢理食べさせられるのがいやだなぁ」と給食の時間が近くなると児童生徒が憂鬱になる。

そんな状態は健全では無かろう、と私は思っています。


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