どうも、Klowですおはようございます。
皆さんは「メメント・モリ」という言葉に聞き覚えはないでしょうか。ええそうです最近スマホゲーのタイトルになったあの言葉です。
これって何ぞや、って話なんですがズバリ
「人生のネタバレ 死ぬっぽいな」(♪神っぽいな/DECO*27×ピノキオピーfeat.初音ミク)
です。分かりやすく言えば。
ちゃんと解説すると「死を忘れるな」「死を想え」とも翻訳される古代ローマの頃にはすでにあったラテン語の言葉でして、
現代では主に「人はいずれ死んでしまうので、今を生きよう」というニュアンスで用いられる言葉だそうです。
で、何で突然こんな話をするかと言いますと、最近聞く音楽でちょいちょいメメント・モリを感じるものがあるな、と思っての事だったりします。
具体的に曲名と歌手名を挙げると(敬称略)
○カラタチの夢/大橋トリオ
○花/藤井風
○光の跡/星野源
○私が明日死ぬなら/キタニタツヤ
あたりかな、と。以上、自分が聞いた順に羅列しましたが、この4曲の根底にはメメント・モリがあるような気がするのです。
全ての曲に細かく触れて行くと、文章量がえげつねぇ事になる上、抑々筆者が疲れるので割愛しますが、
「カラタチの夢」には「いつかは死んでしまうなら、自分らしく生きて、笑って行こう」、
「花」には「全て枯れて行くけれど、それでも自分だけの花を咲かせに行くんだ」、
「光の跡」には「人は跡形もなく消える様に死ぬけれど、きっと自分の『光の跡』を作る為に思い出を作るんだ」、
「私が明日死ぬなら」には「自分がもし明日死んでも、あなたはどうにかこの歌を頼りに生きて行ってね」、
と言った具合に、「何れ来る死と向き合って上でどうして行こうか」というニュアンスの歌詞が含まれている曲であり、そう言ったいずれ死ぬなら今を生きよう、
もしくはいずれ死ぬからこそ今を生きて欲しい、という願いが込められていると解釈できる歌であると言えるんですね。
尤も、4曲目は「今から自殺する人が友人や親族に当てた歌」という風にも聞こえてしまうので、メメント・モリとはまた違うような気もしますが、
それでも「死を意識させる」という意味では一緒なのかな、と思ってもいます。…しかし、先述の通りの印象だったので、
初めて「hope with music.」がテーマのCOUNTDOWN TV LIVE! LIVE!スペシャルで唄ってるのを見た時は目玉剥いたのはここだけの話。
いやマジでここまでテーマに沿ってねえ歌を堂々と唄ってるのあたしゃ初めて見たよキタニくん。
で、2023年後半~2024年初頭にこんなにもメメント・モリがある曲を直近で4曲も効きましたが、直近でそんな曲が世にまあまあ出た理由としては、
やっぱりコロナ渦の影響が大きいのかな、と思っています。2020年~2023年頃までの約3年間、多くの人は死を間近に感じながら暮らしてたんじゃないかなと思いますし。
2020年、中国は武漢を起点とし、世界に蔓延したコロナウイルス。多くの罹患者と死者を出したそれは、日本にも大打撃を与えて行きました。
正直に言えば、自分の母方の祖母と、父方の祖父もコロナウイルスで亡くなり、自分も死を間近に感じて生きた一人です。
そんな所謂「アフター・コロナ」、「ウィズ・コロナ」の時代でリリースされた曲に見るメメント・モリと言えば、少し遡って2021年、
Official髭男Dismがリリースした「アポトーシス」がそれに該当すると言えます。
病気で後先のない主人公が、死の恐怖と向き合いながら少しずつ残りの人生を暮らし、遂には眠るように息を引き取る、という物語が描かれた曲なのですが、
リリース時期的に考えると、ボーカルで主に曲を製作する藤原聡くんが、身近な人の死があったのかなと感じられるくらい克明に記された歌詞からは、
先述の「私が明日死ぬなら」と同じく主人公が死ぬ事でメメント・モリを感じられる曲なのかなと思っています。
結局、何を申し上げたいかと言うと、これからもこういう曲がリリースされるとは思っていて、それはやっぱり「コロナ渦を経験した今だからこそ、
人は死んでしまうのだから、今を自分らしく生きて行こう、生きて行って欲しい」という思いが込められていると解釈できる、優しい気持ちで作られた筈の曲だと
思いますので、皆さんも耳を傾けてみて下さいね、という話です。
今日が阪神淡路大震災から29年と言う事で、いち兵庫県民として今日が何事もなく、平和に過ごせることに感謝しながら改めてこういった記事を
書いてみましたが、相変わらずの辛気臭さだなと振り返りつつ、お終いとさせて頂くことにして。
皆さんは「メメント・モリ」という言葉に聞き覚えはないでしょうか。ええそうです最近スマホゲーのタイトルになったあの言葉です。
これって何ぞや、って話なんですがズバリ
「人生のネタバレ 死ぬっぽいな」(♪神っぽいな/DECO*27×ピノキオピーfeat.初音ミク)
です。分かりやすく言えば。
ちゃんと解説すると「死を忘れるな」「死を想え」とも翻訳される古代ローマの頃にはすでにあったラテン語の言葉でして、
現代では主に「人はいずれ死んでしまうので、今を生きよう」というニュアンスで用いられる言葉だそうです。
で、何で突然こんな話をするかと言いますと、最近聞く音楽でちょいちょいメメント・モリを感じるものがあるな、と思っての事だったりします。
具体的に曲名と歌手名を挙げると(敬称略)
○カラタチの夢/大橋トリオ
○花/藤井風
○光の跡/星野源
○私が明日死ぬなら/キタニタツヤ
あたりかな、と。以上、自分が聞いた順に羅列しましたが、この4曲の根底にはメメント・モリがあるような気がするのです。
全ての曲に細かく触れて行くと、文章量がえげつねぇ事になる
「カラタチの夢」には「いつかは死んでしまうなら、自分らしく生きて、笑って行こう」、
「花」には「全て枯れて行くけれど、それでも自分だけの花を咲かせに行くんだ」、
「光の跡」には「人は跡形もなく消える様に死ぬけれど、きっと自分の『光の跡』を作る為に思い出を作るんだ」、
「私が明日死ぬなら」には「自分がもし明日死んでも、あなたはどうにかこの歌を頼りに生きて行ってね」、
と言った具合に、「何れ来る死と向き合って上でどうして行こうか」というニュアンスの歌詞が含まれている曲であり、そう言ったいずれ死ぬなら今を生きよう、
もしくはいずれ死ぬからこそ今を生きて欲しい、という願いが込められていると解釈できる歌であると言えるんですね。
尤も、4曲目は「今から自殺する人が友人や親族に当てた歌」という風にも聞こえてしまうので、メメント・モリとはまた違うような気もしますが、
それでも「死を意識させる」という意味では一緒なのかな、と思ってもいます。…しかし、先述の通りの印象だったので、
初めて「hope with music.」がテーマのCOUNTDOWN TV LIVE! LIVE!スペシャルで唄ってるのを見た時は目玉剥いたのはここだけの話。
で、2023年後半~2024年初頭にこんなにもメメント・モリがある曲を直近で4曲も効きましたが、直近でそんな曲が世にまあまあ出た理由としては、
やっぱりコロナ渦の影響が大きいのかな、と思っています。2020年~2023年頃までの約3年間、多くの人は死を間近に感じながら暮らしてたんじゃないかなと思いますし。
2020年、中国は武漢を起点とし、世界に蔓延したコロナウイルス。多くの罹患者と死者を出したそれは、日本にも大打撃を与えて行きました。
正直に言えば、自分の母方の祖母と、父方の祖父もコロナウイルスで亡くなり、自分も死を間近に感じて生きた一人です。
そんな所謂「アフター・コロナ」、「ウィズ・コロナ」の時代でリリースされた曲に見るメメント・モリと言えば、少し遡って2021年、
Official髭男Dismがリリースした「アポトーシス」がそれに該当すると言えます。
病気で後先のない主人公が、死の恐怖と向き合いながら少しずつ残りの人生を暮らし、遂には眠るように息を引き取る、という物語が描かれた曲なのですが、
リリース時期的に考えると、ボーカルで主に曲を製作する藤原聡くんが、身近な人の死があったのかなと感じられるくらい克明に記された歌詞からは、
先述の「私が明日死ぬなら」と同じく主人公が死ぬ事でメメント・モリを感じられる曲なのかなと思っています。
結局、何を申し上げたいかと言うと、これからもこういう曲がリリースされるとは思っていて、それはやっぱり「コロナ渦を経験した今だからこそ、
人は死んでしまうのだから、今を自分らしく生きて行こう、生きて行って欲しい」という思いが込められていると解釈できる、優しい気持ちで作られた筈の曲だと
思いますので、皆さんも耳を傾けてみて下さいね、という話です。
今日が阪神淡路大震災から29年と言う事で、いち兵庫県民として今日が何事もなく、平和に過ごせることに感謝しながら改めてこういった記事を
書いてみましたが、相変わらずの辛気臭さだなと振り返りつつ、お終いとさせて頂くことにして。
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