どうも。
本日2回目の桜の記事であり、『京都妖怪探訪』シリーズの特別編でもある記事です。
今回は、京都市のほぼ真ん中を縦断する通りのひとつ、千本通り沿いの桜の様子を届けます。
千本通りは、平安京の時代には平安京の中央を南北に縦断する大通り朱雀大路があったと伝えられているそうです。
その通り沿い周辺には、第48回の「宴の松原跡」や、第49回の「百叩きの門」や、第164回など本シリーズで何度かとりあげました「千本えんま堂」など、多くの霊場魔所があります。
というよりこの千本通り自体も、ひとつの霊場魔所であると思います。
この道は昔、平安京北の葬送地である船岡山・蓮台野(れんだいの)へと続いていたそうで、その周囲には千本もの(それだけたくさんの)卒塔婆が並んでいたことは「千本通り」の名の由来となったとされています。
もうひとつ、「千本通り」の由来としてこんな話も遺されています。
天慶4年(941年)日蔵上人という行者が、蔵王権現という天からの使いに連れられてあの世を訪れた時、地獄で苦しんでいる醍醐天皇に出会います。
醍醐天皇は「菅原道真を冤罪に陥れた罪で苦しんでいる。私の菩提を弔ってほしい」と、日蔵上人に頼みます。
そこで日蔵上人は、この辺りに千本の卒塔婆を立てて醍醐天皇の菩提を弔い、それが「千本」の地名の由来となったという話です。
前置きが長くなってしまいました。
この千本通りと周辺の霊場魔所については、いずれ本シリーズでもとりあげたいと思いますが、今回はこの通り沿いに咲く桜の花について書きます。
千本通りと丸太町通りとが交わる、千本丸太町通りの交差点。
この交差点の北西角、京都市営バスの「千本丸太町」停留所(北行き)のすぐ傍、千本通りから少しだけ奥に入った場所にある内野児童公園。
この桜の樹の下には、ひとつの石碑があります。
平安宮の中心となる朝堂院の正殿である「大極殿」という建物があったことを示す石碑だそうです。
そんな場所も、現在では京都市民の生活空間の一部となっています。
千本通りをバスで少し北上した、千本今出川の交差点に立つ桜の樹。
この交差点には、四隅に桜の樹が植えられています。
これはそのうち、北西角に植えられている樹です。
わざわざ観光地や名勝旧跡などでなくても、一般市民の生活空間の中でも十分に桜を楽しむことが出来る場所がある。
ほとんどの人は、地元の人でさえなかなか気付かないけど、実は意外な歴史や伝説も背負っている。
こういう場所も、私は好きですね。
それでは今回はここまで。
まだまだ桜の記事を続けますよ。
*『京都妖怪探訪』まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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