ふらっと風流記

自分の考えを深堀りしてみたり、意味のない事をあえて残してみたり。
自分の人生を生き続ける為の道しるべを綴ったり。

一生懸命な人を馬鹿にするな

2022-05-04 18:30:00 | 日記
思春期にありがちな事ではあると思う。
何か熱くなる事が格好悪く思われるのは。

かく言う自分も中学生時代が1番擦れていたし、世の中を斜に構えて見ていたと思う。

でも、もしあの頃の自分に声をかける事ができるのなら、「何でも全力でやれよ!そもそもお前に格好良さ求めてるのって自分だけだよ」って言いたい。

格好悪くて良いんだよね。
まわりが一生懸命でないならそもそも環境も悪いんだけど、だとしたら、ぶっちぎりで1番取るくらい頑張りゃ良い。
後から時間は戻らないからね。

頑張る事が格好悪いって思っているうちは何も掴み取れない。
本気のやつはなりふりなんて構ってないもん。
余裕がないくらい本気で頑張ってる方が絶対に自分の人生充実するから。
本気になろう!


鈍感力

2022-05-03 18:06:00 | 日記
これホント大切なんだろーな。
だって気づかなきゃ本人は幸せな訳で。
まわりから見たら図太く見えるのかも知れないけど、本人は気づいてないだけで。ある意味無敵。

現代は、敏感な人が生きにくい世の中だよね。
その構造的な部分を理解した上で、人には優しく、自分もある程度鈍感で良いというさじ加減というか塩梅というのか。

ある種の潔さでもあるんだけど、歳を頂いて、社会である程度認めてもらえたりすると、良い感じになっていくんだよね。

だから、今、そのバランスが取れていなくても大丈夫だし、その気持ちをきちんと忘れずに。
下の子たちにも優しくできたら良いやね。

一生中途半端

2022-05-01 17:54:00 | 日記
あちこちオードリーでアンミカさんが言ってたけど、それを僕なりに解釈してみた。

「一生中途半端」
これで良い。
一生というのは、生まれてから死ぬまで。
死ぬというゴール地点が一生の終わりになって。
そのゴールテープを切る時に、そこがその人の人生の完成になるのかな。

途中で完成してしまったら、そこから上積みできんからね。
生きているうちは中途半端で良いのよ。
適当でも小さな行動の積み重ねこそが上積みになる。
でも、一緒中途半端だから、思う様に結果がついてこないとしても全然大丈夫なの。
1番良くないのは、それをきちんと受け入れない事。
今この瞬間に完璧な形を求めるのはそもそもお門違いという考え方。

きちんと今生きているこの道中も楽しみながら。
行動を継続し続ける事のみが唯一自分を成長させてくれる。
結果は生き様で示す。

教えるという事

2022-04-30 18:41:00 | 日記
これは、
知識+コミュニケーション能力
=教える能力
だと僕は考える。

たまに、知識量はすごいのに、教えるのが壊滅的に下手な人がいる。
これは完全にコミュニケーション能力の欠如。
もっと言うと、相手の事をきちんと知ろうとする努力が不足していると言える。

「相手がどこまで理解しているか」
「何が分からないのか」
「それを理解する為に今何をどの順番で伝えるのがベストか」
この順番で丁寧に課題を解決していく必要がある。

コミュニケーション能力がない人は、普段コミュニケーションをないがしろにしているから、相手から適切な情報を得られていない。
結果として、相手が理解していないのは相手自身の理解力のなさだという思い上がりにつながるのだろう。

相手を知る為には、仕事以外のくだらない話も意外と重要なのだ。
そこからその人の思考のパターンなどを把握していれば、「教え方は相手によって変える」必要があると分かるはずなのだ。

「あの人の話分かりやすいよね」
と言われる人は、単に勉強している人ではない。
相手に興味を持ち、自ら寄り添う努力をしている人だ。

食前、食後の挨拶

2022-04-28 17:51:00 | 日記
頂きます」
これは有名だけど、あたなの命の時間を頂きますって事。
狩猟をしなくなってしまった現代人からしたらその感覚がすごく希薄だと思う。

「ご馳走様でした」
馳も走も走るって事。
昔はご飯作るにも走って食材を得ていた訳だから。
手間ひまかけて、こんな料理を振る舞ってくれて。
本当に心から感謝しています!
くらいの気持ちかも知れないね。昔は。

僕もそういう気持ちで一食一食に対する感謝の気持ちをきちんと伝えていかないといけないな。

ちなみに、外国では「頂きます」とか「ご馳走様でした」に当たる単語がないみたいよ。

「一緒に食べましょう!」
とか
「美味しかったです!」
みたいな言葉になる。

日本語の良いところ。