23:39 余裕

人間というのは追い詰められて余裕がなくなると
「やるかやられるか」
という選択に陥ることがわかった。
つまり犬死にするか生き残るかってこと。

いままでは自然に流れを任せた暮らしをしていたから思ったことはなかったが、幼少のころの記憶がフラッシュバックしておかしくなりそうな感じだった。
時どき幼少のころのことを思い出して「あのときは子供だったから」って思ったりしていたが、実のところ現在になっても何も変わっていないということがわかる。
人生の中での割と大事なターニングポイントなのに、それを生かせず悪い方向へと進んでしまう。

なぜいつもこんな人生なのか?
理由は分かっている。
それは俺が人間嫌いだから。
それだから人との関わり合いを持ちたくないのだ。
だが、それが原因で更にややこしい方向に話が流れていく。
もうなにもかもがめんどくさい。
こんなことなら産んでほしくなかったと心底思う。
だからこそ自分の血なんて残そうと思わない。

ただ静かに生きたいだけなのに、なぜかこのようになってしまう。
その原因は分かっているっていうか、わかった。
それは無知だから。
物を知らないから、そういった目に合う。
物事を知っていたらもう少し痛い目に合わないはずだし、何とかなっている。
いや、そもそも人間関係で苦労するということもないはずでは?
そういうことに対してあまりにも不器用で無関心な俺は、どうしても失敗ばかりしてしまう。
どうにもこうにも自分で自分を追いつめてる。

しかしだ、では今まで生きてきた中で周りの人すべてが俺より幸せなのか?
というか、俺という人間は他の人と比べてすべてが劣っているとかダメなんだろうか?
そう考えると、一概にそうとも言い切れない。
それはそうだ、俺よりも不幸な人だっているだろう?
そういう人を見て様々な困難を持っていても「生きる」ということに対して正面から向き合っているというのに、俺は?
ちょっと嫌なこと苦しいこと大変なことがあったら逃げるだけ。

それほど嫌な事なら解決するという方向に考えてみたらどうだろう?
さっき幼少のころと変わっていないと書いたが、それは改善するための行動を起こさなかったら?ということでは?
もし、なんらかの行動を起こしたら何かが変わるのか?
いや、行動を起こしてそれでも改善されなかったらそれはそれで諦めればいいだけのことだ。

世界は俺を中心に回ってるわけではないので、それに対してうまく読むことができないと嫌な思いをするということなのだろう。
どうせ一時的に感情を押し殺すだけなのだ。
そのくらいのことは生きているのだから当然あるはずだし。

少し考え方を変えないと、ずっとこのままか・・・・・


いまの自分の気持ちというのは、黒沢に大変近い。
なんていうか「なにをどう抗っても大きな力には逆らえない」というか。
俺は、あの蟻のように一矢報いることはできるのか?
それともただなんとなくダラダラと日々を嫌な事から逃げながら生きていくのか?
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