先日テレビの「日曜ビックバラエティ」ていう番組見ました。
豪華客船の裏側ばドキュメントした番組やったばってんがそのなかで「世界の船乗りから愛される”名古屋港のママ”て」言うコーナーのありました。海外の船が日本に寄港する船から食料の注文ば受ける「船食」て言う職業です。英語でな「shipChandler」て言いもともと船に必要な蠟燭やらば納めよったお仕事からです。
この「船食」は海外航路の船の食糧ば納めるお仕事ですばってんが、番組内でもあったばってんが公の船の食糧とは別に乗組員からの注文がやおいかんとです。食料に限らず身の回りの私的なものまで船食業は請け負ってます。現代では事前に船から注文のメールが入るけん、そのメールでのやり取り等でおいしゃんとMさんのお付き合いが始まったとです。
おととしまでおいしゃんのPCレスキューの生徒さんで15年ほどの付き合いのあった「Mさん」もこの船食業やったけんおいしゃんもだいぶ付き合わされましたったい(^^♪名古屋のママならぬ「博多のパパ」でした。時には三池港にまで配達に行きよんしゃったです。
PCレスキューて言うたっちゃぁ身の回りの世話からなにからのお付き合いでこのBLOGでもいろいろ面白レスキューは書いてきましたばってんが、残念ながら一昨年亡くなってしまわれました。大浜の恵比須流への編入にも苦労されたり博多の消防団の頭も務めお祝いの宴席にも招待された仲やったです。
この「船食」のお話です。
ルルルーMさんからの電話「あのくさ缶詰のかば焼きどこでうりよるかいな?」
おいしゃん「さ~」
Mさん「さがしちゃらんかいな?」こげな具合です。船員さんは東南アジアの人が多く独特の英語ば使うけん通常の英語力では務まりません。テレビの名古屋のおばちゃんも言いよったけど「ラッパヌードル」これがインスタントラーメンの「チャルメラ」やらお付き合いが長からなわかりません。結局、この「鰻の缶詰」浜松にあって取り寄せたけどべらぼうな値段でした(^^♪
Mさん「欲しいて言うっちゃけん良かくさ・・」
Mさんが良く言われよった野菜「ペチャイ」これは東南アジアでは白菜ば意味しますばってんが「無かときはなんか似た青菜で良かと」てな具合です。
Mさん「流しの壊れたけん継ぐゴムパッキンば探してくれていうてきたさがしちゃらん?」
おいしゃん「あたしも仕事しよる身やけんそげん言われても」そげん言いながらいっつもネットで探してやるとが常でした。「あそこで売りよるみたいです」「わかった行ってんろう」
Mさんが使う博多弁も懐かしいです。「アタラシ」パソコン買い換えやらも「中古はいかんばいアタラシ(新品)やなからな・・」てな具合です。
「あのくさ」「来ちゃらん?」で始まる電話のやり取り、行ったら他愛もなか用件でボタン一つで解決することも度々で長年の付き合いでお金とることもでけません(>_<)いつも主語の無い言葉で始まるレスキュー「あのくさ字のはいらんたぃ・・」いつもおいしゃんの引き出し精一杯広げて対応し解決し、解決せん時も日に何回も駆けつけました。毎年の年賀状作成は一大イベントで大晦日までかかるとはあたりまえ、ある年は歳またいで年賀状レスキューしたとも思い出です。「あのくさあのファイルはどこになおしとったかいな?」「〇×んとこにあるはずです、事務員さんに確認してみてください」こげなとは日常茶飯事。おいしゃん決して社員ではありませんけど(>_<)晩年は年賀状もはがき貰っておいしゃんがすべて作ってやっとりました。前年分の名簿の訂せいも全部、それがある歳年末になってもなんも言うてコンケンまた入院したか?て思うとったとです。
晩年はだいぶ衰えたばってんが跡ば継ぐ娘さんには自分の余生ば悟っとったか?だいぶ厳しく当たられよりました。自分が動けん悔しさもあったとでしょう。おいしゃんがMさんの不幸ば知ったとはだいぶ経ってのことでした。これも長年の付き合いのあった事務員さんに道であった時偶然聞いたとでした。「なんで知らせてくれんかったと!」「バタバタして電話番号ばも見つけ切らんかったとです(>_<)」あげんしつこう電話かけてきよったとぃなんか寂しかったです。
だいぶ前亡くなった奥さんの後添えに入った方が小売りば仕切りよったばってんが、娘さんに聞いたげんたぃ実は籍は入っとらんで「亡くなってすぐどっかに行かれました」なんかやり切れんかったです。事務所と住まいも一緒やった家屋は長年賃貸やったそうで引き払い今は隣の食料品店しよった場所に娘さんが事務所構えて頑張っておられるようです。まだ保税倉庫は残っとるけん船食の業務も続けられとるて思います。ばってんおいしゃんのスマホのベルはもうなることがありません(>_<)
埋めも咲き始め、春が時期やってくる季節ふとそげなMさんのこと思い出し書いてみました。