▽富山県の魅力は? と県外の人に聞かれたら、「富山湾の食と景色」と答えれば、羨ましがられます。
「食」については既に何度か紹介してきたので、今回は富山湾の景色を堪能できる道の駅と、海の駅を紹介しましょう。
最初は、高岡市太田24の国道415号線沿いにある道の駅「雨晴(あまはらし)」です。
「雨」と「晴」を組み合わせた、分かりやすい地名です。平安時代の武将、源義経が山伏姿になって奥州平泉に落ち延びる途中、この地でにわか雨がやむのを待ったことから、この名が付いたと言われています。
(右手の白い建物が道の駅「雨晴」。赤いディーゼル車は富山湾沿いを走るJR氷見線)
富山湾と山に挟まれた狭い敷地を、JR氷見線と国道415号が走っており、道の駅「雨晴」はがけの急斜面に押し付けられるように建っています。2018年に竣工しました。
白亜の建物は、クルーズ船にも似たデザインで、なかなかお洒落でセンスを感じさせます。設計は、東京に事務所を構える「アーキヴィジョン広谷スタジオ」。同事務所のHPによると、東京の江戸東京博物館分館、三重県立熊野古道センターなども手掛けたそうです。
建物の2階は、お土産店と軽食のレストランになっており、海を眺めながら飲食できることから、平日でも客が途切れることはありません。
2月のとある平日、カウンターでコーヒーを飲んでいた70代風の男性とふと言葉を交わしました。地元の情報に精通しているので、どんな仕事をしているのですか?と尋ねたら、本職は氷見市の漁師で、ボランティアガイドもやっているとのこと。
この道の駅については、「建てるのに約8億円かかったが、そこそこ客が来ている」とのことでした。
(2階のレストランのカウンターから見た富山湾)
この道の駅の敷地にはかつて、3件ほどの民家とは別に、鉄筋5階建ての「ホテル雨晴」がありました。昭和44年に昭和天皇が宿泊したそうです。「建物が老朽化したのと後継者の問題で、閉館した」とは先のボランティア氏の説明です。
(雨晴海岸から望む立山連峰)
雨晴海岸から海越しに見る立山連峰は、富山県でベスト3に入る撮影スポットになっていて、富山県を紹介する雑誌やポスター、パンフレットには必ずといっていいほど、その写真が紹介されます。海越しに3000㍍級の山並みを見られる所は世界でも数少ないそうです。
▼次は富山湾の名物、蜃気楼が見える魚津市の「海の駅 蜃気楼」です。
あいの風とやま鉄道「魚津駅」、もしくは富山地方鉄道「新魚津駅」から歩25分ほどの海べりにあります。
海の駅といえば、地元の海産物が売り物ですが、ここは海の駅の名前にもなっている春の風物詩、蜃気楼の“名所“です。筆者は、この地に何度か足を運んでいますが、蜃気楼を実際に目にしたことはありません。
写真は、たたまた訪ねた日(2021年2月14日)の地元紙の一面トップです。
(2021.2.14付、富山新聞。写真は魚津埋没林博物館提供とあります)
(2021.2.14付、北日本新聞。自社の記者が撮影)
紹介した富山新聞と北日本新聞は、地元のライバル紙です。県内に住む知人によると、町のニュースやイベントを2つの新聞に連絡すると、北日本新聞は反応があまり良くない反面、富山新聞の記者はすぐ飛んでくるそうです。筆者も同じ経験をしたことがあります。
それはそうと、どちらが蜃気楼を伝える報道写真としていいかといえば、筆者は富山新聞の方だと思います。海の上に橋(新湊大橋)がくっきり浮かび上がっているのが蜃気楼だと一目で分かります。本当の橋と錯覚します。これに対し北日本新聞の方は、写真説明によると、富山市の街の風景が浮かんでいるらしいですが、アピール度はいまひとつです。
蜃気楼は大気の状況で刻々と変化するので、撮影はなかなか難しいです。魚津市の支社・総局に詰めている記者にとって、自分が撮った写真で紙面を飾りたい気持ちは分かりますが、読者にとってはそんなことはどうでもよく、良い写真を見たいだけです。
下の写真は、先の新聞の日付の日、つまり2021年2月14日の「海の駅 蜃気楼」前の海岸です。大勢のカメラマンが集まっていました。
(「海の駅 蜃気楼」横の防波堤)
以上