千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

訃報(山笠人形師)

今日ニュースで飛び込んできた訃報
女流博多人形師「井上あき子」さんのお孫さんで
井上栄和さんのご子息
「井上和彦」君が逝去されました。

まだ38歳の
若さでした。つつしんでご冥福をお祈りいたします。


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井上君は私も面識があり、若い頃修行時代よくうちへ
人形を届けにきたり、私も西区の工房兼自宅へ伺ったり
ようお会いしとりました。


小島一義さんのあとを受け西流の人形師ば務め
その将来を嘱望されとった若手人形師です。

初めて精魂かけて山笠人形を手がけた年、
山について周り、こわれんか?と心配しよった顔ば
思い出します。
又、西流の独自の山崩しで精魂こめて作った人形が
無残にも壊されていくとば涙流して見上げよったとも
思い出されます。
西流が一番山の時に行われた上海遠征の時の
山笠人形も井上君の手によるものです。

初めての作品はどの人形師でも思い入れが多いごたります。
もうベテラン山笠人形師として誰もが疑わん
「亀田均」通称亀さんも始めて東流の飾り山ば
完成させたとき、山小屋の袖で涙しよりました。

題材が決まったら、デッサンにかかり、人形の
骨組み作りから、頭(かしら)作り、
ちょうど6月が人形作りの最盛期です。
人形に京都で仕入れた西陣織の衣装ば
膠(にかわ)で貼り付けていきます。
6月は梅雨で膠と絵の具の乾きも遅いとです。

その時期人形師の工房げ行ったら部屋中人形と
岩ボコ、波、社やらの飾りで一杯です。
岩ボコが飾りにあるとが「博多系」の特徴らしいです
その系譜は浜玉祇園にもみられます
ばってん浜玉は京都の流ば受け継ぐ曳き山です
博多の祇園は独自に進化していったものであると考えられます
他にこげな担いで走り回るまつりはござっせん
市立博物館学芸員福間氏の資料から・・
それはそうたい
あの大きい飾り山の飾りが部屋ん中にあるとですけん。
複数の飾り山ば請け負う人形師はそら大変です。
7月朔日が飾り山の公開ですけんそれば先に仕上げ
舁き山の飾りはそのあとになります。

舁き山は周りの飾りが無いばってん人形だけで
作品ば表さないけません。
勇壮に、又煌びやかに、山が揺れるとにあわせて
大きくなびくごと
作らないけません。

手ば前に伸ばした人形は迫力のあるばってん
強度的に山の振動で折れやすくなります。
水もかかりだんだん弱くなります。

昔の山笠人形は防水技術がないけん
ビニルかぶせてあったこともありました。

映っ撮るとは多分若き日の梶栗さん?↑
その左はうちの親父です
昭和通り博多五町付近でしょう?妙の法被が見えます。

井上君の話からだいぶそれてきましたばってん
後に続く「山笠人形師」にその伝承ば引き継いで
くれたらと思います。

合唱・・

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コメント一覧

千鳥足
コメントありがとうございます
カウテレビジョンで元気な頃のお姿拝見しました。
家族の方の悲しみはいかばかりかとご察しいたします。
コメントありがとうございました。
yasumatsu
本当に有難うございます
http://www.inoue-hakatadoll.com
「千鳥足」様の心からのお気遣い本当に有り難く思っております。
 和彦先生が亡くなった当初、驚きと悲しみと悔しさがいっぱいでしたが、皆様からの励ましのお言葉、お手紙等により支えられ救われております。本当に何と言ったらいいのかわかりませんが、ただただ「有難うございます」の一言に尽きます。
 徐々にではありますが、人形の制作も再開しております。
 先生・スタッフ一同、和彦先生の遺志を継いで、一生懸命頑張っていきますので、どうかよろしくお願い申し上げます。
 「千鳥足」様のご多幸とご健勝をお祈りいたします。
 有難うございます。
                         井上博多人形
哲之
訃報に驚いています

テレビのニュースでご葬儀が放映されて、只ただ驚いています
博多人形師としてのこれからの活躍が、期待された方で残念です。
ご家族の皆様の悲しみを思うと言葉がありません。
心からのご冥福をお祈りしたいとおもいます
              
                  合掌
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