前々回と前回の続きで、三井寺の桜と不思議スポットをめぐります。
前回の「村雲橋」から、桜の道を進んでいきますと、微妙寺が見えてきます。
この微妙寺には、重要文化財にも指定されている「十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりゅうぞう)」が安置されています。
その前をさらに進んでいきますと、広大な三井寺の境内の中でも屈指の魔所、妖怪スポットが見えてきます。
桜の道の向こうに見えてきたのが、シリーズ第7回でもとりあげたことのある「十八明神社」です。
この神社は「ねずみの宮」とも呼ばれます。
元々は伽藍を守護する神様だったようですが、ここで祀られているのは頼豪という高僧の霊だそうです。
妖怪やオカルトの知識がある方なら、その名を聞いただけでお気づきかもしれませんが……頼豪とは、皇族や比叡山を呪って自ら魔道に墜ち、「鉄鼠(てっそ)」というネズミの大妖怪になった高僧の名前です。
『太平記』や『平家物語』などによれば、だいたい以下のように伝えられています。
時の帝・白河天皇と「祈祷によって皇子を誕生させれば、望み通りの褒美を与える」と約束され、それを成就させた頼豪。
その褒美として、「三井寺に戒壇(かいだん)建立すること」を願い出ましたが、当時三井寺と対立関係にあった比叡山に邪魔されてその願いはかなえられませんでした。
戒壇というのは、僧侶に戒律を授ける場所のことであり、これによって出家者が正式な僧尼として認められることになります。当時はその戒壇を、天台宗では比叡山が独占していたため、対立関係にある三井寺が独自に僧侶の資格を与えることはできなかったのです。
つまり戒壇建立の許可を三井寺に与えるということは、独自に僧侶の資格を与えられるようになることを意味するのです。もちろんこれは、三井寺が比叡山の影響下から自立できることをも意味します。
しかしこれを比叡山が黙っているはずもなく、天皇側も比叡山に配慮して、頼豪との約束を果たしませんでした。
これに激怒した頼豪は、「自ら魔道の墜ちて皇子も道連れにする」と宣言し、髪も爪も切らずに断食して果てます。
その後皇子は幼くして亡くなり、また頼豪の怨霊は何万何千というネズミとなって比叡山を襲撃して、仏像や経典を食い破るなどの甚大な被害をもたらしたと伝えられています。
「ねずみの宮」の境内の様子です。
前に訪れた時よりは、きれいに掃除・整備されているようですが……。
桜が咲き誇り、さらに秘仏・如意輪観音像のご開帳があったため、多くの参拝者や観光客で賑わっていましたが、この社の中だけは、ひっそりと静まりかえっていました。
でも私からすれば、そこがまた魔所らしくていいのですがね。
なお、頼豪・鉄鼠伝説は史実との矛盾点を指摘する意見(例えば、頼豪が死後の道連れにしたという皇子・敦文親王は、頼豪の没年よりも前に亡くなっています)もあるようですが、当時の比叡山と三井寺との対立からこのような伝説が生まれてきたものと思われます。
「ねずみの宮」からの道には、かわいらしいお地蔵さんが。
おや?
道の途中に観音像が。
珍しい姿勢で座っている、ちょっと変わった……色気というか、艶っぽさすら感じさせる観音様です。
この観音様は、衆宝観音というそうです。
横に立っていた看板の説明を読むと……現世利益追求の姿勢が明確に現れた観音様のようです。
私の家は、浄土真宗ということもあって「仏教=来世宗教(=現世利益にあまり執着しない)」というイメージがあったのですが……。
まあ、ここではそういう野暮なことは言わないことにしましょう(笑)。
観音様の横から、さらに桜に覆われた道を上がっていきます。
坂を上ったところにある、観音堂のすぐそばにある鐘楼です。
かつてこの鐘楼にあった「童子因縁之鐘」という鐘にも不思議な伝説が遺されているのですが、これについてはシリーズ第10回をご覧ください。
これが、秘仏・如意輪観音像が安置されているという観音堂です。
さらに「西国観音霊場第十四番礼所」でもあるというこの観音堂にもまた、不思議な伝説がています。
この観音堂は、もとは聖願寺とも正法寺とも呼ばれ、現在よりも山の上である華の谷という場所にあったそうです。
華の谷まで至る道は険しく、さらに女人禁制だったため、一般の人特に女性は参詣することができませんでした。
文明9(1477)年のある夜、寺の僧たちの夢の中に老僧が現れ、「自分は華の谷に住む者だが、今の地では大悲無辺の誓願を達成できないので、今後は人々の参詣しやすい地に移りたい」と告げました。
僧たちは相談の上現在の地に移した、と伝えられています。
本当に三井寺は、不思議な伝説だらけですね。
さすがに観音堂内部の撮影は許可されませんでしたので、ここで秘仏を読者の皆様にお見せすることはできません。
その代わりに……はならないのですが、観音堂周辺の光景を。
そして、桜の道を下りていきます。
鬼子母神が祀られているお堂の辺りとその桜です。
確か鬼子母神には、元々は子供を喰い殺しまくっていた恐ろしい鬼女でしたが、お釈迦様に諭されて子供を守る神様になった……という伝説がありましたね。
彼女も一種の妖怪……みたいなものでしょうか?
ようやく出口が見えてきました。
屋台がたくさん並んでいました。
桜の咲く頃とはいえ、まだ肌寒い時期でしたので、一杯の豚汁をいただきました。
写真はぶれてしまいましたが……ほっと一息。
桜と不思議スポットを堪能した後、帰途につきました。
今回はここまで。
また次回!
三井寺のホームページ
http://www.shiga-miidera.or.jp/
三井寺の周辺地図はこちらをご覧ください。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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