ガエゆだR。

~ガチとエンジョイとの狭間で未来の夢を抱くブログ・REBOOT。~

【ATTENTION】始めにお読みください【NOTICE】

この度は本ブログに足を運んでいただきまして、誠にありがとうございます。
本ブログを読むにあたり、注意事項がありますので、三つ…言わせてください。
一つ。本ブログはタイトルの通り、「デレマスのガチ勢なのかエンジョイ勢なのかよくわからない人のブログ」なので、
「若干ヒリつく話題にも首を突っ込み自分なりの解釈を述べるブログ」、という側面を持ちます。なので、燃えそうなヤツはいつの間にか無くなってるかもしれません。
二つ。管理人の性分がクソマジメちゃんなのでいちいち言う事が堅いです。ぶっちゃけクソつまんねー事も有ります。ご了承ください。
三つ。特にありません。…と言いたいところですが、自分の考えは飽くまで「ガチ勢でもないエンジョイ勢でもない半端者」のお話です。
読み流す程度にご覧ください。
以上となります。大変長らくお待たせ致しました。それでは、ごゆっくりお楽しみください。

メグル蝸旋

2024-02-17 01:17:40 | (小難しい)雑記/お知らせ
【始めに】
当記事は記事タイトルの由来にもなったjon-YAKITORY feat. Adoの蝸旋らせんを聞きながらor聞いてからお読みください。
個人的に当記事で扱うセクシー田中さん事件が、本楽曲がテーマソングになっているLOST JUDGEMENTロストジャッジメントを彷彿とさせるためなのですが、
そちらの内容を知っている方には理解いただけるかと思います。



えー、非常にセンシティブな話題を取り扱うため、少しでもするりとお話が入ってきやすいよう、
中和剤のようなものを用意させて頂きました。真剣な話題やのに何してんのコイツと思った方、ごめんなさい。今から真面目にお話します。

てなわけでどうもKlowです、おはようございます。

実写ドラマ版「セクシー田中さん」放送後、脚本家の相沢友子先生の「原作者の脚本参加に戸惑った」旨の発言に、ブログとTwitter改めXで反論を展開したのち、
その数日後に遺書をしたため、芦原妃名子先生が自殺したという原作ありのドラマ制作現場史上恐らく初の惨劇が起きた、俺個人的通称「セクシー田中さん事件」
その後、小学館から謝罪っぽいコメントが発表されるも延焼は止まず、2週間と4日経って渦中の日テレが重い腰を上げ、内部調査チームが始動した事で
一旦は静観のフェーズに入った所だったのですが、どうにも本事件について相沢先生の話を鵜呑みにしてらっしゃるのか、
はたまた斜め読みして芦原先生のブログ記事をあまり覚えてらっしゃらないのか、それともブログ記事を読んでやがらないのかは定かではありませんが、

「原作者が脚本書いてくれ、なんて誰も頼んでない。ドラマに首を突っ込んで、
最悪放送中止にでもなった時の責任取れんのか?連載してる途中ならそっちに集中しとけ。
あとで『あのドラマは納得行ってないの』って愚痴るだけにしとけばいいじゃん、と
死んだ人に対してだけど腹立つ」
(要約)

と言った旨の芦原先生への冒涜や侮辱に近い話をしてらっしゃる方を見かけまして、こいつぁいけねえ…と思い立ち、
日テレの動向を静観するしかなくなった今だからこそ、自分が抑々どういう話をしてたかをちゃんと頭に定着させる、というか、いつでも自分が見返して
整理できるメモ帳というか事件簿代わりと言っちゃないんですが、芦原先生が嘗て削除したブログ記事でどういった話をしていたか、
事の発端となった相沢先生のInstagramの投稿と合わせて自分で調べた事を纏めておきたいと思います。


○【発端】
始まりは去年12月24日、クリスマスイブの日。「おしゃれクリップ」終わり、日曜10時半からのドラマとして放送されていた
実写版セクシー田中さんは、丁度今日で最終回を迎えるという当日、相沢先生は後に大問題に発展するpostをInstagramに投稿しました。

「最終回は自分の脚本じゃなく、原作者が自分が脚本したいと希望したため、
過去に経験の無い事でしたが、残念ながら・・・・・急遽脚本協力という形で携わる事になりました」
(要約)

と言った制作現場でトラブルが起きたかのような話をしており、よく読むと「芦原妃名子先生」という個人名を出さず「原作者」と書くに止め、「残念ながら」と
強調する辺りに、後述する芦原先生の反論を踏まえて読むと相沢先生がよほど衝撃を受けたか若しくは悔しかったのか、まるで
「ラストだけ原作者がしゃしゃり出てきて、自分の仕事を盗られた」とでも言いたげなpostは、それなりに反響を呼んだようでした。


○【反論】
最初は然したる話題にもなっていなかったようですが、どうやらそれがかなり遅れたのか、それとも早く届いていたのかは分かりませんが、
このpostは原作者たる芦原先生の目も留まったらしく、芦原先生はこれに反論すべく、数年間放置していたというブログを更新。更に、記事を書く少し前、
1月18日頃に立ち上げていたTwitter改めXのアカウントでも、ブログ記事と同等の内容を投稿します。
これが1月26日、約1か月遅れての事でした。今思えば、1か月間書くか書かざるべきかという葛藤があったんではないかと推し測ってしまいますね。
記事の中では、

9話と10話の脚本を書かざるを得なくなった・・・・・・・・・・・ことを、ちゃんと説明しなければならないと思い記事を書きます」(要約)

と前置きした上で、どのような経緯で脚本を行ったかが克明に記されていました。現在此方のブログ記事は削除されている為、
ニュース記事などを調べてそこに記された内容に依れば、まず、ドラマ化するに当たって芦原先生は

☆ドラマ化するなら、必ず漫画に忠実にして欲しい。忠実でない場合は加筆修正します
☆原作未完なので、ドラマ版最終回近くの話は漫画の話に影響しないオリジナルシナリオを自分が作ります


という条件の元、実写ドラマ版を作って欲しい…と、小学館を経由して日本テレビに伝えて貰ったそうです。しかし、いざ脚本のプロットが上がってみると、
原作漫画を大きく改変したものが提出され、芦原先生がセクシー田中さんという作品の核として描きたかった部分がばっさりカットされていた為、
なんでこうなったの?と聞いても納得の行く回答が得られず「作品の個性を消されるぐらいならドラマ化やめる」(要約)とも訴えた上、
なんで改変されたくないかも丁寧に伝えた上、粘りに粘ってほぼ原作通りの話に直してもらったとありました。

また、完成に漕ぎ着けた頃には最初に伝えたドラマ化の条件が余りにも反故にされていた為、自分達に知る術はないが、「何でこうなったのか」という
疑問を抱えながらの加筆修正作業に追われて相当疲弊していたそうで、8話から10話の最終盤の脚本を担当しようかという約束だった筈が、
それも反故にされて8話から10話までの脚本も上がって来たそうです。この時点で自分としては日テレが殿様商売してるんじゃねえの?と思えてしょうがないですね。
「原作ありのドラマでも話変えてナンボやし?つかなんでそんな嫌なんすか芦原センセ(笑)」みたいな。

その後、「一旦自分が書いた脚本をそのままドラマに落とし込んで欲しい、至らない所が有れば相談して欲しい」(要約)という旨のリクエストを小学館を通して
伝えて貰ったそうですが、ここまで脚本家の相沢先生や監督、キャスト陣の皆さんには直接会った事が無いそうで、
小学館と日テレの間で改変された脚本が上がって来ちゃあ当初の約束通りにしてくれ、と突き返すという事が何度もあり、それから4週間経っても
事態が進展しなかったらしく、製作期間のリミットも迫ってきたこともあって何とか8話だけは改変される前の内容に戻してもらったものの、それでも埒が明かない
判断した結果、小学館を通して「原作者脚本をそのままドラマ化して貰える方に脚本を変わって頂きたい」とすらリクエスト。結果
「8話まで書いてた相沢先生は関わらない」と聞いた上で「9話と10話は芦原先生が脚本を担当する」ということになったとありました。

素人がプロの脚本家の見様見真似をして、不満の残る話になったと思う事はお詫びすると共に、素敵なドラマにしていただいた事を感謝します
といった感じでブログ記事は締めくくられていました。恐らく、芦原先生はメンタル的にも色々と正気を保っているのがやっとだったろうに、滅茶苦茶丁寧に言葉を選んで
最大限傷付けることが無いよう配慮しながら、芦原先生側で起こった事実を克明に記しておられました。

…しかし、この記事のリアクションは、特にTwitter民は「実写化はクソ」という風潮が強く、事実が明るみになるとともに相沢先生のpostが白日の下に晒され、大炎上
自らの想定ではなかったのか「、誰かを攻撃したかったわけではない」と言った旨のTweetを残したその数日後。芦原先生は自らの命を絶ってしまうのでした。


○【その後】
時は遡って、クリスマスイブのpostから4日後。あのpostは当時もそれなりに話題になっていたらしく、嘗て最終回に寄せたpostに対して
釈明するような内容
を記していました。曰く

「自分が脚本したのは8話までで、9話と10話は原作者によるものです」
「今回の出来事は、ドラマ制作の在り方や脚本家の存在意義について考えるものでした。
二度と同じことが繰り返されませんように」
(要約)

といった感じの投稿でしたが、芦原先生の死後、本postを掘り起こしたほぼ全員が見事なまでの被害者面やな」と読み、相沢友子先生は渦中の人となります。
その後のTwitter民のリアクションは皆様の知る通り。トレンドワードに「脚本家のせい」という短文が踊る程、相沢先生はその罪を問われる事となりました

それから相沢先生はこの事件が刻一刻と過ぎる中、2月6日頃に自らのInstagramに新たなpostを投稿しますが、そちらのpostもその後の対応も含め、
火に油を注いでしまいます。文中では芦原先生にお悔やみ申し上げる挨拶に始まりますが、

「自分にとっては初めて聞く事ばかりで、いったい何が真実なのか、
何を信じればいいのかと動揺している内に日が過ぎて行った。今も混乱している」
(要約)

とあり、自分もこの文章を書きながら初めて見た時の「お前のせいやろがいけしゃあしゃあとよお」という怒りがハッキリと蘇るレベルで不愉快な思いをしたのですが、
飽くまで相沢先生は本件に関して被害者であるというスタンスを崩さないようでした。ただ、正直相沢先生には芦原先生からのディレクション
日テレの制作陣から伝言ゲーム式で伝わってる筈なので、全くこの事情を知らないという事は無い筈なのに、それでもこんな
「自分は無実です」と雄弁に語ってる被害者面が出来るのは、筆者としては「このクソアマ面の皮1000万枚張りなのかな」と思ってしまう次第です。


○【現在】
そして現在。小学館がコメントを発表するも、長々と語っている割には最後に泣き落としに走ったような、文面に透けて見える被害者面から
そちらも大炎上する結果となるなど、この事件で加害者の容疑がかっている登場人物全員が被害者面をすると言う、
「虐められっ子虐めを苦に自殺し、それを受けて『そんなつもりじゃなかったんです』と釈明する虐めっ子集団」を見ているかのような煮え切らぬ現状に、
事態が中々風化しないどころか炎症が止まらないと判断したのか、日テレが内部調査チームを擁立。この事件に関してしっかりと時系列を追って調査していく、と
漸く一連の事件の真犯人最有力候補としてマトモな事を言い始め、現在はその調査結果が出る事を一刻も早く願いながら静観するという段階に突入したという訳です。

しかし自分は嘆くわけです。冒頭の蝸旋を引用して、そして俺の言葉として「お前らのせいだ」と。
現状何がどうして芦原先生を追い詰めたのか、定かではありません。けれど、小学館を盾にするように、そして抑々炎上している相沢先生を捨て駒にするように、
ダンマリを決め込んでいる日テレが、筆者的には何より気に食わないのですが、それはまた別のお話、ということで。


以上、自分がザッと調べたセクシー田中さん事件の一連の流れな訳ですが、小学館のコメントや日テレのコメントを大きく取り払い、
相沢先生と芦原先生のコメントに集中して記事を書かせて頂きました。ぶっちゃけ全員被害者面なので煮え切らない思いを今でも抱えているわけですが、
個人的には日テレの内部調査チームが願わくば、しっかりと仕事をしてくれることを期待します。

最後になりますが、自分はこのようなブログ記事を書いた理由は、この事件を追っている外野に対してそういう茶化したコメントをしたヤツを見かけたので、
自分が似たような事を言われない為にも…という感じではあるのですが、「人の死を出汁にして承認欲求を満たしたい」とかいう、
カスみたいな願望で書いたのでは断じてありません
自分がこのセクシー田中さん事件についてTwitterも含めれば事件発生から2週間以上定期的にクドクドブツブツ呟いていますが、自分が「漫画や小説が原作の実写ドラマ」を
楽しんでいる受け取り手
の一人として、二度とこのような事が有ってはいけないと思ったし、アニメではもう既に「映像化に当たって基本的には原作を尊重する」という
暗黙のルールが出来上がっているのに、実写版はまだこんななんかと思った俺としては、ぶっちゃけ「実写化の裏で、余りにも原作と乖離している事にショックを受ける原作者が
いるかもしれない」と想像しながら見たくない
、というのもあり、実写化界隈がもっと原作を尊重する流れが出来て欲しいと、セクシー田中さん事件を忘れられずにはおれんのです。

一日でも早い再発防止に向けた実写化ガイドラインの順守が徹底化される事を願い、お終いとさせて頂く事にして。
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ワスルルナ死

2024-01-17 18:27:10 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

皆さんは「メメント・モリ」という言葉に聞き覚えはないでしょうか。ええそうです最近スマホゲーのタイトルになったあの言葉です。
これって何ぞや、って話なんですがズバリ

「人生のネタバレ 死ぬっぽいな」(♪神っぽいな/DECO*27×ピノキオピーfeat.初音ミク)

です。分かりやすく言えば。
ちゃんと解説すると「死を忘れるな」「死を想え」とも翻訳される古代ローマの頃にはすでにあったラテン語の言葉でして、
現代では主に「人はいずれ死んでしまうので、今を生きよう」というニュアンスで用いられる言葉だそうです。

で、何で突然こんな話をするかと言いますと、最近聞く音楽でちょいちょいメメント・モリを感じるものがあるな、と思っての事だったりします。
具体的に曲名と歌手名を挙げると(敬称略)

カラタチの夢/大橋トリオ
/藤井風
光の跡/星野源
私が明日死ぬなら/キタニタツヤ


あたりかな、と。以上、自分が聞いた順に羅列しましたが、この4曲の根底にはメメント・モリがあるような気がするのです。
全ての曲に細かく触れて行くと、文章量がえげつねぇ事になる上、抑々筆者が疲れるので割愛しますが、
「カラタチの夢」には「いつかは死んでしまうなら、自分らしく生きて、笑って行こう」
「花」には「全て枯れて行くけれど、それでも自分だけの花を咲かせに行くんだ」
「光の跡」には「人は跡形もなく消える様に死ぬけれど、きっと自分の『光の跡』を作る為に思い出を作るんだ」
「私が明日死ぬなら」には「自分がもし明日死んでも、あなたはどうにかこの歌を頼りに生きて行ってね」
と言った具合に、「何れ来る死と向き合って上でどうして行こうか」というニュアンスの歌詞が含まれている曲であり、そう言ったいずれ死ぬなら今を生きよう
もしくはいずれ死ぬからこそ今を生きて欲しい、という願いが込められていると解釈できる歌であると言えるんですね。
尤も、4曲目は「今から自殺する人が友人や親族に当てた歌」という風にも聞こえてしまうので、メメント・モリとはまた違うような気もしますが、
それでも「死を意識させる」という意味では一緒なのかな、と思ってもいます。…しかし、先述の通りの印象だったので、
初めて「hope with music.」がテーマのCOUNTDOWN TV LIVE! LIVE!スペシャルで唄ってるのを見た時は目玉剥いたのはここだけの話。
いやマジでここまでテーマに沿ってねえ歌を堂々と唄ってるのあたしゃ初めて見たよキタニくん。

で、2023年後半~2024年初頭にこんなにもメメント・モリがある曲を直近で4曲も効きましたが、直近でそんな曲が世にまあまあ出た理由としては、
やっぱりコロナ渦の影響が大きいのかな、と思っています。2020年~2023年頃までの約3年間、多くの人は死を間近に感じながら暮らしてたんじゃないかなと思いますし。
2020年、中国は武漢を起点とし、世界に蔓延したコロナウイルス。多くの罹患者と死者を出したそれは、日本にも大打撃を与えて行きました
正直に言えば、自分の母方の祖母と、父方の祖父もコロナウイルスで亡くなり、自分も死を間近に感じて生きた一人です。

そんな所謂「アフター・コロナ」、「ウィズ・コロナ」の時代でリリースされた曲に見るメメント・モリと言えば、少し遡って2021年、
Official髭男Dismがリリースした「アポトーシス」がそれに該当すると言えます。
病気で後先のない主人公が、死の恐怖と向き合いながら少しずつ残りの人生を暮らし、遂には眠るように息を引き取る、という物語が描かれた曲なのですが、
リリース時期的に考えると、ボーカルで主に曲を製作する藤原聡くんが、身近な人の死があったのかなと感じられるくらい克明に記された歌詞からは、
先述の「私が明日死ぬなら」と同じく主人公が死ぬ事でメメント・モリを感じられる曲なのかなと思っています。

結局、何を申し上げたいかと言うと、これからもこういう曲がリリースされるとは思っていて、それはやっぱり「コロナ渦を経験した今だからこそ、
人は死んでしまうのだから、今を自分らしく生きて行こう、生きて行って欲しい」という思いが込められていると解釈できる、優しい気持ちで作られた筈の曲だと
思いますので、皆さんも耳を傾けてみて下さいね、という話です。

今日が阪神淡路大震災から29年と言う事で、いち兵庫県民として今日が何事もなく、平和に過ごせることに感謝しながら改めてこういった記事を
書いてみましたが、相変わらずの辛気臭さだなと振り返りつつ、お終いとさせて頂くことにして。
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支援ノゼヒ

2024-01-07 23:30:53 | チラシの裏
どうも、Klowですおはようございます。

えー、新年明けましておめでとうございます。謹んで新年のご挨拶を申し上げたいところですが
今年は正月元旦から能登半島で大地震が発生。しかも津波も発生するという、東日本大震災の悪夢が蘇ったような災い
本邦は見舞われてしまいました。被災された方々に於かれましては、一刻も早い被災地復興をお祈りすると共に、
被害によって亡くなられた方への哀悼の意を本記事で表したいと思います。

さて。話は変わりますが、このように地震が発生すると必ず話題になるのが、
NPO法人の皆様や、芸能人の方々による物資輸送や炊き出し、勇気ある一個人の方々による慈善活動ボランティアです。
嘗て山で遭難した子供を発見した事で一躍ヒーローとなり、その後もしっかり自身の始末が出来る装備を持って行き、
その上で被災地支援を行う「スーパーボランティア」と言われた尾畠春夫さんはとても有名ですね。このように、
そう言う活動は被災地の方々にはとても有難い物として受け取られ、行動を起こした者は、基本的に称賛されるものでした。
…そう、基本的には・・・・・
と言うのも、今回は地震による地形の隆起から道路への被害が激しく、それに伴う交通規制がいち早く敷かれており、
石川県は勿論、現在の石川県知事である馳浩さんも率先して「今は個人のボランティアは来ないで下さい」とアナウンスがされているのです。

ところが、そんな状況を理解してか理解せずかは定かじゃありませんが、「個人で来るな」と言われているにも拘らず、
足腰に不安が残る状況の中被災地にお邪魔し、被災者の方のための炊き出しで振舞われているカレーライスを御馳走になるばかりか、
現地を見てきた上で既に施行済み、もしくは既に準備中の提案しかしないという、控えめに言うと周回遅れの提案しかしなかった
申し訳ないけれど余り役に立たれなかった方が現れてしまいました。

そう。れいわ新選組の山本太郎氏です。

「ボランティアの方に来て欲しい」と言われてるなら、行って被災地支援の手伝いをするまでは良いとしましょう。
しかし、炊き出しのカレーは流石に食べるのは気が引けるでしょうし、それを厚かましくTwitterで話す上、
「現地に赴き、現地の人に直接意見を聞く」と言っておきながら、もう既にやってるような事ばかりしか提案できないのは、
流石にどうなのだろう?と思ってしまいました。
…正直、余り言い過ぎてもご本人やその周囲の方々にボロクソ非難されそうですが、
色々と今後の指標になる良いい機会になったんじゃないかな、と思わざるを得ません。そう、色々と。

んで、それを踏まえての話になりますが。

ボランティアってのは基本的に称賛されるものと言ったのは冒頭の通りです。しかし、「来るな」と言われているのに
行くというのは、普通に考えれば却って迷惑になってしまうだろうと思い、行くのも憚られると思います。
それでも物資を積み込み、正式な許可も取らずにズカズカ入っていくのは「偽善」であり、本人やその支持者が
やらない善よりやる偽善でしょ?と言うのは「現地の人の迷惑になる事が考えられない人です」と触れ回っているのと同じ行為ですので、
このブログをお読みくださっている皆様に於かれましては、冷静な行動をされるようお願い致します。

今現在は素人ではなくプロが動く手順ですので、歯痒い思いをされる方は募金活動などに勤しみましょう、と奨励しつつ、
お終いとさせて頂く事にして。
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燃エカスノプライド

2023-10-29 21:36:37 | 家ゲー/アケゲー
どうも、Klowですおはようございます。

ブログが5周年を迎えて辛気臭い話題ばっかりや~、他の話題もしたい~って思ってたので、
丁度良く今日トロコンしたアーマード・コアVIのユーザーレビューを兼ねたお話でもしようかなと思い、
キーボードを叩いています。ぶっちゃけ辛気臭い話ばっかりしてるので、いつぞやみたいに燃やされるのも嫌ですからね。
60日が経過し、テンプレも切り替わってしまったので新しい風を吹き込むは今!って事で、早速色々語らせて頂きたいと思います。

結論から言えば、

10年待った甲斐有り!

という言葉に行き付くゲームだった、と言う点ですね。月並みな表現ですけどマジでコレです。
滅茶苦茶「ACらしさ」の要点を押さえたメカデザイン滑らかな移動SEの金属感に、
相変わらず声しか聞けないのに個性的なキャラクターや、よく考えるとおかしいのに全然気にさせないストーリーを含めた世界観作り、
そして過去シリーズとは一線を画す「近接がメイン」と言うか「近接メイン」のゲームシステム。
全ての要素が絡み合って、「これが10年越しの、俺達が作りたかったACだ」というフロム・ソフトウェアさんの意気込み
感じる作品だったな、と言う風に感じられました。なので、自分が言葉を尽くしてもそんなACVIの魅力を1割も伝えられるかどうかは
分かりません
が、少なくとも自分は遊んでて滅茶苦茶面白かったよ!ってのが少しでも伝わるよう、お話をしていきたいと思います。

まずはゲームシステムに触れて行きましょう。
ゲームスピード自体は、過去シリーズで言うと「1~3、NXシリーズよりは早く、例えるなら4シリーズとVシリーズの中間」という、
割と多くの人が言っていたものとだいたい同じ感覚を抱きました。Vのように壁を蹴って飛ぶことはできませんが、
4シリーズのようにブースト移動を多用して移動する事が出来ます。ただ、その関係上最初の内はエネルギー管理が大変で、
アサルトブースト(過去作で言う「オーバードブースト」)やクイックブーストで直ぐに切れてしまうブーストゲージにヤキモキしながら
戦闘機動を練習する事となりますが、慣れれば素早くステージ内を移動したり、戦闘中でもブーストゲージに気を配りながらの
行動が出来たりするようになる他、フロムさんが過去製作したハクスラゲーのように、「敵の動きを読みながら動く」事で
より円滑な行動が出来る等、やればやる程思い通りに動ける快感が有ります。これは過去作でもそんな感じだったように思う要素ですね。

恐らく、過去ACシリーズと比べて一番変わったのはその戦闘でしょうか。
先述のように敵の動きを読みながら動いたり、攻略するボスやミッションに合わせてアセンブルを最適化したりと、
自分が経験してきたACシリーズとは一味違う、特に慣れない内は…という話でもありますが、適材適所で機体を活かす発想が要求されたり、
ミッションによっては特定武器を持って行かないとしんどいというミッションが1つだけではありますが用意されていたりと、
「自分なりのアセンブルを含めた攻略法を構築して欲しい」という公式の意図が見えて来て、自分もそうしてアセンブルを
考えてみたりしたくなるなど、割とガンガン攻撃しに行っても攻略できた過去シリーズとは違う洞察力と思考・判断力が
求められる作りになっているので、メインストーリーを3周終えた時も、トロコンの為にリプレイミッションを制覇した時も、
「自分のやりたいスタイルとステージとの相性」を考えながらアセンブルしており、非常に充実したゲームプレイが出来たなと言う印象です。

でもって「近接がメインってより近接もメイン」という話をしましたが、本作にはフロムの過去作である隻狼「体幹」ような「ACS」というシステムが有り、
このACSゲージを上げてスタッガーさせると、敵に大ダメージを与えるという仕組みが有ります。
隻狼と比べると相手を一瞬で殺す忍殺こそありませんが、用意されている近接武器はスタッガー中に食らわせると相手のAP(=体力)をゴリゴリと削ることが可能で、
忍殺などなくとも相手をスタイリッシュに殺し切るといった芸当も可能になります。また、近接武器はダメージを与えるだけでなく、ACS負荷もかなりかけられるように
なっている為、射撃しながら相手に接近、近接武器で大きく負荷をかけてスタッガーした後、アサルトアーマーブーストキックと言ったコア拡張機能で得られる
近接格闘で追撃を行う…と言う戦法を取る事も出来る等、過去作と比べると大きく近接戦闘の選択肢が用意されており、特に大型ボスや敵ACのスピード撃破を目指すなら
近接戦闘を重視した方がやり易い環境になっています。しかし、その一方で射撃武器にも大ダメージ・高負荷なものが用意されており、やり様によっては
ほぼ射撃だけで相手を圧倒する事が出来るなど、プレイヤースキルに応じた戦法を取ることができる自由度も過去作から大きく変わり、
ACが「ロボカスタマイズTPS」から「ロボカスタマイズアクション」になった所かな、という感じを覚えました。

で、こっからはシステムじゃなくキャラクターの話になるのですが…
過去ACから一番変わってないのは個性的なキャラクター達がたくさん居る点かなと思います。
特に今作はアリーナで戦えるAC乗りが、ミッション中に全員戦う事が出来る作りになっており、ステージを探せば
隠しボスとして潜んでいる事もあるという作り込みがなされており、その隠しボスになっているランカーすら個性的と言う、
キャラクターが個性の乱打になっているのは、「要素的にはこの辺は過去作から全然変わってないな」という風に思います。
しかし、主人公たる強化人間C4-621シーよん・ろくにーいちの雇い主、ハンドラー・ウォルターは過去作にはそうそう居ないキャラで、
やたら主人公を大事にしてくれるどころか、ターゲットを始末してきたらなんとなく辛そうにしていたり、
ちょっと大変そうな仕事になると「戻って休め」と声をかけてくれたり、しょっちゅう「駄犬」呼ばわりするV.IIヴェスパー・ツー スネイル
思わず「旧世代型にも尊厳はある」と諫める等、強化人間であっても、普通の人間のように扱い接してくれる一方、
621くんがどんどん仕事をこなせるようになると鼻高々に自慢げになったりと、その一挙手一投足が子煩悩なパパの様な、
傭兵業をやるには聊か優し過ぎる叔父様なのです。それ故筆者もACVIのキャラの中でも最推しだったりします。
なので、ルビコンの解放者ルートは自分から進んではやりたくない苦い思い出となりましたが………。


ただ、そんな感じで良作だなと思ってこそいるんですが、「本作に敢えて言うなら…と思う不満点」を挙げるなら
アセンブルのシステムは過去作と比べるとやや自由度に欠ける点があるかな…という所ですかね。
筆者は両手に近接武器を持って近接格闘が出来ることを期待していたのですが、何故か左手にしか持てないという制約があり、
近接武器を2つ持ちたきゃ1つは手持ち、1つはハンガーにひっかけて持ち替えるしかないというのがもにょもにょするかな、と思いました。
武器の種類やパーツの種類もまあまあ出てきて総勢およそ300個ほどあるそうですが、今までのシリーズでは
多い物で500個以上あったのと比べると、300個ほどでは「…ちょっと少ない!」と思ってしまうのが正直なところです。
そんな感じで今まで300個以上パーツが出てたのが当たり前だったので、そっからゴッソリ減らされると
物足りひんわぁって思ってしまうのは、過去作ファンの良くない思考かもしれませんね。

と、そんな「敢えての不満点」こそ無くはないですが、今作は過去のハクスラゲーでフロムを知ったというACを遊んだことのない人も
結構参戦している為か、累計280万本売れているというお話も聞いている上、発売か1ヶ月で作品に触れたファンが
二次創作を活発に行ったり、2ヶ月で出演した声優さんが次々とネタTweetを打ち始めたりと、
短い間にファン界隈がお祭り騒ぎになってる作品なので、このビッグウェーブに乗っかってみるのも悪くないんじゃないかな、と思います。
少なくとも自分はそういうファンの盛り上がりを抜きにしても、骨太だけど心は折れさせない設計のかなり面白いゲームとして楽しめた上、
プレステ5じゃないとサクサク遊べないんじゃ?と怖気付いていましたが、プレステ4版でも十分遊べる作品に仕上がっていたので、
「プレステ5毎買わな…」と思ってたプレステ4ユーザーの皆さんは、思い切ってプレステ4版を買ってみても良いんじゃないかなとも思います。

そんな感じでぶっちゃけ100点満点の出来のゲームだったなと思いつつ、お終いとさせて頂く事にして。
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シャベル責任

2023-08-07 22:02:22 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

今月はアーマード・コアVI発売月と言う事で、フロム・ソフトウェアさんが日本各地の電器屋さんを舞台に試遊回を開いており、
10年越しの新作に沸くファン、今作がACが初めてと言う新入り等様々な人たちが各地の電器屋さんに集い、
試遊回でボスを撃破したプレイヤーは周囲から「大阪の逆脚」地名を冠した渾名がつけられるなど、発売前から凄い盛り上がりを見せています。
筆者は会場が大阪にしかなく、行くにも資金も労力も乏しく歯痒い思いをしている兵庫県民なのですが、
ここまでの盛り上がりなので、自分も早くゲームを買い、自分があっためているC4-621くんのイメージ象を形にしてルビコン3で暴れ回りたいものですね。

…と、これだけなら穏やかな話で終わるのですが、それで終わらないのが当ブログ。
ブログ記事をアップロードする時は必ずもやもやした気持ちや我慢できない思いを抱えながらキーボードを叩くのがのが最早決まり。じゃあ何を悩んでるのという話ですが、それは
とあるアーマード・コア4を解説する動画が、ゲームのストーリーをちゃんと追いかけながら遊んでいれば中々間違わないような情報がいくつも含まれており、更に
それを「この動画を見れば全部分かる!」的な動画タイトルをつけ、事実しか語っていないかのように振舞っているものがあるのです。
当の自分も我慢できずに該当動画のコメント欄は勿論、彼のTwitterもといXアカウントにも一言二言物申してしまったのですが、
その動画をアップした方のファンからは「ちょっと厳し過ぎやしないか?」という声も見られてしまいました。

しかし、しかしですよ。
自分は敢えて反論したい

その方曰く、動画を作っている理由が「作品を知らない人の為に軽い脚色を加えているだけ」なんだそうですけれども、
皆さんもよく考えてみてください。このブログ記事を読んでくれている画面の前のあなたは、

ご新規さんを引き付けるためと言いつつ、ある事無い事法螺吹いてる奴を許せますか?

って話なんですよ。
例えばこの動画を見て「え、そんな話なん?興味あるなぁ」って真に受けた奴が実際それを遊んでみて全然違うやんってなったらどう責任取んねんって話なんですよ。
しかも、そもそも公式からも断片的にしか出てない情報を好き勝手に繋ぎ合わせて、有りもしない事実を作り上げているというんだから質が悪い。
おまけにその方主戦場はエルデンリングブラッドボーンなど、フロムさんがここ10年で作られたハクスラゲーの解説・考察動画なんですけど、
ぶっちゃけその動画も質が良いと言っていいものではなく、そちらのシリーズのファンもそいつが台頭している現実に頭を悩ませるものも少なくなかったそうです。
※アレに頭を悩ませていた界隈の方々、今になって異常性を思い知りました。心中お察しいたします。

なので自分は、

「ご新規さんを引き付けるためだからこそ、自分の妄想・考察を省いて、お前が言う『学校の教材』っぽく
なったとしても、映画位長くなりそうだったとしても、ちゃんとした解説動画を作るべき」


と思ってしまうんですね。

曰く「ゲーム内から得られる一次情報を繋ぎ合わせただけでは学校の教材のような味気ないものなってしまう」と言い訳しているんですが、
それならそういう動画を作っていれば、しかも10年越しの新作がやっと出るというACでそんな雑な事をしなければ、
ここまで大炎上する事は無かったんじゃないのか?と思う訳です。ホライゾン:ゼロ・ドーンではソレやってたやんって話ですよ。
最終的には「これからACの知識がちゃんとある人に助力して貰おう」というスタンスを取るつもりのようですが、
果たして本当にちゃんと動画が作れるんか?という不安はぬぐい切れません。それでもなお、俺は彼の語り口調だけは滅茶苦茶好きなので、
少しだけ期待してしまうのです。だって、

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

と昔から言われるように、影響力のある人の太刀振る舞いにはしっかりと自分の責任を持たねばならないのですから。

今度はマシな動画作れよ!仏の顔も三度までやぞ!と思いつつ、お終いとさせて頂く事にして。
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