■映画『MINAMATA-ミナマタ』を見てきました。
世界的な写真家、ユージン・スミスをモデルにした映画『MINAMATA-ミナマタ』を富山県の映画館で見て来ました。
9月下旬の平日に行ったのですが、観客は私と50歳前後の女性だけでした。まあ、そうだろうなあ、という印象であります。こちらの方々には、水俣病やユージン・スミスはなかなかインタレストの対象にならないからです。
何しろ、“足湯県”ですからね。
映画は下のシーンから始まりました。水俣病の舞台となった八代海(不知火海)です。海岸線に沿って走るのは、第三セクターの「肥薩おれんじ鉄道」。旧・JR鹿児島本線です。
(映像の左下に小さく車両が映っていますね)
(妻のアイリーン・M・スミスと一緒のシーンを並べてみました)
上の写真は、映画ではチッソの水俣工場ですが、恐らく、ユージンがチッソ社員から暴行を受けてボコボコにされた千葉県のチッソ石油化学五井工場での事件<1972年1月7日>を元にしたのでしょう。
当時の様子は、たまたま取材で現場にいた読売新聞記者が記事にていますので、1972年1月8日付の同紙を縮刷版で読んでみてください。週刊朝日も1972年1月21日号(P26~)でスミスの証言を紹介しています。
現場にいた何人かの水俣病関係者の証言集も読みましたが、ヤクザ映画もビックリ、無法地帯だったようです。
(負傷したスミスの撮影助手を務めるアイリーン)
(映画のエンディング)
<映画の私的感想>
・水俣病は1960~70年代に大きな社会問題になりました。それから半世紀経ちます。この映画自体は写真家・ユージン・スミスおよび水俣病の姿をきちんととらえていて、それに自体は問題ないと感じました。
・ただ、視点が真っ正面過ぎるような気がしないでもありませんでした。水俣病やスミス自体については既に多くの本や雑誌等で紹介され、この映画で描かれている彼の姿に意外性、新しい視点は特にありません。
・スミスは、チッソ五井工場で受けた怪我の治療のため、米国に帰り、その時の怪我がもとで亡くなり、日本に再び戻ることはありませんでした。彼は水俣に来る前、『ライフ』誌のカメラマンとして太平洋戦争を取材するため、サイパン、グアム、硫黄島などに従軍、その後の沖縄で取材撮影中、重症を負います。
この時の古傷がチッソで受けた暴行で悪化したのです。
・そこで感想ですが、というか小生がこの映画を製作するのであれば、映画のタイトルは『スミスのMINAMATA』とし、末期の床から生涯を回顧する形で始めます。
彼の人生に大きな影響を与えた日本-すなわち太平洋戦争とチッソ-を軸に、彼の目、カメラを通して日本をどう見たか、という形にした方が良かったのではないかと思った次第です。この50年間、何が良くなっていて、何が変わっていないか-。それを浮き彫りにする形にした方が…。
以上。
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