北へ一直線西町(西)流に入ります。
テレビのアナウンサーが
「山笠は一番の難所に差し掛かりました!!」
「この急カーブを上手く回れますか!!」
やらおらびよりますが、これぐらいのカーブは
日常茶飯事、なんのこたありません。
山は危ないとこほど慎重に走るもんです。
西町筋によう西流の山小屋が建ちますが、山はその中ば
くぐって行かないきまっせん。
そろりそろりと方向定めて、ぶつかったとは見たことありません。
ちいた引っ掛けて行く山もあるでしょうが・・
曲がってすぐの所ば「竹若番」と称しておりました。
「竹若という織物師がいたので町の名とする(続風土記)」
博多織の元祖です。
昔の博多の織物は「組みひも」を作る技術しかなかったとば
この竹若さんが唐人に平織りの技術ば習ったとが
「博多織」の始まりといいます。
できた織物ば殿様に献上したけん
「献上博多帯」て
言いますでしょうが。
この竹若番から現在の明治通りまでは、狭い町幅です。
「箔屋番」「西町上」現在の店屋町あたり。
明治通りば渡り、綱場(西町下)に入ると一気に
道幅は広うなりますが、このあたりじわじわ上り坂
ここで恵比寿(石堂)流ば横切ります。
石堂は横筋やけん(縦ぎります・・かいな?)
追山コースでも一番きつかあたり。
「馴し」ではもう目の前が決勝点やばってん
意外とここから奈良屋まで距離のあります。
くたびれます。
大黒流の台上がり区間は、「竹若番」抜けて、
冷泉の派出所から来た道と交差するあたりから
奈良屋馴し決勝点までが一区間です。
このあたりに来ると、鉄砲持つ手も上がらんし
声もでらんごとなります。
本番はこれから、土居、大黒の流れ内ば通って
須崎の廻り止めまでもうひと踏ん張りあります。
馴し決勝点から廻り止めまでが大黒流最後の
台上がり区割りです。
ここ引き当てた町の「取締」はご祝儀で
大杯の酒ば一気に飲み干す習わしです。
いっぺん飲んで見たいもんですがこればっかりは
時の運。前取締が引き当てたことのありますが
それはそれは、酔っ払ってぐずぐずでした・・ハイ
昭和通りば渡ったら昔の「蔵本番」「奈良屋番」今の奈良屋町。
「蔵本番」は博多津の「蔵本」があったとこ。
「奈良屋番」昔「奈良屋久兵衛」さんという人がすんどったとが
町の名の由来です。
ここに昔は博多の豪商
「神屋宗湛(かみやそうたん)」の
屋敷がありました。
朝鮮、中国、南蛮と通商して大金持ちになった人です。
茶道が好きで、秀吉、家康もこの屋敷を訪ねたことがあるらしい。
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現在のその大半は「博多小学校(旧奈良屋小学校)」になり、
昔の正門横には豊臣秀吉祀る「豊国神社」が
明治19年博多再興300年を記念して作られました。
現在その地に「旧奈良屋番」の碑が建っとります。
旧奈良屋小学校の校歌にも「宗湛」は出てきます。
♪偲~~べ歴史の宗湛の~♪
♪時を博~多の北にみて~♪
文化は興るぅ~新しくぅ~・・・・
たしかこげな歌詞やったです。
♪港は近し風薫る
やったかいな?
「楽しい楽しい奈良屋小学校♪」
の楽しいと楽しいの間に一拍おいたらいかんとです。
た~のし~い~た~のし~いて
続けて歌わないかんとです。
追山はいよいよ古渓町、濱小路、行町、対馬小路
のジグザグコースを抜けて、廻り止めば目指します。
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