どうも。
このところオフの多忙等あって、記事更新をとめてしまいましたが、今回から再開です。
今回は、先月末日に行われた祇園祭の最後の神事・疫神社祭(夏越祭)と、祇園・八坂神社の疫神社(蘇民将来社)についての記事を書きます。
ところで、今でも「祇園祭は17日の山鉾巡行で終わり」と誤解されている人が結構多いようですが、それは違うのですね。
私の母も、何十年も京都で生活してきたにもかかわらずそんな誤解を抱き続けてきた一人です(苦笑)。
まあ、それは置いておきまして。
山鉾巡行の後でも、神幸祭、還幸祭、神輿洗いなどの神事が続けられます。
祇園祭全体の行事については、こちらのHPをご覧ください。
先月(7月)31日に、祇園・八坂神社を訪れ、一ヶ月に渡る祇園祭のフィナーレともいえる疫神社祭(夏越祭)を見に行きました。
冒頭の画像は、その時の八坂神社門前の光景です。
それでは、中に入ってみます。
まずは、門を入ると、門の左右に立つ狛犬と唐獅子が出迎えてくれます。
多くの神社には、左右に狛犬と唐獅子によって護られています。
角のある方が狛犬ですね。
ところで、八坂神社の狛犬って、スクエアエニックスの人気RPGシリーズ『ドラゴンクエスト』に登場するモンスター「いっかくうさぎ」や「アルミラージ」に似ているような気がするのですが‥‥。
あっと、こんなマニアックな喩え方しても、一部のゲームマニア以外にはわからないか。失敬。
門の中に入ってみますと、なにやら特設会場のようなものが設けられ、既に多くの人たちで賑わっています。
それにしても、本当にすごい人ごみ、すごい行列です。
私がここに着いたのは、確か朝の10時すぎ頃でしたが、その時には既にこんな行列が。
私も並ぼうと思ってきたのですが、ここから最後尾の見えない長蛇の列が続いておりましたので、断念しました。
もっと朝早くから来ればよかった‥‥。
さて、(並び損なった私を含めて)ここにおられる皆さん方は、何のために並んでおられるのか、ということですが。
この日の疫神社祭(夏越祭)では、八坂神社の境内にある疫神社(蘇民将来社)の鳥居に大きな茅の輪をつけ、それを潜り抜けることによって厄除けや無病息災等を祈るのです。
以下の画像はその時の様子です。
茅は自由に持ち帰ることができます。
皆さんそれで、小さな輪を作ります。
ところで、この日はたくさんの人で賑わっていた疫神社(蘇民将来社)ですが、普段は以下の写真のようにひっそりとしています。
八坂神社の境内にひっそりと建っているこの社、そもそも何の神社か。
ここには、「蘇民将来(そみんしょうらい)」という人物が祀られています。
昔、八坂神社の主祭神・牛頭天王(=スサノオ)が諸国を巡っていた時、巨旦将来(こたんしょうらい)という人物に宿を請いました。しかし巨旦将来は、金持ちであったにもかかわらず、宿を貸すのを拒みました。
その兄弟であった蘇民将来(そみんしょうらい)は、貧しかったのですが、粟穀で座を敷き、粟の粥で手厚くもてなしました。
牛頭天皇は庶民将来に自分の正体を明かし、「茅の輪をつけて、“蘇民将来の子孫なり”といえば、災厄から逃れるであろう」と言い残しました。
その後、巨旦将来の子孫は皆、疫病により絶えてしまいましたが、蘇民将来の子孫は後の世まで栄えました。
この伝説を元に、蘇民将来を疫神として祀ったのが疫神社こと蘇民将来社です。
そしてこの伝説からもおわかりのように、牛頭天皇と習合されたスサノオ神は、疫病などの災厄を司る神様なのです。
シリーズ第43回でも触れましたが、祇園祭とは元々、疫病や天変地異などの災厄をもたらすと考えられていた怨霊や疫神などを鎮めるための宗教的儀礼だったのです。
そして祇園祭を主催する八坂神社に主祭神として祭られているのは、怨霊や疫神などの大ボスともいえる牛頭天皇(=スサノオ)なのです。
現代のような医学知識や医療技術などなかった時代は、疫病などの災厄は怨霊や疫神などの仕業とされ、人々には彼らを鎮め、神仏にすがるしかなかったのでしょう。
現代では夏の京都の風物詩として多くの人々に楽しまれている祇園祭ですが、おそらく当時の人々は必死でやっていたのでしょうね。
というわけで(?)、疫神たちの大ボスが祀られている本殿にもお参りをしていきます。
以下は、境内にある社務所(神札・お守り授与所)です。
そこでは様々なお札やお守りなどの他、厄除けのための様々な商品(厄除けの粽、厄除けの粟餅、お神酒など)が売られています。
私は千円の「夏越払いセット」と、厄除けのお神酒を買いました。
セットの中には、厄除けの粽とお札、そして厄除けのための粟餅とが入っていました。
粟餅は、「蘇民将来が、主祭神・牛頭天皇(=スサノオ)を粟の殻と粥でもてなした」という伝説に基づくものでしょう。
ちなみに、焼いて海苔を巻き、醤油をつけて食べると結構おいしかったですよ。
こうして、京都の夏の風物詩となった神事の終わりを見届けました。
ところで‥‥。
機を逃して用をなさないこと喩える「後の祭り」という言葉がありますが、それは祇園祭のハイライトである山鉾巡行などが終わり、その後の祇園祭にはそれ以上に目立つイベントがないことから、その言葉が言われるようになったとされます。
オフの多忙等があったとはいえ、祇園祭が終わってから十日以上にもなる今頃になってこんな記事をアップしているのも、もしかしたら「跡の祭り」というやつでしょうか‥‥?(苦笑)
なお八坂神社には、このシリーズで取り上げたいような不思議スポットがいくつもありますので、また後ほどとりあげていきたいと思います。
それでは、今回はここまで。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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