
かもしれんけど ご挨拶まで
てるおですけど、何か?
~わたしの~お墓の~前で~泣かないでください~
という歌があった。
私はそこに居ません。
確かにそうです。
ただ、
こちら側の、感謝の気持ちや、ご挨拶やら、
最近の報告やらをするのは自由でしょ?
的な。
故人への気持ちなんてものは、
日常的に行っているのが当たり前で、
わしの親父は、だいぶ前に亡くなったが、
わしの心の中から消えたことはなく、
姉貴もそうだし、おばあちゃんもそう。
ずっと生きてる。
そして、生前に言われた言葉なんかは、
わしの子供の代まで引き継いでいる。
だから、わしにとって
お墓という存在は、
あくまでも、目印みたいなもんで、
そこに参ることがいい事…って認識ではない。
あくまでもわしの考えである。
広島に住むようになって、
仙台にある親父の墓を参る事が出来なくなったが、
それって、罰当たりなのか?って考えたら、
そうではない。
わしの中にいる「英夫」さんは、
いつもわしを見てくれているし、わしも、
いつも問いかけている。
「おやじだったら、どうした?」って。
わしを怒る事が無かった親父は、
うちに子等を怒る事が絶対にないのは
容易に想像がつく。
もし生きていたら、
ただただ愛でた事だろう。
「子育てってもんは、そういうもんだよ」って。
…
今日参ったお墓には、
かみさん方のおじいちゃんと、おばあちゃん、弟君が眠っている。
でも、
わしの日常には、いつも居る。
お盆だから…とか、命日だから…とか、
わしは、あまり関係ない。
でも、 子供たちの教育の為に、
「この時期は…」と参るのである。
…「リメンバーミー」と言う映画があるが、
まさに、あの感覚である。

忘れ去られた時点で、本当に「存在」が消えてしまう。
それを考慮すると、
お盆ってのは、
故人の存在を忘れないための
イベントなのだろう。
わしら家族を、見守ってください。
わしらは、皆さんの事を忘れる事は
ありませんから。
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てるおですけど、何か?
~わたしの~お墓の~前で~泣かないでください~
という歌があった。
私はそこに居ません。
確かにそうです。
ただ、
こちら側の、感謝の気持ちや、ご挨拶やら、
最近の報告やらをするのは自由でしょ?
的な。
故人への気持ちなんてものは、
日常的に行っているのが当たり前で、
わしの親父は、だいぶ前に亡くなったが、
わしの心の中から消えたことはなく、
姉貴もそうだし、おばあちゃんもそう。
ずっと生きてる。
そして、生前に言われた言葉なんかは、
わしの子供の代まで引き継いでいる。
だから、わしにとって
お墓という存在は、
あくまでも、目印みたいなもんで、
そこに参ることがいい事…って認識ではない。
あくまでもわしの考えである。
広島に住むようになって、
仙台にある親父の墓を参る事が出来なくなったが、
それって、罰当たりなのか?って考えたら、
そうではない。
わしの中にいる「英夫」さんは、
いつもわしを見てくれているし、わしも、
いつも問いかけている。
「おやじだったら、どうした?」って。
わしを怒る事が無かった親父は、
うちに子等を怒る事が絶対にないのは
容易に想像がつく。
もし生きていたら、
ただただ愛でた事だろう。
「子育てってもんは、そういうもんだよ」って。
…
今日参ったお墓には、
かみさん方のおじいちゃんと、おばあちゃん、弟君が眠っている。
でも、
わしの日常には、いつも居る。
お盆だから…とか、命日だから…とか、
わしは、あまり関係ない。
でも、 子供たちの教育の為に、
「この時期は…」と参るのである。
…「リメンバーミー」と言う映画があるが、
まさに、あの感覚である。

忘れ去られた時点で、本当に「存在」が消えてしまう。
それを考慮すると、
お盆ってのは、
故人の存在を忘れないための
イベントなのだろう。
わしら家族を、見守ってください。
わしらは、皆さんの事を忘れる事は
ありませんから。