京都の闇に魅せられて(新館)

2021年・祇園祭後祭 @ 京都妖怪探訪(747)





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 どうも、こんにちは。
 シリーズ前回に引き続いて今回も、京都・夏の風物詩とも言われる祇園祭の記事を。
 今回はそのうち、後祭(あとまつり)を。
 もう二年近くも続くコロナ禍の、世界的な感染症の流行により、山鉾巡行などほとんどの行事が中止、もしくは一般参加無しに行われています。
 昨年に引き続き、今年も山鉾巡行は中止となりましたが、それでも一部の山鉾建ては行われましたので、そのレポートでも。


 まず、本題に入る前に。
 そもそも何故、この『京都妖怪探訪』シリーズで、祇園祭の話をするのかについて、過去記事のおさらいになりますが、少し解説を。

 元々祇園祭は、祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と呼ばれていました。
 御霊会(ごりょうえ)というのは、「御霊」という言葉からもおわかりかもしれませんが、いわゆる怨霊など祀り、鎮魂し、その祟りを防ぐための宗教的な儀礼なのです。
 平安時代などに広まった、怨霊信仰。
 天変地異や疫病の流行などの災厄は、怨霊や悪霊、疫神やもののけなどの仕業と考えられ、それらを鎮めるための儀礼が行われるようになりました。
 平安時代の貞観11(869)年、当時流行した疫病を鎮める祈願を込めて、66本の矛を立て、神輿3基を送り、疫神・牛頭天王(=スサノオ)を祀り御霊会を行ったのがその起源だとされています。
 室町時代に商工業者(町衆)の自治組織両側町が成立すると、町ごとに風情を凝らした山鉾を作って巡行させるようになりました。
 その後、応仁の乱や第二次世界大戦などでの中断はあるものの、現在まで千年以上も続けられています。

 つまり、現在では京都の夏の風物詩となっている一大イベントも、元は怨霊や疫神を鎮めるための宗教的儀礼であったわけです。




 前置きが少々長くなってしまいましたが、本題に入ります。
 まず、スタートは京都市営地下鉄「烏丸御池」駅で、烏丸御池の交差点から烏丸通りを少し南へ、烏丸姉小路・三条の辺りに鈴鹿山とその会所があるはずですが・・・。





 確か鈴鹿山は、今年(令和3年、2021年)の祇園祭では、後祭にあたっていたと思いますが・・・山鉾建てもしなかったのでしょうか。
 コロナ禍により、山鉾巡行は無いようですが、山鉾建てだけはする山鉾もある一方で、何もしないところもあるようです。
 来年こそは、山鉾建ても巡行も再開して欲しいところではありますが・・・。
 なお鈴鹿山については、シリーズ第121回記事でも紹介しています。




 気を取り直して室町通りを歩きます。
 一部が歩行者天国となって、山鉾が建てられています。











 これは「役行者(えんのぎょうじゃやま)」で、会所も公開されていました。





 豪華な装飾品が展示されて。








 山鉾に乗る御神体人形が奥に祀られています。








 鬼神さえ召喚・使役したという、修験道の開祖・役行者。
 その彼が召喚・使役したという、葛城(かつらぎ)神と鬼神・一言主(ひとことぬし)です。
 礼拝(らいはい)して、会所を後にします。
 なお、役行者山についてはシリーズ第44回記事第408回記事で紹介しています。




 室町通りをさらに南下していきますと、山鉾はありませんでしたが、公開されている会所が。








 これは「黒主山」の会所です。
 奥には、神になったと伝えられる歌人・大友黒主(おおとものくろぬし)の御神体人形が。





 豪華絢爛な装飾品も展示されています。








 ご朱印も頂きました。





 なお、「黒主山」についてはシリーズ第410回記事で紹介していきます。




 さらに室町通りを南へ歩いて行きますと、またもや歩行者天国になっている場所が。





 これは祇園祭の山鉾の中でも人気の高い「鯉山」です。








 残念ながら今年は、会所も、御神体である左甚五郎・作の鯉も非公開のようです。





 今年は山鉾建てや、会所や御神体、装飾品などの公開はどうするのか、各山鉾によって違っているみたいです。
 なお、「鯉山」についてシリーズ第410回記事で紹介しています。




 新町通りを歩くと、「南観音(みなみかんのん)山」と。













 「北観音(きたかんのん)山」と。













 「八幡山」と。








 私が訪れた時には、いずれも会所は閉まっていましたが。
 この3つの山鉾はまだ記事にしていなかったかな。
 いずれ祇園祭が完全復活した時にでも再訪して、記事にしたいと思います。




 あと今回特筆すべきことが一点。
 現在は休止中の山鉾のひとつ「布袋(ほてい)山」を復活させる活動をしている方々に会えました。








 「1500年の前祭の巡行に参加したという記録があるが、宝暦年間(1751?64)より巡行に不参加で、天明8年(1788)の大火(1788)で布袋尊と3童子を残して焼失、その後休み山となった」とされています。
 完全復活はまだまだ先になりそうですが、いずれまた巡行している姿をみたいものですね。




 後祭の、山鉾巡行の大トリをつとめる「大船鉾」を訪れます。











 この「大船鉾」は、シリーズ第371回でも紹介したことがありますが、神功皇后の三韓征伐伝説の中で、凱旋する船を表しているそうです。
 同じく三韓征伐伝説の出陣をモチーフにした「船鉾」(※シリーズ第370回参照)と、この「大船鉾」の装飾品には、私の大好きな幻想生物が幾つも見られます。











 そして前回訪れた時にはなかった、船首の竜が。





 この竜頭は150年以上もの間失われていたのですが、2016年頃に復活させられたそうです。




 最後に、四条京極にある「御旅所(おたびしょ)」に参拝してきます。





 「御旅所」とは、祇園祭の神輿巡行の際や、前祭と後祭の間の時期に、八坂神社の神様が立ち寄るという場所です。
 普段ここは、土産物店となっていますが、祇園祭の前祭と後祭の間だけ、八坂神社の神様が滞在します。
 例年ならば山鉾巡行の後に神輿巡行があって、八坂神社の神様たちが3基の神輿に乗って、京都の街を回り、こちらに滞在するのですが。
 今年は神輿巡行は無かったのですが、神様たちの御旅所滞在だけはあったようです。





 今年は祇園祭はあわただしく終わってしまったという感じがしますが。
 来年はコロナ禍も収束するか、少しはマシな状況になって、山鉾や神輿の巡行も再開できるようになってほしいところですが。
 祇園祭も元々、疫病を鎮める為の神事なのですから。





 今回はここまで。
 また次回。





*祇園祭のHP
http://www.yasaka-jinja.or.jp/event/gion.html



*八坂神社のHP
http://www.yasaka-jinja.or.jp/




*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/




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