京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(169):お別れ地蔵





 3月ももうすぐ終わりです。
 日本ではこの時期、多くの別れがあります。
 今回はそんな時期にふさわしそうなスポットを紹介します。
 その名も「お別れ地蔵」です。

 前回記事にて、北野天満宮など菅原道真関係の記事を書くことにしましたが、まずは北野天満宮門前にあるこの小さな地蔵堂について書きたいと思います。
 最近私も、別れを惜しむということもありましたので……。



 京都市営バス「北野天満宮前」停留所、西行きバス停。






 この停留所のすぐそばにある、気をつけていなければ見落としてしまいそうな小さな地蔵堂。






 この小さな地蔵堂の中に、「お別れ地蔵」がおさめられています。
 なお、この隣には豆腐で有名な『とようけ茶屋』の店舗があります。





 もっとも、私はまだここに入ったことはありません。
 どういうわけかこの店は、私が訪れた時はたいてい店が閉まっていたりとか、行列が出来るほど混雑しているかだったので(苦笑)。


 話を戻します。
 地蔵堂には、東紙川町町内会による案内板があります。





 この案内板の説明によれば、このお地蔵さんの由来はだいたい次の通り。

 明治維新の頃、若狭国小浜から一人の老僧が当時の廃仏毀釈から逃れるためにこの地蔵尊を背負って来ましたが、この地で力尽きてしまったそうです。
 しかしこの地の人々は、何か縁を感じたのか、ここに祠を建ててこのお地蔵さんを祀ることにしたそうです。
 また当時この地には、火葬場のあった蓮華谷に通じる道があり、市中から来た葬列はここで一応の別れを告げていました。
 そのため「お別れ地蔵」と呼ばれるようになったそうです。

 案内板によれば、このお地蔵さんは江戸時代中期に作られ、「お顔容姿非常に美しく」ということだそうです。

 ちょっと失礼してお堂の中を覗いてみます。






 美しい金色の仏像です。
 でも……お地蔵さん(地蔵菩薩)ってこんな姿だったかな?
 それに案内板によれば、木像のお地蔵さんだそうです。

 ……っと思ったら、本尊の「お別れ地蔵」さんは、お堂の箱の中に納められたままだそうです。
 箱の前に本尊の姿を写したらしい写真があります。





 見えにくくてすみませんが……。

 案内板によれば、元々はもっと西にあったそうですが町の変化に伴ってここに移されてきたそうです。
 決して目立たないけれども、歴史と由緒がある。
 いろんな意味で町の歴史と共にある。
 また、毎年ちょっとした感傷にもひたったりする。
 京都と言えば、壮麗な寺社仏閣などをイメージすることも多いのですが、こういう小さくても、目立たなくても味のある場所も、探せばたくさんあるのです。
 そういう場所も私は好きですね。

 私も最近、何人かの顔なじみの人たちとの別れがありましたので、この場所を訪れながら、またこの記事を書きながら、ちょっと感傷にひたっておりました。


 このお地蔵さんから、今出川通りを挟んだほぼ向かい側に、北野天満宮の入り口の鳥居が立っています。

 次回から北野天満宮の記事を書いていこうと思います。
 今回はここまで。
 また次回。




*北野天満宮のHP
http://kitanotenmangu.or.jp/




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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