クルーズ船の裕子の部屋でいつものように化粧をしている裕子。船長のアナウンスが聞こえた。
「サファーガに入港いたします バスに分散してルクソールを目指します カイロの南560キロ紅梅沿岸に位置する本土側唯一の高級リゾート地です エジプトの本土の紅海沿岸は砂漠がそのまま海に落ち込む不毛の大地
空の青 砂漠の砂色 エメラルドグリーンの紅海は孤高の美しさに輝いています」
今だに段ボールを上手に片づけていない裕子。この日も一つの段ボールの中の荷物をひっくり返している。そんな風に出かけるからクルーズ船のバスに最後に乗って来るのも裕子。今回も一番最後に入ってきた裕子だった。
奥から裕子を呼ぶ聡美。
「裕子さん」
返事をしながら隣りに座る裕子。
「お部屋の近くまでお迎えに行くのに」
「自分を甘やかしちゃダメ! ってそう思うの 自分が出来る時まで」
「裕子さん」
「それより教えてもらったからちゃんと持ってきたわ そのせいでバタバタしちゃったけど」
裕子はバッグの中からスカーフ 目薬 日焼け止め サングラス ウォーター 日傘 帽子を順番に引っ張り出した。
「裕子さん完璧よ カイロでは一年に五日間しか雨が降らないし 三月下旬は砂嵐がひどいそうよ」
「さすが聡美さん」
「でもこの辺は初めてなの」
何か答えようとしたがガイドの声がじゃまをする。
「エジプトはエジプトアラブ共和国です 広さは日本の2・7倍その97%が砂漠です 残りの3%がナイル6700mの緑地帯」
裕子は感心して
「日本では考えられないことね」
「梅雨の頃は雨なんていやだいやだって大騒ぎしちゃうけどね」
ガイドは後ろの方の人はどうせ聞いていてくれないんだろうと思ってさらに声が大きくなる。
「砂漠の人たちは砂漠は美しいとは思えない
厳しさだけを感じていました 緑に対する憧れが非常に強かったんですね 学校で先生が子どもに自分の家の絵を描かせると実際にはないのに家の周りにたくさんの木を描くそうですよ」
「ふうん 何気なく持っている物ばかりだけど日本にある物は全部感謝して大切にしなくちゃね」
大きくうなづく聡美。
裕子は部屋で晩ごはんの時に着る洋服を選んでいた。船長のアナウンスが聞こえた。
「紅海に夕日が沈むのは左舷側です」
裕子は左舷側の窓にへばりつく。少しゆがんで見えるが広い美しい夕日がもやに包まれていた。地平線の彼方にゆっくり沈んでいった。
「パパ、一緒に見たいよ」
涙が溢れる。
化粧直しにバスルームの洗面所に向かうと 夕食の案内のアナウンスが聞こえた。
裕子がクルーズ船のダイニングルームに近づいていくと何人かの女性たちの真ん中に聡美がいた。
遠ざかろうと思った裕子だったがやめて思い切って聡美たちに近づいた。
「マサラマレン 貴女に神のお恵みを」
怪訝な顔の女性たち。お辞儀をして離れる裕子。ため息をもらすが少しほっとした顔になっている。
裕子は後ろから肩を叩かれる。
振り向くと聡美が笑顔で立っている。
「お隣りいい?」
「でも皆さんは?」
「貴女の神の恵みを 裕子さんはオマーンの言葉をよく覚える みんなきょとんとしてた」
「この頃いつも何でも必死よ」
「裕子さん」
「聡美さん えっ! 泣いてるの?」
「マサカ 嬉しかったの」
二人は自分たちが座れる席を見つけた。
「ここにしません?」
聡美もうなづきながら
「でも私 パパと聡美さんが浮気した夢見ちゃって 嫉妬しちゃって」
「ええ? 何それ?」
座りながら舌を出す裕子。スタッフが二人に近づく。
「本日のスペシャルディナーでございます」
二人の前にお品書きを置いていく。裕子は
「わぁ」
とお品書きを読みながら
「このわたの小鉢 おひたし 次はエビ ホタテ えのき 鮭 しらたき ネギ 豆腐のお味噌仕立て鍋 サイコロステーキにサラダ
漬け物 ごはん きしめん 和菓子 盛りだくさんだわ」
くすくすと笑う聡美。
「食べるの大好き でも聡美さんと一緒に食べられるのが幸せ気分」
テーブルにこのわたの小鉢が来る。
「あー おいしそう 聡美さん おビールいただいちゃおうか」
「賛成」
と聡美がスタッフを呼んだ。
その後クルーズ船のデッキをウォーキングしている裕子と聡美。夜の海は真っ暗闇。星だけがまたたく。
「宇宙の孤独ってこんなものかしら? それともこれが死の世界?」
「裕子さん」
「あっ!?」
「裕子さん どうしたの?」
「紅海に感動したんだけど 写真撮るの忘れてた ほんと私ってうっかりもの」
「裕子さん かわいい人よ」
嬉しそうな裕子だった。
一方裕子と聡美はバスに乗りサラーラ博物館見学はじめ ゴールドスーク見学 アルプスん宮殿 アルバラード遺跡など車窓観光していた。
最後にラクダのいるところでバスを降りて自由に写真を撮れた。
聡美は前も船に乗ったこともあっていつもみんなに認められて中心にいる。だが裕子はそうでなく今度も一人でラクダの写真を撮っていた。
ガイドがいった。
「ここではラクダの数はいつも登録されています。ラクダが車道を横切る時には必ず車は止まらなければいけません。運悪くラクダをはねてしまったら罰金を払わなければいけません」
撮り終えた裕子が聡美を探すと聡美は他の何人かの女性と話をしていた。みんなの楽しそうな声が聞こえた。裕子は「聡美さん」と呼んだが聞こえないようで諦めて一人でバスに戻った。
しばらく経つと聡美がバスに戻って来た。真っ青な聡美。
「裕子さん 探したわ」
「私も探したわ」
「気がつかなかったわ」
「聡美さんはファンが多いから」
「そんなこと」
「それより昔のこと思い出したの」
「何?」
言いながら席に座った聡美。
「日本にはラクダ事件はないけど大昔奈良で鹿事件があったの 自分の家の前で鹿が死んでいるとその家の者はみな処刑されるから早起きして自分の家の前にもし鹿が死んでいたらよよその家の前に置いて来たそうよ 鹿は春日さん 春日神社の神様のお使いとされていたから」
「そんなこと知らなかったわ」
「子どもの頃オバァちゃんがそんな話をしてた 子どもの頃のことをよく思い出すの」
「生き物も命はみんな一つだものね」
「サスガ聡美先生」
「もう」
クスクス笑う二人。バスが走り出した。
E子はベッドメイキングルームにいた。
31 パパのヤキモチ
の次の日だった。
ドアを叩く音が聞こえたのでドアを開けた。それが片山さんだった。
「片山と申します」
そうは言ったけど真っ青な顔をしていた。
「片山さま お客様とうなさいましたか?」
「私はシーツは毎日は変えないの」
「お客様によってシーツをどう変えるか お好きに言ってくだされば」
「ちょっと汚しちゃったから 変えたくて それを言いに来たけど道に迷ってぐるぐる 一時間は経ってるんじゃないかしら」
「一時間ですか お電話くだされば伺います シーツを変えます」
「でもドッチャラかっちゃらで部屋の中を見せたくないの」
「はぁ」
「それに部屋にネズミがいるの」
「マサカ 船にはネズミはいませんよ」
「本当? だけどタイタニック号にはネズミがいたでしょ」
「この船はタイタニック号ではありませんから」
「あぁ そうだったわね」
と楽しそうにクスクス笑った。あんなに真っ青で困った顔をしていたのに違う人のようだった。結局E子はシーツを持って片山さんを部屋の近くまで送って行った。本当にネコは飼っていないのかわからない。
「片山さま ネズミはいないと思いますけどネコはいませんか?」
「ネコ? いいえ 私は動物は苦手なの 娘は何とかいう小さい犬が大好きでそれはそれは可愛がってるけどね」
にこやかに答えた裕子だった。それならいいけどね。片山さんについてはかなり心配だとE子は思った。でも片山さんがネコは苦手でよかった。実は誰にも言っていないけどお客様が飼っていたネコが逃げ出して頼まれて追いかけたとき捕まえた。なのにうっかり海に落としてしまったのだ。もちろん誰にも言えない言わない言うわけがない。そしてそれ以来ネコが怖くて怖くてたまらなくなってしまった。
E子に会えると思った3番は小走りになっている。デッキに出るとE子は海を見ていた。若い頃年上の女性たちはみんな上から目線で何を言っても相手にされなかった。それが今は自分が上から目線で誰のこと信用しなかった。それがE子だけは違った。若くて可愛くて爽やかで賢い。付いた3番はE子の背中に言った。
「お待たせ」
振り向いたE子は答えた。
「船で走ってはいけませんよ」
「そうだったわね」
「それでどうでしたか?」
「片山さんはオプショナルツアーのバスに乗ったみたい だけど片山さんの部屋に行ったら彼女がいて」
「彼女って今日の午前中は休みだった人?」
「そう だけどスタッフの格好をしてたわ」
「ナゼですか?」
「わからない でも片山さんのことは心配みたい」
「気になりますね」
E子はまるで探偵みたいだった。
「私は先日飲みすぎた片山さんを送った時に初めて会話を交わしたけど別に ただ部屋はドッチャラかっちゃらだから近づかないでって途中で返されたわ」
「とにかく片山さんはおかしいです」
「お客様よ」
「私も心配なんです 船にネズミがいるって言うけどそれはネコじゃないかと」
「マサカ」
「どっちが」
「どっちも」
「船にはどちらもいないわ」
「でも前に乗ったときこっそりネコを連れていらしたお客様がいらして 結局ネコは死んでしまいお客様は海に飛び降りたりするかと心配で心配で」
「へぇ そんなこともあったんだ」
そう答えながら3番は別のことを考えていた。どちらかといえばネコがいい。ネコになってE子のペットになりたい。マサカ同性でしかもずっと年下の女性に惹かれるなんて思ってもみなかった。どうしてこうなったのか考えるのも怖かった。