今回も、妖怪スポット、心霊スポットといいますか‥‥いわくつきのスポットを紹介します。
今回は京都市内のお寺にある門です。
一見すると、ごくふつうの古いお寺の門ですが、「百叩きの門」と呼ばれ、「千本出水七不思議」のひとつともされるその門は、豊臣秀吉の時代には伏見城の牢獄の門として使われていたもので、次のような不気味な伝承が残されています。
豊臣秀吉が伏見城に居た頃、相次ぐ戦や工事のための徴税で京都の人々は苦しめられ、街の治安は悪化する一方でした。
伏見城の牢獄もたちまち満杯になったので、比較的罪の軽い囚人は百叩きの刑で済ませていたそうです。
しかしそれでも、青竹の鞭で打たれ続けるのはかなりの苦痛だったはずです。また、その中には亡くなる者も少なくなかったそうです。
徳川家康の時代になりますと、伏見城は解体され、牢獄の門は観音寺の門として再利用されました。
その頃から人々の間で、「夜中に観音寺の門からおかしな声が聞こえる」という噂が広まりました。
そこで住職が夜中に確かめてみると、門のくぐり戸から、苦痛の泣き声かうめき声のような音が聞こえてきました。
これは成仏できない罪人の霊の仕業と考えた住職は、百日間断食をして念仏を唱え続けました。
そうすることで、ようやくうめき声はなくなりました。
しかし今でも、深夜に「ギーッ」と不気味な音がするので、くぐり戸は釘が打ち付けられ、封印されているそうです。
その「百叩きの門」は、シリーズ前回でとりあげた「宴の松原跡」のすぐ近くにあります。
前回にそこを訪れたその足で、そのまま観音寺に向かいました。
つまり、夜中の時間帯に問題の場所を訪れてみたのです。
「宴の松原跡」から、そのまま出水通りを歩いて西に進みます。
この辺りは、多くのお寺が並んでいます。
いわば寺町です。
七本松通りと交わるところで、出水通りは途切れて、T字路になっています。
七本松通りにも、いくつもの寺が並んでいます。
いわば、そこも寺町でした。
この写真はそのうちのひとつ、「極楽寺」というお寺の門です。
ここには、「千本出水七不思議」のひとつに数えられる「二つ潜り戸」(山門の潜り戸は一般的には右側だけのものだが、両側に2つある珍しい山門)があるそうです。
出水通りと七本松通りとが交わるT字路から少し南に下がったところに見えてきました。
ここが件の観音寺の門です。
もう少し近寄ってみます。
ご覧のとおり訪れたのは夜中でしたが、不気味なうめき声は聞こえませんでした。
囚人の霊は、今では安らかに眠っているのでしょうか。
なお、後日昼の時間帯にもこの門前を訪れてみました。
柵があってくぐれませんが、門扉が開かれています。
これが、釘で打ち付けられて封印されているという、問題のくぐり戸に近寄ってみました。
この観音寺には「夜泣き地蔵」というものも伝わっているそうですが、一般公開されてはないようでここから先には入れませんでした。
いわくつきの伝承があるとはいえ、ごく普通のお寺であり、ここもやはり人々の生活空間の一部であるのですね。
それでは、今回はここまで。
また次回。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
最新の画像もっと見る
最近の「小旅行」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2008年
人気記事