千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

そろそろ松囃子

4月も半ばば過ぎたげんたい

すぐぃ松囃子がやってきます。

しろしかねぇ(これ本音)

ホームページ本編でも書いとりますばってん
今回季節柄、「松囃子」のことば説明しましょう。(毎年書きよるばってんがくさ)

もともと松囃子は新年の年賀行事でありまして
1179年(治承3年)に病死した平重盛の恩恵に
感謝ば表すために始まったて言われ
又、元日節会(天皇主催の新年会)ば博多の人々が発展させたもの、
室町時代の松囃子の習慣が博多に伝わったとも考えられております。

日本で最初の人工港「袖の湊(現在の博多座付近)」は
平清盛の息子、重盛が作ったって知っとりますか?



その重盛さんが関係しとりますったい。

もともと元日節会は天皇さん主催の新年会

それに習い武士の時代も正月は庶民ば場内に
ご招待してご祝儀ば振舞いよりました。

これはお殿様が庶民にドンだけ慕われとったか?ば
はかるバロメーターでも有りまして
合戦中もわざわざ陣ば引いて戻ってきたほどて言います。

お城にお祝いの表敬ばした後は、博多の年行司やらの
役職の人の家ば祝うて練り歩きます。

現在は、それに加え神社仏閣、商家、会社、公共施設(役所等)
テレビ局やらば訪問します。


三福神の後に通りもんが鳴り物入りで続き
博多の街ば練り歩きます。

現在は松囃子と通りもんは別で通りもんが「ドンタク」の
主体です。


ここでお城て言うたっちゃ今の黒田さんのお城や
無かですばい。

小早川の時代までは東区名島神社のとこさいあった
「名島城」です。
「福岡城」は関が原ののち「黒田長政」が築城ですね。

博多んもんはこげな宴会やら祭りごとが好きで
ちょいちょいはめばはずし、こげなことも有りました。

1599年、小早川秀秋が加藤清正に年賀の使者ば出した時、
使者が鉢合わせした松囃子一行と口論となり、
松囃子の者が侍の一人ば馬上から引きずりおろして殺してしまいます

これで松囃子は中止されますと。
その後、福岡藩2代藩主黒田忠之により、1642年に復活します。

その後明治時代にも「金銭浪費、文明開化にそぐわん」・・中止。
明治時代は何やかんや言うて締め付けが厳しく
山笠も無うなるとこでしたね。

お殿様ば表敬しよった松囃子やけん
「大政奉還」後天皇様の時代になったもんやけん
中止命令の出たとでしょう。

お上は殿様やのうて天長節(天皇誕生日)ば祝うごと・・
ていう御触れば出しました。

それならと博多町民は天皇家のお祝い行事(紀元節など)に
かこつけて「どんたく」と名前ば変えて町にくり出します。

先の大東亜戦争でまた中止になりますばってん
「復興祭」ば機に復活し1949年からは前年に制定された
憲法記念日に合わせて5月3日と翌4日を開催日とし現在に至ります。

詳しくはホームページ本編
読んでつかあさい。

「祭りは参加せな面白うない」て言いますばってん
ドンタクほどそれが当てはまる祭りは無かでっしょう。

ゴールデンウイークに全国から大勢見物に来んしゃあばってんが
どこで何がありようかわかりません。
町全体あっちこっちで何かしよりますもんね。
「昔綺麗どころ」の白塗りのお姉さんたちば見物して
博多ラーメン喰って帰るとが関の山

やっぱ見げえ来るなら「山笠」ばお薦めします。

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