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どうも、こんにちは。
毎年1月の9日~11日頃は、七福神のうち、えびす(ゑびす)神のお祭りがあります。
そんなわけで、新年1月の本シリーズでは、えびす神を中心とした七福神の記事を中心に書いていきたいと思います。
その第1回目は、今年の粟田神社の「出世えびす祭」の 様子をお届けします。
まずはいつもの通り、アクセスから。
京都市営地下鉄「蹴上」駅から。
有名な「ウェスティン都ホテル」の前を通り、三条通を西へ。
少し歩けば粟田神宮への参道入り口が見えてきます。
ここから粟田神宮へと行きますが、ここで少し寄り道。
三条通りを挟んで、少し斜め向かい辺り、民家の間の鳥居が見えます。
ここは、第84回でとりあげた「相槌稲荷(あいづちいなり)」です。
平安時代の名刀匠・三条小鍛治宗近が稲荷の化身と共に「子狐丸」という名刀を造ったという伝説が遺された場所でもあります。
現在は粟田神宮の飛び地境内みたいになっているようですが、当時よりもきれいに整備されていました。
ただし、民家の間の道を……近隣の皆さんの生活空間の中を通らなければならないので、少し注意と配慮が必要です。
話を元へ戻します。
参道を奥に進み、粟田神宮へと入ります。
粟田神宮について詳細はシリーズ第81回から第83回に書いてありますが、この神社は清和天皇の時代に、大己貴(おおなむち)神のお告げを受けて創建されたと伝えられています。
境内の一角には、粟田神宮のねぶた(のミニチュア版?)が。
確か、京都東山花灯路で観たことあります。
今年は戌年なので、犬のねぶたが並んでいるのが面白いですが、その中には昔観た
アニメ版『フランダースの犬』のパトラッシュに似ているような……?
手水舎で手を洗って。
舞殿をこえて。
本殿に礼拝して。
その本殿、右奥へと進んだところに、「出世えびす」が祀られています。
実はここには今から5年前にも、シリーズ第257回でも訪れたことがあります。
その時の繰り返しですが、何故ここが「出世えびす」と呼ばれて居るのかという話を。
それはあの源義経が、奥州へと旅立つ時にこの社に「源氏再興」を祈願したからだと伝えられています。
後に義経が、源平合戦で英雄として大活躍をしたことから「出世恵比須」や「門出恵美須」などと呼ばれるようになったそうです。
このえびす社の創建年代ははっきりしないそうですが、ここのえびす神像は、比叡山を開いた伝教大師・最澄の作という説もあり、現存するもので日本最古の木像のエビス神像と言われています。
ここのエビス神像は、普段は公開されていませんが、「出世えびす祭」のみ公開されています。
そしてこのえびす神像を、特にお顔をご覧いただきたいと思います。
この笑顔を観るのが、私がここを訪れた一番の理由なのです。
観ているこちらも楽しく、幸せな気分になりそうな、本当にいい笑顔ですね。
こちらの過去記事で言いましたように、「私は神様や仏様を拝んでもお願いはしない」ことにしています。
しかし、この笑顔から元気と幸福をもらったような気分になって、この神社を後にしました。
今回はここまで。
また次回。
*粟田神社へのアクセス・周辺地図はこちら。
*粟田神社のHP
http://awatajinja.jp/
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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