どうでもいいけど、今、次元には同じ空間であっても別の空間が混ざりこんでいるよね(@_@)
空間とは、結局、知性の共有で成り立っているのかもしれない
今、本当だと思われてた嘘みたいな本を読んでるんだけど・・・
人々は鵜呑みにして生きてきたって思う
これは皮肉でも嘲りでも何でもなく(あざけりって感じで打つくせに、あとで読めなくなること多数)・・・
単純な好奇心で、何故、人々は鵜呑みにしてしまうのだろうかという問題を考えてみた
教科書で習うこと、学校で習うこと・・・
それがすべて正しいという思いは誰も持ってないと思う(@_@)
人は、何かを学んだりする時は必ずと言っていいほど、疑うと思うんだよね
でも、その中でも割と信じられているのが、数学
もちろん国語も
まあでも、理科社会だって当然、信じられるっちゃ信じられる
けど、その前提は何だ???
みんなが同じ知識を共有しているからかもしれない
それは多数決だ
信じる信じないの中で、誰の言葉を信じるかっていると・・・
それは友人など、近い人間だろう(家族は・・・微妙だ)
あとは、尊敬する人や、好きな人(恋人や歌手とか役者とかでも何でも)(@_@)
今の時代だと、ネットとかで調べて鵜呑みにしたりもする・・・
なぜ、ネットなら信用できるのだろうか???
それは、いろんな人が見ているから信用できるっていう心理があるのかもしれない
正しいからみんな見る・・・
けど、現実はかの国で女性大統領じゃなくってエリート営業マンがプレジデントになってしまうような・・・
面白半分っていう心理も働いている
その面白半分ってのが、ある意味で厄介でもある
面白そうなこと、当然、面白いことは人気が出る(@_@)
では、その面白いとかの基準は、どうやって作るか???
その中にはルールがあり、ルールがあるということは・・・
誰かが操作しているということでもある
基準とは、助かる部分も当然あり、便利さもあるが・・・
誰かが操作している可能性も考えなきゃならないのだ
表に出るということは、誰かが操作している可能性を示唆しなきゃいけないのだ
だが、その基準はあいまいで・・・
正しさの基準は多数決に依存していることと・・・
面白さ・・・単純な面白さとあたかもありそうっていう基準・・・(@_@)
って・・・まとまってる???