「ライブラリー」と書いた部屋があった。こっそり開ける裕子。中で壁に本が飾られている。何人かの人が静かに本を読んでいる。キレイな鈴の音が聞こえた。奥から一人のスタッフが登場。
31 パパのヤキモチ
で裕子はこの人たちのおかげでずいぶん助かったのだ。
「片山さん」
「スタッフさん 先日はありがとうございました わたくしスタッフさんの名前を聞くこともなくて」
「スタッフには名前がないんです」
「えっ」
「いろいろな国の方がいらっしゃるので名前を聞いたり覚えたりするのが大変なので全て数字になっています」
「ほう」
「先日の一人は3で私は29です」
「それぐらいでしたらわたくしも覚えられますね」
「本をお探しですか?」
「わたくしも今まではお買い物に大騒ぎしてましたけどそれより次に行く国を勉強しておかなければと思いまして」
「奥にも本がありますから少し探して来ますね」
29番が奥に入った。裕子もテーブルに座った。十何人かが座って本を読んでいた。白人もいるしアジア人もいる。また黒人もいる。国から離れるとその国の言葉が恋しくなるんだなぁ。私もそうなんだ。向こうの壁に船の帰路が書いてあったので立ち上がって近づいた。この前はボンベイだったなぁと思った裕子だったがしばらく眺めていたが自分はナゼ今ここにいるのがわからなくなってしまった。やがて裕子は黙って部屋を出ていった。奥から戻った29番。裕子がいない事に気づいたが持ってきた本の何冊かの中の文章をコピーした。
資料を持った29番だったがもし3番に聞いたらお客さまの部屋まで開けさせたりしないでドアの下の隙間から資料を入れた方がいいというだろう。だがやはり29番は裕子の部屋に近づいてしまっていた。何も考えないようにと裕子の部屋を叩いた。
「片山さま スタッフです」
ドアが空いた。
「あっ スタッフさん 先日はありがとうございました お二人のおかげで助かりました」
「いいえ」
「スタッフさんのお名前も聞くのを忘れてしまいました」
「スタッフには名前がないんです 色々な国のお客さまがいらっしゃるので名前を聞いたり覚えたりするのが大変で 全て番号にしています もう一人が3番で私は29番です」
「なるほどねぇ ところで今日は?」
言われた29番は冷静になければいけないと思った。資料を見せて
「今度の寄港です」
「わぁ ありがとうございます まるで心が通じたようですね」
「何でもおっしゃって下さい」
頭を下げてから離れていく29番。ドアを閉める音がしないから振り向くとドアを開けたままお辞儀している裕子だったが部屋の奥までよく見えた。段ボールがまだいくつも重なって置いてあるしその上に洋服やバッグやスカーフが乱雑においてあった。29番には大体なことはわかった。ただそのことを3番にいうかいうまいか悩みが尽きないだろう。
「裕ちゃん」
「パパ どうしてここに」
「私はあなたの父親じゃない」
「子どもから見たらパパでしょ」
「そんなことより手を繋いでるのは誰だ?」
「お医者さんです あっ!! 大変 先生の名前を聞いていなかったわ」
「片山さん 片山さん 船に戻りましたよ」
それでようやく裕子は目を開けた。スタッフに起こされたのだがバスの一番奥で壁に寄りかかっていてヨダレが出ていた。裕子はキョロキョロしながら
「あら 先生は?」
「先生は途中降りて日本に向かったなんです」
「えー」
「片山さんがあまりによく眠ってましたから起こすのは悪いと」
「先生帰っちゃっんですか」
「実は先生」
後ろから近づいてきたもう一人のスタッフが「しっ!」
と止めた。
やっと裕子は思い出した。ガンディ記念館のそばのレストランでオードブルをいただき白ワインもいただき上機嫌で2杯飲んだところまでしか憶えていない。裕子はガーンと思った。先生も呆れていたんだろうなと。
船でも二人のスタッフが両側に立って歩いていた。さん人の後ろから声が掛かった。
「裕子さん 大丈夫? ホントに具合が悪かったのね」
チラッと振り向けば例のツッコミ。
「はぁ まぁ」
「裕子さんは行けなかったホテルでいいもの買えたのよ 後で部屋まで見に来ません?」
そう言われて前の裕子だったらはしゃいで「後で伺うわぁ」などと言っただろうけど言わなかった。そして突然言い出した。
「ガンディさんをよく知っていますか?」
「えーよくは知りません」
「私はガンディさんの本を買いました。後でお見せしたいわ」
「あ! 結構ですわ」
ツッコミとボケは去って言った。スタッフのおしゃべりの方が
「お買いになったんですか?」
「ガンディ記念館にあった本を買おうとしたら先生は日本語じゃないからねって」
「でも記念で飾りで買いたいって言ったら」
「ハイ」
「飾りはいりません 大事なのは本当の心です」
「ホー まるで学校の先生みたいですね」
「そうなの そうなんですよ」
裕子はすっかり医師のファンになっていた。今だに名前は知らなかったけれど。
印度にはカーストという特別な制度があった。親の職業をそのまま子どもが引き継ぐのが当たり前とされていた。
農家に生まれた子が
「病気で苦しんでいる人のために医者になりたい」
とか
「料理が好きだからコックになりたい」
という本人の希望は印度では許されなかった。
最近ではカースト制度による差別は見られなくなかったそうだが地方では今なお差別が根強く残っているそうだ。
「だからマハトマ·ガンディのような人が現れたんです」
二人はマニ·ババン·ガンディ記念館を歩いていた。医師はまるでガイドのように説明する。この記念館は1917年〜1934年までボンベイにおけるガンディ運動の本部として使われていた。ここからガンディは真理と非暴力という不滅の理想に基づいて国家を築きあげていきました。1919年にはガンディが初めて自由を勝ち取るための大衆闘争を繰り広げ英国支配の基盤を揺さぶりました。
建物の一階にはガンディの生涯や思想の本の図書館になっていた。そのあたりから裕子は自然に左腕で医師の腕に絡まった。パパとよくこんな風には歩いていたと懐かしく思っていた。
二階にはガンディの部屋がそのまま保存されていた。そして1932年ガンディはいつも睡眠してお祈りするテラスのテントで逮捕されたという。裕子は立派な指導者の悲痛な最後に胸を打たれた。だからろくにガンディのことも知らずホテルでバッグや宝石をいかに安く買えるかそんなことばかりの自分がとても恥ずかしくなっていた。
21 浅野内匠頭
に登場した医師と裕子はバスに乗っていた。
医師はホテルのタクシーなら安心だと言っていたがスタッフに連絡したら反対されたらしい。タクシーでなくバスでと言われ しかもスタッフの二人も乗るといった。バスに乗っていたのはほとんど外国人。医師はバスの一番うしろの窓際に裕子を座らせた。もちろんその隣に座った。スタッフ二人は前の方に座っている。バスが走り始めてからずいぶん経っている。スタッフは船の客と医師が勝手にバスから降りてどこかに行ってしまったら大変だから前に座っているんだわ。もしスタッフが後ろに座ってグズグズしていたら二人がどこかに行ってしまう それを心配しているんだと裕子は妄想中。デートなんて言ってたけど何も言わないのねと医師の横顔を見つめる裕子。その時医師が裕子の方を見た。裕子はドギマギ。
「片山さん」
「はい」
あれ? さっきは片山裕子さんだったのに片山さんに戻ってしまっていた。
「片山さんのご主人のお父さまも医師でしたか?」
え!? これがデートの会話?
「サラリーマンでした ただ主人が小児麻痺にになってしまって よくなって歩けるけど走ることが出来なくなってしまったんです 医者になって子どもたちを治したいと思ったそうです」
「素晴らしい話ですね」
「先生のお父さまはやはり?」
「はい 高校に入った途端言われたけど嫌で嫌で でも母親に泣かれてね」
「お優しい」
「印度はカーストでね」
「カースト!?」
「意味は生まれです」
「あぁ 聞いたことあります 主人も印度にいたらお医者さんになれなかったんですよね」
「船に乗っていろんな国に来たのに意外と見物してなくて特に印度にはどうしても会いたい人がいて」
「初恋のインド人?」
「会ったことない人です」
「えぇ!?」
「昔のひとですよ」
それっきり医師は遠くを見ていて何も言わなくなってしまった。これデートかな? 首をかしげる裕子だった。
バスがホテルの地下駐車場にぐるっと回って行った。止まると船のグループたちかゾロゾロと一緒に出て行く。裕子と聡美はよくバスの前の方の席に座っていたが一人っきりの裕子はバスから離れなければいけないのになかなか出ていけないでグズグズしていた。バスの通路を通っていった女性の一人が裕子を振り向いた。
3/2に横浜を出て22日の朝8時頃にボンベイ港に着く。印度といえば広い国、男の人は頭にターバンを巻き白いタプタプの衣服をまとい、裸足で砂の上を歩いている風景を裕子は想像していた。そろそろお出かけしようかと裕子は化粧品をパタパタとつけていた頃船の船長のアナウンスが聞こえた。