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どうも、こんにちは。
今冬某日、京都の妖怪絵師・伝道師の葛城トオル氏によるイベントツアーに参加し、一条戻り橋の他、京都一条から北野までの幾つものミステリースポットを巡りました。
シリーズ前回に引き続き今回は、その次に訪れたスポット「多巳龍神」を紹介します。
そこにはかつて、豊臣秀吉時代の大豪邸「聚楽第(じゅらくだい)」があり、その堀跡の池から大量の蛇が出てきたという話が遺されています。
その蛇を路地の奥で祀ったというのが「多巳龍神」です。
シリーズ前回の「一条戻り橋」から、一条通りをしばらく西へと歩き続けます。
この写真は、先頭に立って一条通りを歩き、我々を案内する葛城氏です。
この写真でわかりますように、堀川通りとの交差点から西の一条通りは、住宅街の中を貫く細い道となっています。
なおこの一条通りは、平安京の北の端でした。
シリーズ前回でも触れましたが、ここは「妖怪や幽霊が出現し、怪現象が起こる」という「境目」でもあるのです。
この一条通りには「百鬼夜行が練り歩いた」との伝承もあります。
また平安京の北の端ですから、当時は使い捨てられた道具なども大量に廃棄されていたそうです。そんな道具が人間に恨みを抱いて「付喪神(つくもがみ)」」 という妖怪に変化し、百鬼夜行となる。そんな伝承も生まれました。
さて、住宅街の狭い道となった一条通り沿いに小さな路地が。
確か、こういう表示のあった辺りでしたっけ。
路地の中には古そうな井戸も。
こういうのを見ると、いかにも「昔ながらの路地」という感じがします。
なお、その路地には一般の住宅が並んでいるので、撮影には慎重にならざるを得ませんでした。
本当なら、一般市民の生活空間の中に
路地の一番奥に、小さな社といいますか、祠が建っています。
こちらが「多巳龍神(たみりゅうじん)」。
今は住宅地の中ですが、かつて家を建てる為にここを掘った時に出てきた大量の蛇を祀ったのが、この「多巳龍神」だと伝えられています。
想像すると、かなり怖い、気味の悪い光景だと思いますが・・・。
その祠の背後と上を見ますと、2階建ての家ほどの高さがある塀がそびえ立っています。
何故こんな高い塀が立っているのかといいますと、この塀が隔てた間には、かなりの高低差があるからです。
この辺りにはかつて、豊臣秀吉が京都の支配者となった時代、かの人物が建てたという大豪邸「聚楽第(じゅらくだい)」があったそうです。
聚楽第には、城郭の如く堀も設けられていたようで、この高低差はその堀の名残だという話です。
つまり堀か、堀の跡を掘っていたら、大量の蛇が出てきたということなのかな、と思いましたが。
何故、大量の蛇という伝承が?
というより、そもそもこの「多巳龍神」の正体とは何か?
葛城氏の説に寄れば、この「多巳龍神」とは実は、古くからこの付近にある有名な場所を霊的・呪術的に守護する施設だったということでした。
それについての詳細は・・・敢えてここでは言わずにおきます。
それについて知りたい方、ご興味ある方は、葛城氏ご本人に直接尋ねられるか、あるいは葛城氏主催のイベントに参加して聴かれるのがいいかと思います。
この後、ツアーは一条通りをさらに西へと進み、次のスポットへ。
ところで、2022年の目標のひとつ「本シリーズで新規スポットの記事を最低でも15以上、出来れば20以上書く」で、厨子奥トンネルに続いて2本目。目標達成まであと13本。
今回はここまで。
この続きまた次回。
*葛城トオル氏のTwitter
https://twitter.com/yokaido
*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/
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