てるおですけど、何か?

過ぎし日々が物語る『未来』と
幼い頃描いてた『未来』を
重ねてみてるんだ

答えがあるんだ…きっと。

墓参り そこに魂ありません

2024年08月12日 | つぶやき
かもしれんけど ご挨拶まで

てるおですけど、何か?

~わたしの~お墓の~前で~泣かないでください~

という歌があった。

私はそこに居ません。

確かにそうです。

ただ、
こちら側の、感謝の気持ちや、ご挨拶やら、
最近の報告やらをするのは自由でしょ?

的な。

故人への気持ちなんてものは、
日常的に行っているのが当たり前で、

わしの親父は、だいぶ前に亡くなったが、
わしの心の中から消えたことはなく、
姉貴もそうだし、おばあちゃんもそう。

ずっと生きてる。

そして、生前に言われた言葉なんかは、
わしの子供の代まで引き継いでいる。

だから、わしにとって
お墓という存在は、
あくまでも、目印みたいなもんで、

そこに参ることがいい事…って認識ではない。

あくまでもわしの考えである。

広島に住むようになって、
仙台にある親父の墓を参る事が出来なくなったが、
それって、罰当たりなのか?って考えたら、
そうではない。

わしの中にいる「英夫」さんは、
いつもわしを見てくれているし、わしも、
いつも問いかけている。

「おやじだったら、どうした?」って。

わしを怒る事が無かった親父は、
うちに子等を怒る事が絶対にないのは
容易に想像がつく。

もし生きていたら、

ただただ愛でた事だろう。

「子育てってもんは、そういうもんだよ」って。



今日参ったお墓には、
かみさん方のおじいちゃんと、おばあちゃん、弟君が眠っている。

でも、
わしの日常には、いつも居る。

お盆だから…とか、命日だから…とか、

わしは、あまり関係ない。


でも、 子供たちの教育の為に、
「この時期は…」と参るのである。


…「リメンバーミー」と言う映画があるが、
まさに、あの感覚である。


忘れ去られた時点で、本当に「存在」が消えてしまう。


それを考慮すると、
お盆ってのは、
故人の存在を忘れないための
イベントなのだろう。

わしら家族を、見守ってください。
わしらは、皆さんの事を忘れる事は
ありませんから。


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