地震が起きた時、私はパソコンに向かっていた。突然、大きく揺れ出したが、すぐにおさまると、いつものように楽観的だった。地震より雷のほうが怖い私は、ふだん、防災グッズを買っておこうかしらと人に話したりするものの、大丈夫と全く根拠のない楽観が心のどこかにあるためだった。
けれど、今月11日の午後の地震は、揺れ方が大きく、なかなか、おさまらないので怖くもなり不安にもなった。このマンションは耐震耐火構造のはずと、一瞬、思った。それでも万全ではなく、建物が崩壊して、もう人生終わりかもという思いが、一瞬、かすめた。まだ死にたくない、やり残したことがあるという思いが、一瞬、かすめた。
もっとオペラを観たかったとか、タイトルだけメモしてある未投稿のブログ記事がいくつかあるとか、書き下ろし携帯小説を1本も書いていないとか、電子書籍化されてない作品がまだ半分ぐらいあるとか、せっかく買って読んでない本がたくさんあるとか、せっかく買って観てない映画DVDもかなりあるとか、他にもさまざまな思いが、瞬間的にかすめた。
さらに、防災グッズがないことと、避難する時の持ち物もまとめていないことを、後悔する結果になるかもという思いも一瞬、かすめた。
急いでパソコンを終了し、リビングルームへ行って、テレビをつけた。緊急速報番組で、かなり大きな地震ということがわかった。避難時の持ち物をまとめるとか、玄関のドアを開けておくとか、警戒する行動はあれこれ浮かぶものの、
(もう運命と思って諦めよう)
テレビの緊急報道番組を見ながら、そう呟いたが、やはり心のどこかに大丈夫と楽観のような気分があるためだった。
そのくせ、余震が何度もあると、
(やっぱり、避難する時の用意をしておかなくちゃ)
そんな思いもかすめるのに、ただテレビの緊急報道番組を、その時刻から夜遅くまで、ずっと見続けることになった。こんなに長時間、テレビの報道番組を見るのは初めてだと思った。
テレビを見始めて間もなく、東京の九段会館で天井が落下と報道され、
(あ、九段会館……!)
ずっと以前、行ったことがあるので、なつかしいなんて言っている場合ではなかった。その近くの会社勤務の友人に携帯メールしたら、なかなか送信できない。かなり時間がかかって、ようやく送信できた。そんなことは初めてだった。
夕方、ガスが止まってしまったと知った時は慌てた。ガスの供給停止かと思い、東京ガスのホームページを見て、ガスの安全装置が作動したとわかり、手動で再開できたが、そんなことも初めての経験だった。
家の中の被害は、扉を開けたままの本棚の上段に並べた本の上に、横に置いた文庫本が数冊すべり落ちて床に散乱したのと、洗面所の壁に立てかけたモップが倒れたのと、キッチンのスライド式引き出しが2つ開けかかったのと、キャスター付きDVDラックが10センチ移動したことだった。それらもまた、初めての経験で、地震の大きさを感じさせられた。
食事も入浴も短時間ですませ、ずっとテレビの緊急報道番組を見ていたら、午後9時過ぎに友人から固定電話がかかってきた。ナンバー・ディスプレイの表示は会社の電話番号で、珍しいことだった。受話器を取るなり、
「メール! 九段会館! 怪我は!」
たて続けに、私は言った。
「メールも電話も、携帯は繋(つな)がらない。九段会館は行かないから」
メールもしたし、固定電話も何度もかけて、ようやく繋がったと言う。私に比べて、友人の口調は落ち着いているように感じられ、何となく安心した。
携帯メールが、まとめて来た。その中にドコモからの緊急地震速報メールもあった。翌日からも、地震のたびに緊急地震速報メールの着信音が鳴った。軽やかな着信メロディと違って、ビーッ、ビーッと脅(おど)かされるような着信音で、携帯を開(ひら)くと、自動開封されたメール文が表示されている。そんなことも初めてだった。
テレビの緊急報道番組で見る津波被害の映像は、まるで映画の1シーンのようで、現実のことと思えないほどの衝撃を受けた。被災した人たちは、本当に気の毒で可哀相でたまらなかった。
翌日、神奈川に住む娘から、久しぶりに電話がかかってきた。昨日もかけたけど繋(つな)がらなかったと言うので、
「心配して電話してくれたの?」
と、私は胸が熱くなってしまった。
「ママのことだから、きゃあーっ、きゃあーって、悲鳴あげてるんじゃないかと思って」
冗談混じりに彼女が言った。久しぶりだったので長電話になった。心やさしい娘がいて良かったと、つくづく思った。
その大地震以来、スーパーでの商品不足という初めての経験の日々だった。今日は何が買えたとか買えなかったとか、姉と連日、携帯メールのやり取りをしていた。開店時刻には入場制限のため、長い行列ができるらしかった。私が買いに行く午後は、卵も牛乳もパンも乳製品も米もジュースもペットボトル麦茶もミネラルウォーターもなくて、それらの商品棚はガラガラ。照明を落として薄暗くなっているのが、わびしい感じだった。長年、卵と牛乳がなくては生きて行けないと思い込んでいたが、牛乳の代わりに豆乳を買い、卵は1週間近く買えなくて我慢した。日用品の棚もガラガラで、入荷できないとか、お一人様一個という貼り紙ばかりが眼についた。
今回の大地震で、思いも寄らない初めての経験の連続だったが、全く予期しないことも起こるのが人生なのだと、あらためて痛感させられた。
けれど、今月11日の午後の地震は、揺れ方が大きく、なかなか、おさまらないので怖くもなり不安にもなった。このマンションは耐震耐火構造のはずと、一瞬、思った。それでも万全ではなく、建物が崩壊して、もう人生終わりかもという思いが、一瞬、かすめた。まだ死にたくない、やり残したことがあるという思いが、一瞬、かすめた。
もっとオペラを観たかったとか、タイトルだけメモしてある未投稿のブログ記事がいくつかあるとか、書き下ろし携帯小説を1本も書いていないとか、電子書籍化されてない作品がまだ半分ぐらいあるとか、せっかく買って読んでない本がたくさんあるとか、せっかく買って観てない映画DVDもかなりあるとか、他にもさまざまな思いが、瞬間的にかすめた。
さらに、防災グッズがないことと、避難する時の持ち物もまとめていないことを、後悔する結果になるかもという思いも一瞬、かすめた。
急いでパソコンを終了し、リビングルームへ行って、テレビをつけた。緊急速報番組で、かなり大きな地震ということがわかった。避難時の持ち物をまとめるとか、玄関のドアを開けておくとか、警戒する行動はあれこれ浮かぶものの、
(もう運命と思って諦めよう)
テレビの緊急報道番組を見ながら、そう呟いたが、やはり心のどこかに大丈夫と楽観のような気分があるためだった。
そのくせ、余震が何度もあると、
(やっぱり、避難する時の用意をしておかなくちゃ)
そんな思いもかすめるのに、ただテレビの緊急報道番組を、その時刻から夜遅くまで、ずっと見続けることになった。こんなに長時間、テレビの報道番組を見るのは初めてだと思った。
テレビを見始めて間もなく、東京の九段会館で天井が落下と報道され、
(あ、九段会館……!)
ずっと以前、行ったことがあるので、なつかしいなんて言っている場合ではなかった。その近くの会社勤務の友人に携帯メールしたら、なかなか送信できない。かなり時間がかかって、ようやく送信できた。そんなことは初めてだった。
夕方、ガスが止まってしまったと知った時は慌てた。ガスの供給停止かと思い、東京ガスのホームページを見て、ガスの安全装置が作動したとわかり、手動で再開できたが、そんなことも初めての経験だった。
家の中の被害は、扉を開けたままの本棚の上段に並べた本の上に、横に置いた文庫本が数冊すべり落ちて床に散乱したのと、洗面所の壁に立てかけたモップが倒れたのと、キッチンのスライド式引き出しが2つ開けかかったのと、キャスター付きDVDラックが10センチ移動したことだった。それらもまた、初めての経験で、地震の大きさを感じさせられた。
食事も入浴も短時間ですませ、ずっとテレビの緊急報道番組を見ていたら、午後9時過ぎに友人から固定電話がかかってきた。ナンバー・ディスプレイの表示は会社の電話番号で、珍しいことだった。受話器を取るなり、
「メール! 九段会館! 怪我は!」
たて続けに、私は言った。
「メールも電話も、携帯は繋(つな)がらない。九段会館は行かないから」
メールもしたし、固定電話も何度もかけて、ようやく繋がったと言う。私に比べて、友人の口調は落ち着いているように感じられ、何となく安心した。
携帯メールが、まとめて来た。その中にドコモからの緊急地震速報メールもあった。翌日からも、地震のたびに緊急地震速報メールの着信音が鳴った。軽やかな着信メロディと違って、ビーッ、ビーッと脅(おど)かされるような着信音で、携帯を開(ひら)くと、自動開封されたメール文が表示されている。そんなことも初めてだった。
テレビの緊急報道番組で見る津波被害の映像は、まるで映画の1シーンのようで、現実のことと思えないほどの衝撃を受けた。被災した人たちは、本当に気の毒で可哀相でたまらなかった。
翌日、神奈川に住む娘から、久しぶりに電話がかかってきた。昨日もかけたけど繋(つな)がらなかったと言うので、
「心配して電話してくれたの?」
と、私は胸が熱くなってしまった。
「ママのことだから、きゃあーっ、きゃあーって、悲鳴あげてるんじゃないかと思って」
冗談混じりに彼女が言った。久しぶりだったので長電話になった。心やさしい娘がいて良かったと、つくづく思った。
その大地震以来、スーパーでの商品不足という初めての経験の日々だった。今日は何が買えたとか買えなかったとか、姉と連日、携帯メールのやり取りをしていた。開店時刻には入場制限のため、長い行列ができるらしかった。私が買いに行く午後は、卵も牛乳もパンも乳製品も米もジュースもペットボトル麦茶もミネラルウォーターもなくて、それらの商品棚はガラガラ。照明を落として薄暗くなっているのが、わびしい感じだった。長年、卵と牛乳がなくては生きて行けないと思い込んでいたが、牛乳の代わりに豆乳を買い、卵は1週間近く買えなくて我慢した。日用品の棚もガラガラで、入荷できないとか、お一人様一個という貼り紙ばかりが眼についた。
今回の大地震で、思いも寄らない初めての経験の連続だったが、全く予期しないことも起こるのが人生なのだと、あらためて痛感させられた。
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