エイダ実況2(12) 陰で一人でこそこそと・・・
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読んでみてねー(?_?)
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哲学の存在意義とはいかに?
人間は考える葦であるとか、知っているのは少ないが、だからなんだという話
哲学にあまり興味はないが考える機会があったので考えてみた(@_@)
はじめに、哲学の成り立ちとはいかに?
哲・・・どういう意味だ?
賢いとかそういう意味もあるらしいが哲学とはあまり無関係な意味でありそう
哲学自体の意味はある種、それだけで独立しているから今更言うまでもないだろうけど
敢えて言うなら、生き方の思想のような意味あい(@_@)
そこで、あえて、生き方の思想を哲学で考えようと思う気持ちを考えよう
生きるということは、つまり、生命活動だ
飯食って、寝て、抱いて仕事してまた寝る
その繰り返しが生きることだ
その中に、人間の持つ欲望を満たすためにいろいろなことをやる
それは、仕事の根源なのかもしれない
そもそもが暇つぶし(@_@)
生きるということは暇つぶしと言っても他ならない
仕事だって暇つぶしだし、金そのものの概念も
暇をつぶすために優位には事を運ばせるための小道具だ
では、生きるとはそういうことなのだろうか?
それじゃあ、あまりにも味気なく、それじゃああまりにも動物的な思想
だから、哲学が生まれたのだ(@_@)
だろうって断言はしない方がいいかな
ともかく、人が人である証に、他の生物との明確な差を空けるために
決定的な証拠を見出すための考え方が哲学といってもいい
俺の考えではね(@_@)
人間だからって特別変わったことはない
動物的だっていいじゃないか。その日暮でもいいじゃないか
欲望に素直だっていいじゃないか
とは思うものの、人間は人間であるために道徳という学問も同時に作り上げている
それには、人間らしく振舞うための知識がある
つまり、他の応物たちとの境界線だ
種族や遺伝子の概念を超えた、脳レベルでの線引き
つまりはモラルを守らなければならないという脅迫概念を正当化するための思想
というと言いすぎか?(@_@)
とにかく、理由づけだ
では、初めに言った考える葦にはどんな意味が込められているのだろうか?
一見、自嘲ぎみにも聞こえなくもない
所詮、考える事が出来るだけで、無力な葦と同類なんだよ
っていう、戒めのようにも聞こえる
事実、その通りなのかもしれない
思い上がるなという警告なのかもしれない(@_@)
だが、そんなことでいちいち哲学を用いるのはあまりにもナルシストなインテリな発想だろう
では、その言葉のインテリナルな考えを除外して残るものはなんだ?
人間は、考える事が出来るのだから、考えろってことさ
ただ考えるだけで何もしなければ、その場にとどまることしかできない植物と同じだ
って言いたいわけだ。葦を植物という認識で話を進めているがOK??
だから、考えて行動しろって言いたいわけ(@_@)
人間は考えているだけでは葦レベルだと、葦を揚げ玉にして侮辱しているわけだ
つまりは境界線。線引き。人間が人間足らしめていることの認識
哲学とは、つまりはそういうことだ
今回は人間についてのことだが、ほかにもいろいろあるけど
知っているが思い出せないものが多いのでここには載せられません(@_@)
哲学とは、その対象のものを適当な侮辱を込めて、行動させるための学問だ
平たく言えば発破掛け
難しく考えずに、簡単にね
哲学とは、ただ頭の中にあるうちは、単なる妄想であり、暇つぶしだ
人間は、妄想にふけるナマケモノなのだ
ってね、適当だけど、そういうことだ(@_@)
人間は考える葦であるとか、知っているのは少ないが、だからなんだという話
哲学にあまり興味はないが考える機会があったので考えてみた(@_@)
はじめに、哲学の成り立ちとはいかに?
哲・・・どういう意味だ?
賢いとかそういう意味もあるらしいが哲学とはあまり無関係な意味でありそう
哲学自体の意味はある種、それだけで独立しているから今更言うまでもないだろうけど
敢えて言うなら、生き方の思想のような意味あい(@_@)
そこで、あえて、生き方の思想を哲学で考えようと思う気持ちを考えよう
生きるということは、つまり、生命活動だ
飯食って、寝て、抱いて仕事してまた寝る
その繰り返しが生きることだ
その中に、人間の持つ欲望を満たすためにいろいろなことをやる
それは、仕事の根源なのかもしれない
そもそもが暇つぶし(@_@)
生きるということは暇つぶしと言っても他ならない
仕事だって暇つぶしだし、金そのものの概念も
暇をつぶすために優位には事を運ばせるための小道具だ
では、生きるとはそういうことなのだろうか?
それじゃあ、あまりにも味気なく、それじゃああまりにも動物的な思想
だから、哲学が生まれたのだ(@_@)
だろうって断言はしない方がいいかな
ともかく、人が人である証に、他の生物との明確な差を空けるために
決定的な証拠を見出すための考え方が哲学といってもいい
俺の考えではね(@_@)
人間だからって特別変わったことはない
動物的だっていいじゃないか。その日暮でもいいじゃないか
欲望に素直だっていいじゃないか
とは思うものの、人間は人間であるために道徳という学問も同時に作り上げている
それには、人間らしく振舞うための知識がある
つまり、他の応物たちとの境界線だ
種族や遺伝子の概念を超えた、脳レベルでの線引き
つまりはモラルを守らなければならないという脅迫概念を正当化するための思想
というと言いすぎか?(@_@)
とにかく、理由づけだ
では、初めに言った考える葦にはどんな意味が込められているのだろうか?
一見、自嘲ぎみにも聞こえなくもない
所詮、考える事が出来るだけで、無力な葦と同類なんだよ
っていう、戒めのようにも聞こえる
事実、その通りなのかもしれない
思い上がるなという警告なのかもしれない(@_@)
だが、そんなことでいちいち哲学を用いるのはあまりにもナルシストなインテリな発想だろう
では、その言葉のインテリナルな考えを除外して残るものはなんだ?
人間は、考える事が出来るのだから、考えろってことさ
ただ考えるだけで何もしなければ、その場にとどまることしかできない植物と同じだ
って言いたいわけだ。葦を植物という認識で話を進めているがOK??
だから、考えて行動しろって言いたいわけ(@_@)
人間は考えているだけでは葦レベルだと、葦を揚げ玉にして侮辱しているわけだ
つまりは境界線。線引き。人間が人間足らしめていることの認識
哲学とは、つまりはそういうことだ
今回は人間についてのことだが、ほかにもいろいろあるけど
知っているが思い出せないものが多いのでここには載せられません(@_@)
哲学とは、その対象のものを適当な侮辱を込めて、行動させるための学問だ
平たく言えば発破掛け
難しく考えずに、簡単にね
哲学とは、ただ頭の中にあるうちは、単なる妄想であり、暇つぶしだ
人間は、妄想にふけるナマケモノなのだ
ってね、適当だけど、そういうことだ(@_@)
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