どうも、こんにちは。
今回も前々回と前回に引き続きまして、京都・清水寺の「千日詣り」に参拝すると共に、境内の不思議スポットを巡る第3回目です。
今回は清水寺奥の院を越えて、「子安の塔」から舞台下のスポットを巡ります。
まずは前回の続きから。
本堂と地主神社を後にして、「奥の院」に向かいます。
しかし残念ながら、「奥の院」はご覧の通り工事中。
うーん。本当に残念です。
ここには、清水寺の闇のひとつ「夜叉神堂」があるのです。
妖怪研究で有名な民俗学者・文化人類学者の小松和彦氏によれば、その「夜叉神堂」こそは、縁切り(=呪殺)祈願に使われていたという恐るべき「縁切夜叉」なのだそうですが。
仕方がないので、また別の機会に拝むことにして、先へと進みます。
清水寺境内の道沿いには、このように仏塔やお地蔵さんが並んでいる場所がいくつかあります。
明治の廃仏毀釈を逃れてきたお地蔵さんが、境内にたくさんあるそうですが、これもそういったお地蔵さんでしょうか。
明治政府も、今から思えば馬鹿なことをやったものです。
途中、「子安の塔」へと通じる道が。
そう言えば、今まで清水寺には何度も行ったことがあるのに、子安の塔にはまだ行ったことがありませんでした。
この機会に、と思って訪れてみます。
聖武天皇と光明皇后の祈願所であったとも言われますが、創建年代についてははっきりしないそうです。
「子安の塔」とは、その名の通り子安観音(千手観音)を祀り、安産にご利益があると伝えられてきました。
最近の修復工事により、創建当初のきれいな朱塗りの塔が復活した、という話です。
「昔の妊婦さんは祈願のために、三年坂(産寧坂・さんねいざか)からこんな場所まで登ってきたのか。大変だったんだな。というか、それってかえって身体に負担をかけるのでは?」
そんな疑問も抱いておりましたが、元々は清水寺の入り口「仁王門」の辺りに建っていたのが、明治期に現在の場所に移されたそうです。
「子安の塔」から眺めた清水寺本堂の舞台。
「子安の塔」が立つ場所は、隠れた絶景ポイントでもあります。
今まで、「安産? 俺には関係ないな」とか思って、この場所に立ち寄ることはなかったのですが。
もし京都・清水寺に訪れる機会があれば、ここに立ち寄られることも勧めます。
ここでちょっと余談。
この清水寺境内だけでなく、京都の各地を見て回っていますと、明治に行われた廃仏毀釈の凄まじい影響を今に示す遺稿を目にすることが時々あります。
寺院から道端の地蔵や仏塔が破壊されたり、またその難から逃れるために別の場所に移動させられたり。元は仏教寺院だったのが、神社に変えさせられたりとか。
酷いのになると、墓石や仏塔・石碑などが破壊されて、路石などの工事の建築資材として転用されたという例もありました。
「国家神道」という国家統治のための宗教を創り出すために、それまでの神道のあり方すら改変し。さらに日本古来の神道とも共存し、日本人の精神文化として根付いてきた仏教を排撃・否定・破壊してきた日本の「近代化」とか「明治維新」とかって、一体何だったのだろうか?
また、そうした従来の伝統文化を否定・破壊することによって創られてきた「国家神道」とか「伝統」とかって、一体何なのだろうか?
『京都妖怪探訪』シリーズのために京都各地の寺社や遺稿などを見て回っていますと、そんな疑問がふと頭に浮かんでくることが、時々あります。
話を清水寺境内散策に戻します。
子安の塔から、本堂舞台下の谷へ。
そして、清水寺の名の由来ともなった「音羽の滝」です。
前々回でも少し触れましたが……。
実は、清水寺そのもの、特に本堂舞台下の谷底って、実は京都でも最大級の心霊スポットのひとつなのですよ。
特に、「音羽の滝」周辺は非常に恐ろしい場所でもあるのです。
多くの参拝者や観光客で賑わう光景からは想像もつかないかもしれませんが。
『旅の怖い話/添乗員MoMoの幽霊の出る宿・心霊スポットの旅』というサイトの、「呪われた旅~京都特集~」というコーナーにも「東山・清水寺」に対する記述がありますが、それによれば……(以下、引用)。
>それに、
応仁の乱~戦国時代にかけて、京都が焼け野原になってた頃、討死した武士や戦乱に巻き込まれて亡くなった町民の無数の骸が、清水の境内に打ち捨てられていたといいます。
舞台の下は死体の山で、悪臭もかなり酷かったとか・・・・・。
こういった負の歴史をも持つ清水寺ですから、
私達の仲間で霊感の強い人達は、絶対に舞台の下⇒音羽の滝の辺りには近づきません。
私、MoMoは平気なほうなので、お客様と同行することもありますが、お客様の中には、肩から背中にかけてズシッと重くなられる方や気分が悪くなられて嘔吐される方が時々おられます。
お客様の中には、音羽の滝の水の中に、はっきりと人の顔を見たという方も・・・・。
また、音羽の滝をバックに記念写真を撮られる方も多いんですが、私はオススメしてません。
(引用、ここまで)
そんな恐ろしい場所だったのですね!
私はというと、そんな場所を夜中に訪れて、音羽の滝周辺を含む本堂舞台下の谷で、喜んで写真を撮りまくったりしていました……(例えば、この時とか)。
幸い、今のところは祟りとか霊障などといったものはありません。
嗚呼、私自身は霊感がなくて本当に良かったなあ、とか思います。
もし霊感とかあったら、とてもじゃないですが『京都妖怪探訪』などということを続けてこられなかったかもしれません。
そして今回最後に紹介しますスポット。
清水寺を訪れる度に、必ず注目し、立ち寄る場所です。
坂上田村麻呂に、大和朝廷に倒された「まつろわぬ民」の族長・アテルイとモレの碑です。
日本各地に遺された鬼・妖怪伝説の裏側には、「蝦夷」や「熊襲」など、当時の権力者によって鬼や妖怪として歴史の闇に葬られた人々の存在があります。
妖怪の歴史などを取り組んでいる者にとっては、ここは見逃すことの出来ない場所のひとつでもあります。
「アテルイ・モレの碑」のすぐそばに立つ「音羽地蔵尊」。
そして帰路へ。
こうして「千日詣り」を終えました。
さて、前々回の冒頭で紹介しました『古本説話集』のエピソードにもありましたように、「千日詣り」のご利益が私にあるかどうかですが。
もっとも私の場合は、あの若侍と同僚侍みたいに2回参拝したわけではありませんし。
また、今更「立身出世」とか「逆玉の輿」とかという気もありませんし(笑)。
仏教の功徳というのは、必ずしも現世利益という形で表れるものでもないですしね。
「何か良いことがあれば、ラッキー!」という程度に考えております。
それでは、また次回。
*清水寺へのアクセスについてはこちらを参照。
*清水寺のHP
http://www.kiyomizudera.or.jp/index.html
*地主神社のHP
http://www.jishujinja.or.jp/
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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