京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(49):百叩きの門




 今回も、妖怪スポット、心霊スポットといいますか‥‥いわくつきのスポットを紹介します。

 今回は京都市内のお寺にある門です。
 一見すると、ごくふつうの古いお寺の門ですが、「百叩きの門」と呼ばれ、「千本出水七不思議」のひとつともされるその門は、豊臣秀吉の時代には伏見城の牢獄の門として使われていたもので、次のような不気味な伝承が残されています。

 豊臣秀吉が伏見城に居た頃、相次ぐ戦や工事のための徴税で京都の人々は苦しめられ、街の治安は悪化する一方でした。
 伏見城の牢獄もたちまち満杯になったので、比較的罪の軽い囚人は百叩きの刑で済ませていたそうです。
 しかしそれでも、青竹の鞭で打たれ続けるのはかなりの苦痛だったはずです。また、その中には亡くなる者も少なくなかったそうです。
 徳川家康の時代になりますと、伏見城は解体され、牢獄の門は観音寺の門として再利用されました。
 その頃から人々の間で、「夜中に観音寺の門からおかしな声が聞こえる」という噂が広まりました。
 そこで住職が夜中に確かめてみると、門のくぐり戸から、苦痛の泣き声かうめき声のような音が聞こえてきました。
 これは成仏できない罪人の霊の仕業と考えた住職は、百日間断食をして念仏を唱え続けました。
 そうすることで、ようやくうめき声はなくなりました。
 しかし今でも、深夜に「ギーッ」と不気味な音がするので、くぐり戸は釘が打ち付けられ、封印されているそうです。

 
 その「百叩きの門」は、シリーズ前回でとりあげた「宴の松原跡」のすぐ近くにあります。
 前回にそこを訪れたその足で、そのまま観音寺に向かいました。
 つまり、夜中の時間帯に問題の場所を訪れてみたのです。


 「宴の松原跡」から、そのまま出水通りを歩いて西に進みます。
 







 この辺りは、多くのお寺が並んでいます。
 いわば寺町です。

 七本松通りと交わるところで、出水通りは途切れて、T字路になっています。
 




 七本松通りにも、いくつもの寺が並んでいます。
 いわば、そこも寺町でした。





 この写真はそのうちのひとつ、「極楽寺」というお寺の門です。
 ここには、「千本出水七不思議」のひとつに数えられる「二つ潜り戸」(山門の潜り戸は一般的には右側だけのものだが、両側に2つある珍しい山門)があるそうです。
 

 出水通りと七本松通りとが交わるT字路から少し南に下がったところに見えてきました。
 





 ここが件の観音寺の門です。
 もう少し近寄ってみます。





 ご覧のとおり訪れたのは夜中でしたが、不気味なうめき声は聞こえませんでした。
 囚人の霊は、今では安らかに眠っているのでしょうか。


 なお、後日昼の時間帯にもこの門前を訪れてみました。




 

 柵があってくぐれませんが、門扉が開かれています。
 これが、釘で打ち付けられて封印されているという、問題のくぐり戸に近寄ってみました。





 この観音寺には「夜泣き地蔵」というものも伝わっているそうですが、一般公開されてはないようでここから先には入れませんでした。
 
 いわくつきの伝承があるとはいえ、ごく普通のお寺であり、ここもやはり人々の生活空間の一部であるのですね。


 それでは、今回はここまで。
 また次回。

 

 
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm


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