恐怖におびえた人間の話(@_@)
人間は、色んな要素を抱えながら生きている
それがどんな人間でも、どんな体でも、どんな心でも・・・なんでも・・・性格でも・・・
それが個性だと思っている
生きた証が、生きている軌跡が、人間の体に刻まれ続け、そして、そのつづりの中で生きている
臆病でも勇敢でも・・・何でもそうだけど・・・
人間には喜怒哀楽があり・・・
それに倣って生きていく・・・(@_@)
東京ゾンビの話
哀川翔さんが、末期がんだと思い込んでる役をやっていたんだけど・・・
胃潰瘍かなんかなんだけど、痛みでそれをガンだと思い込んだり・・・
ゾンビに噛まれたと思い込んで(噛まれたがゾンビ化はしていない)ゾンビとして主人公に襲い掛かったり・・・
ゾンビじゃないけどゾンビに襲われたら「俺もゾンビだ!!間違えるな!!」といってゾンビを退けたりもしていた
思い込みが強くなると・・・人間は違う生き物にも変わってしまうのかもしれない
もちろん、それはモノガタリの話だから・・・現実と重ねていいものなのか???(@_@)
思い込みの話
普段と全く変わらないのに、ちょっとした体調不良と、ただの思い込みで、大病だと思い込んでしまう
普段と変わらない食事量なのにもかかわらず、「食欲がない」とか言い出したり・・・
原因がわかっているのにそれじゃないと否定して、何故か重い病気だと思い込む
医者まで行って、結果が出る前に自己診断で医者のいうことは信用しない
まるで・・・今の世界を象徴するような・・・
それはなぜか???????(@_@)
死の話
死は、仕方のない当たり前の話だ
だが、文明は医学を発達させるためなのか・・・あるいは、金という物の価値をより高めようとした結果なのか・・・
死に対する恐怖を植え付けた
当たり前なことなのに・・・自らの思い込みとストレス(この場合は悪い意味での)で何でもないことに死を意識して・・・
自らの脳から体をそっちに寄せてしまい、勝手に恐怖する・・・
それは仕方がないことでもある・・・(@_@)
命の期限は決まっているのかもしれない・・・けど、それは決められたものなのかもしれない
死の恐怖を感じずに、いや、もっと安らかに生きようとすれば、死は、もっと自然に、そして運命的に訪れるのかもしれないのに・・・
脳が死を思い込みで加速させてしまう
脳が死に向けての体にしてしまうのだ・・・それが限界ではないのにもかかわらずにだ
脳は、影響されやすい・・・特に、集団と恐怖と死・・・にだ
打ち勝たなくてもいいのかもしれない・・・
死は、誰にでも訪れるものだから・・・
しかし、打ち勝った暁には、作られた恐怖の中ではない、安らかな死が、運命という寿命の名のもとに・・・
訪れると思うんだけどな(@_@)