名無しの教師の日誌

ある公立中学校教師の教育私論と日記です。

真の電子黒板の配備を

2017-10-15 12:21:09 | 教育に関する私論
授業をやっていて、最も無駄だと感じる時間が

「黒板を書く時間」です。

学校の先生って、結構テキトーに黒板を書いているイメージがあると思いますが

ちゃんとした先生は、板書計画というものを持っています。



まず、授業には、目標があります。

大きな単元目標があり、それを達成するために、1回の授業ごとに小目標があります。

で、小目標からめあてが生まれます。

(めあてという言葉は、子どもっぽいからと嫌う先生もいます。そういう先生は、「今日の授業の目標」などの表現を使いますが、本質は一緒です)

例えば、小目標が「ガスバーナーの使い方を生徒に習得させる」であれば、めあては「ガスバーナーが使えるようになろう」です。

主語が教師なのか生徒なのかの違いであり、内容はだいたい一緒なんですよ。



いずれにせよ、黒板にはまず日付が示され、この1時間で生徒諸君は何を目指さないといけないの?ということが文字で示されます

その次に、知識を習得することが小目標の授業なら、重要用語等が板書されますし

議論をする授業なら、テーマや注意事項が板書されます。

そしてその後にやっと、生徒の発言など、事前に準備されていない文章が黒板に記されるのです。

長々と書いてしまいましたが

要するに、板書のうちだいたい半分以上は、教師が事前に「こういう事を書こう」とデザインしておいたものを、再現しているだけに過ぎないのです。



板書を行なうことで、失われるものは何でしょうか。

まずは、時間です。

やはり、字を書くのは時間がかかります。

特に、小中学校の場合、教師が雑に欠くと児童生徒もまねして雑に書くので、ある程度の丁寧さが求められます。

もう一つは、視線です。

すなわち、教師は黒板に顔を向けるので、その間は生徒に対して視線を向けることはできません。

そのスキに、悪童が何かやる可能性が生まれるわけです。

ほかにも、悪意は無いのだけれど何をして良いか理解できず、戸惑っている生徒がいたとして、黒板を向いていてはその子に気づいてあげられないかも知れません。



そこで、電子黒板の登場になるわけですが

現在学校現場で使用されている電子黒板は、あくまでチョークを用いた従来型の黒板(以下従来型黒板と呼称)の補助装置に過ぎません

従来型黒板がある教室で用いられることが前提なのです。

従来型黒板で昔ながらの授業が展開され

その補助として、映像教材を見せたり、写真を見せたりするのに使われます。

従来型黒板の隣にスクリーンを設置し、そこにプロジェクタで映像を投影したものを電子黒板と呼ぶ場合もあります。

サイズ的にも、学校あたりの配備数的にも、従来型黒板に取って代わるようなものではないのです。

こんなものは、10年以上前から行なわれている、教室にあるテレビとビデオで、教育用VHSを見せる活動と変わらず、「何がICTだ!」と私は思っています。



そこで私は、「真の電子黒板」が配備されるといいなぁ、と考えています。

私の言う、真の電子黒板とは

・液晶またはプラズマの画面である
・従来型黒板と同程度の大きさである
・HDMI入力があり、教師がパソコンで準備したプレゼンや資料、カメラでとった映像を映すことできる
・スピーカーが付いており、映像教材を視聴させる際、そこから音が流せる
・タッチパネル式であり、タッチペンで手書き入力ができる
・普通教室すべてにある


というものです。

すなわち、従来型黒板の補助装置では無く、従来型黒板に取って代わる物です。

多分、一流企業が会議室とかで使っているような大型モニターに近い物ですね。

ICT教育推進のために、タブレットの導入が進んでいますが

そんなもの要らん、そんなお金があるなら真の電子黒板をよこせ、子どもは紙と鉛筆でいい!と私は思っています。

真の電子黒板があれば、先ほど述べたような、板書による損失はなくなり

教師はほぼ常に生徒の方を向いて授業を行なうことができます。

事前準備済みで、何を書くか決まり切っている部分は、エンターキー一つで黒板に表示されることで

教師は生徒がちゃんと授業に集中できているか、または指示が理解できずに戸惑っている子がいないかどうかの観察に注力できます。

生徒の発言や、生徒の質問によって必要が生じる想定外の板書は、手書き入力で従来と同じように書かなければいけませんが、それはしかたのないことです。

また、教師が事前に準備した板書、生徒から吸い上げた内容、映像資料、このすべてを1カ所に映せますから、生徒は基本、そこと教科書と自分のノートだけを見ていれば良くなります。

さらに、中学校であれば授業の再現性がより高くなります。

(つまり、1組で書いた説明と2組で書いた説明が微妙に異なり、テストで有利不利が生まれるなんてことが、より起こりにくくなります)



もちろん、実現できない理由は明らかです。

コストです。

しかしながら、子どもの教育がちゃんとできない国家は足下から破綻するので、

ほかのこと削ってでも是非何とかして欲しいと私は思っているのですが

あと何年かかることやら。



従来型黒板にも魅力はあります。

合唱コンクールの前日、みんなでチョークで「明日は頑張ろう!」というような意気込みを書くことや

卒業前のみんなへの感謝のメッセージ。

これにはなんとも、合理性を超越した魅力・感動があります。

しかし、昨日も書いたように、最近の子どもの学力レベルは、冗談にならないレベルになっていると思います。

そんなノスタルジックは棚に上げて、授業をより合理化して、はやくより良くしていかないと、手遅れになると思います。



もし、私の考えに賛同して下されば、ツイッターでも何でも良いので、声を上げて下さい。

教師が声を上げても、それで教育情勢が動く事はありませんが

保護者、市民が声を上げると、案外状況は変わります。

部活動や組み体操が、好例です。


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