ふらっと風流記

自分の考えを深堀りしてみたり、意味のない事をあえて残してみたり。
自分の人生を生き続ける為の道しるべを綴ったり。

森山良子さんに学ぶ「才能の磨き方」

2022-12-12 18:45:00 | 日記
僕の大好きなTV番組に森山良子さんが出演されました。

森山さんは、小さい時、自分でも自覚するくらいボッーっとしていたそう。
学校の成績も悪く、親が学校から呼び出される事もあったとか。
それでも、彼女が歌を唄うと、みんなが褒めてくれて、それが嬉しかったとおっしゃっていました。

中学生になり、
「私、学校に行かないで、歌い手になりたい」
と言ったら、母親からは、
「ダメ。ちゃんと勉強しなさい!」
と言われたそうで。

てっきり歌手は諦めて、学校の勉強の事かと思って聞いていたら、
「歌手になるなら、しっかりと勉強しなくてはなれないよ」
という意味でした笑

そこから森山さんは本気で歌手になる為の勉強を始めたそうです。

ある日の事。
例のごとく、森山さんの学校の成績が悪かった為に、ご両親が呼び出されたそうです。

学校の成績が悪いから、しっかり勉強させて欲しいという先生の願いもむなしく、森山さんの母親は、
「学校の成績が悪くても、うちの良子には夢がありますから!」
と言ったんだそう。

森山さんは、
「今思うと、本当に図々しいですよね」
とご謙遜されていましたが、僕は素晴らしいお母様だなと思いました。

その才能を磨き上げる為に、まわりに良き理解者がいると本当に素晴らしい才能が花開くものですね。

ちなみに、プロになってから森山さんが唄っているのを聞いたある方が、森山さんに対して、
「お母さんと一緒で、すごく良い歌声だね」
とお声がけ頂いて、それを聞いた森山さんは
「何で知っているんですか?」
と聞いたら、
「君のお母さんもプロの歌い手だったからね」
と、その時、初めて母親も歌手だった事を知ったんだとか。

その後、森山さんは、母親に
「何で歌手だった事を教えてくれなかったの?」
と聞いたら、
「大したものではないから人に言う様なものではない」
と言われたそうです。

鳥肌立ちません??

xファクターと緊張に関する仮説と考察

2022-12-08 18:51:00 | 日記
ここで僕が言いたいxファクターとは、自分が理解していない変数(変動する要素)の事です。

人間は自分というフィルターを通してしか世界を認知できません。

動物としての生存本能からしても、ここでいうxファクターが大きければ大きい程、緊張状態になります。

それは、直接自分の生死を決める事につながるからです。

緊張というものの正体はこのxファクターに対する反応と言い直す事ができます。

このxファクターに対する反応は2タイプ。

⑴緊張する
1番自然な生体反応です。
生存本能がちゃんとあると安心して下さい。

⑵緊張しない
これには派生で2タイプあり。
1そもそもxファクターを認識していない。
2xファクターを楽しめる。
3xファクターを小さくして、自分が楽しめる許容量内に収める事が(慣れた)できる様になった。

という分類です。
それで言うと、xファクターを楽しめる様にする事と同時に、xファクターを少なくする事を同時にしていく必要かがあります。

そして、パフォーマンスを上げたい時には、xファクター以外の部分にフォーカスする意識のクセをつけていく。

好きな音楽を頭の中で流してみたり。
アファメーションしてみたり。
「意識自体を、自分がコントロールできるもののみに向ける」事ができれば、その瞬間、xファクターが自分自身の世界に存在しない事になります。

ただ、それが本当に難しい。
脳みそは賢いので、身の回りの様々な影響を受けて、コントロール外の事に意識が向く様になっています。
危険を感知し、自らの生命を守る為に大切な機能としてホモサピエンスに残り続けている機能であるからです。

人間の脳みそも、ここまで情報量が過多になる事を想定して作られてはいないはずです。
能動的ではなく、受動的に受ける情報の波がSNSから押し寄せてくる。
やがて、人間は思考せずに、その情報の波に身も身体も委ね、ただその中に漂っているかの様に見えます。

毎日毎日。
考える事を忘れない。
情報の受動的な波に身を任せない。
今この瞬間をひとつひとつ認知していく。
人間らしく生きる為のヒントととして。
また、自分への戒めとして。
ここにメモとして残してみます。
定期的に見直すと役に立ちそうですね。

東京リベンジャーズに対するオバちゃんのツッコミが的確過ぎて辺りは草原にww

2022-11-29 18:35:00 | 日記
先日、電車に乗っていた時の事。
おばちゃん「東京リベンジャーズはさぁ〜何回も何回も戻り過ぎててもう訳が分からない(*_*)」
↑気持ちは分かるw

楽しい毎日を送る為に社会全体としての問題提起と自分自身の心がけ

2022-10-18 18:44:00 | 日記
世間と自分自身の感覚のズレが生まれやすいと時代だと思う。
今の40代50代くらいまでの人を見ていると、頭の回転が速くて、素晴らしい実績を残される方がたくさんおられる。

織田信長が人生50年と言っていた時代から400年以上の時が経ち、人生80年くらいは生きられる時代になっている。

健康寿命自体も伸びているわけで。
世間的には、若者というと20代中盤くらいまでのイメージな訳だけども。

これからはもっと上の世代も巻き込んだ世の中のつくりかたを設計していく事も大切な事である。

今の世の中の仕組みと個々人が感じる人生の設計に軋轢がある様に思うのだ。

今の社会の仕組みだと、楽しい事の大半が学生時代までにつめこまれている状況だ。
後の60年程、どーしたら良いのよ??
ってね。

そこで初めて気づくわけ。
あぁ。これまでは、「楽しい」を誰かが与えてくれたけど、本来、これは自分でつくる努力が必要なものなのね!?と。

本来は学校教育の段階でそれを教えるべきだと思う。

「楽しい事は、本来他人から与えてもらえるものじゃありません」
「もし誰かが与えてくれたなら、感謝の気持ちをきちんと伝えましょう」
教師は、本来、その為のサポートをするのがあるべき姿であろう。

80歳までに楽しめる社会的なイベントももっともっと必要である。

できるなら、子どもや孫、ひ孫を含めて楽しめるイベントがたくさんあった方が良い。

そこに対する素晴らしい!という価値観が生まれてくる様な社会体系の構築が急務だ。

僕も個人として
「楽しむ心」を忘れない様に心がけている。
ちょっとした事で面白がる好奇心こそが自分自身の人生を彩ると思うからだ。

アントニオ猪木という限りないメッセージ④

2022-10-15 18:40:00 | 日記
猪木
「みんな毎回は来れないから。ご飯を1人で食べるのが寂しい」
あの強い漢の言葉とは思えない。

そこには残り時間を感覚的に理解した、人間そのものの姿があると思った。

人の強さって何だろう?
少なくとも物理的な部分は大した意味を持たないのだと思う。

アントニオ猪木を強さの象徴と考えるなら、きっと答えはこうだ。

味方も。時には敵も。すべての人たちを慈しむ心・心意気。
それが「人としての本当の強さ」
なのではなかろうか。

猪木が感じた、「1人で食べるご飯の寂しさ」
僕たちもこれからそれに似た感覚を時々感じる事になるだろう。
「アントニオ猪木がいないこの世界の寂しさ」を。

ご冥福をお祈りいたします。