大人の休日倶楽部
① 日本の文化・芸能を伝えていきたい。
今年の2月、秋田市横手にいきました。「秋田市竿燈会」や「男鹿のなまはげ」 など秋田の文化資源と多彩なアーティストとのパフォーマンス。震災以降復活できていない芸能や後継者がいない各地の伝統芸能がたくさんあるそうです。地元の人が大切にしてきた文化やライブの面白さを日本中に広めるなど僕なりにできることをやっていきたい。僕は演劇の面白さを伝えたくて舞台を作ってきました。歌舞伎をシネマでみることも始め抵抗があったが関係者が舞台の魅力を最大限撮ろうと頑張ってくれていて今は納得できる。また情報社会の中で生の舞台の面白さを伝えていきたい。ノダヒデキ
② 日本最大級「江戸城」
秘密は「天下普請」にあり。江戸城のすごさはやっぱりスケールの大きさ。なんたって265年も日本の中心だった徳川将軍家の城。皇居あたりにあった城なんて思っていたら大間違い。皇居一帯は江戸城のほんの一角。全体はとてつもなく大きい。家康が築いた城は巨大な城。さすが天下普請で築かれた城。天下普請とは全国の諸大名が幕命で総動員された築城工事のこと。江戸城は徳川将軍家の威信をかけた国家事業として築かれた城なのだ。費用はすべて大名の自腹。お金を使わせて財力をそぎ、長期間出張労働させて反逆心を制御する賢いシステム。江戸城は家康が幕府を開府した1603年から本格的に築城を始めた城豊臣家との決戦を見据える一方で一刻も早い幕藩体制の確立を考えていた。天下普請はうってつけの大名統制令でもあったのだ。 ショウタ氏 カトウ氏
③ 当時、信長や秀吉の下で城づくりに励んだ大名しか石垣を詰めなかった。家康は自分が持っていない最高峰の技術力をタダで献上させたのだ。工事の担当を調べると石垣を作っているのは西国の大名。土木行事に強いのは東国の大名。適材適所で効率てきなのだ。土木行事に強い人たちのお陰で関東ローム層の強さを生かした一面も魅力的。土木技術力の高さなくして江戸城は語れないのだ。
江戸城は1590年北條氏に代わり家康が大改築した城。前身の江戸城は荒れ果て、一体は湿地が広がる原野に近かった。関東入りから8年間、城の中心部分の地盤固め。塩や食料調達のため利根川方面から流路を掘削し用水路も開削した。現在の東京の発展は家康の涙ぐましいインフラ整備の賜物なのだ。ショウタ氏カトウ氏s
④ すさまじい威容と防衛力!
江戸城の地形の面白さもたまらない。江戸って本当に地形が複雑。それを巧みに利用した城でもある。桜田豪沿いに日比谷方面をみるこのくだり坂が最も江戸城の地形を感じられる。江戸城は武蔵野台地の東端にある。だから西側の半蔵門から東の日比谷方面に向かって緩やかに下っていく。自然の谷に手を加えて作った桜田豪も圧巻。江戸城は濠の水をそのままにしておくと標高の低い日比谷は氾濫する。だから土橋を使って緻密に水位を調節している。全ての濠に。江戸城は櫓や城門など建物のスケールも半端ない。本来は小さいはずの高麗門がでかい。柱の太さも扉の大きさも規格外。よそから訪れた大名は「将軍様、参りました!」と委縮する感じだ。中世の城が好きな僕にとってこの桝形門の設計。桝形門とは四角い空間のこと。桝形内に敵を封じ込め集中攻撃するのが一般的。桜田門の場合は桝形の正面に濠、その向こうに西の丸の石垣でドーンと壁を作っている。堀で隔てられたあの石垣上の銃座からバンバン狙われる。こんな設計の桝形門などみたことない。地形を生かした濠、力強い土塁。幕府の威光を示す城門、驚異の濠と銃座。いろいろ集約されている。威厳をみせつけつつ鉄壁の防御も忘れない。これぞ将軍家の城なのだ。ショウタ氏カトウ氏
⑤ 天下普請の「技」
汐見坂、本丸と二の丸の高低差がいい。江戸城の本丸は一番高くなるように10メートルも盛り土。汐見坂から見える白鳥濠に面した本丸東面の石垣もいい。築城期間が長いことも江戸城の特徴の一つ。三代家光まで継続。全国の城は修復紗枝幕府に厳しく規制されていたが江戸城は含まれない。江戸は地震や火災が多かった。江戸城は将軍の城なのでちゃんとメンテナンスされている。時代による技術の発展も場内で観賞できるのだ。防御性が高く威圧的な設計も独創的。例えば大手三之門、かつて門前に水濠があってドーンと構えている。参勤交代の大名がこの道を通ると思えば威嚇の意図を感じる。石垣の上には三重櫓がたっていた。小さな城なら天守に匹敵するような三重櫓を立て並べちゃうのだから将軍様の城は違う。それをしのぐ天守はすごい存在感だったのでは。家光が建てた天守は高さが59メートルもあったとか。明暦の大火で焼失したらしい。翌年、天守台だけ加賀藩の前田綱紀が積んだ。信長と秀吉に仕えた前田家のすごい技術力は屈指らしい。江戸城は見る場所によって表情の豊かさが格別。ショウタ氏カトウ氏。