洞爺湖サミット開催に合わせて結成された日本のNGOネットワークの解散総会があった。
総会に先立って開催されたシンポジウムのメインテーマは「生物多様性」である。
地球温暖化を懸念した二酸化炭素排出量削減に向けて、各国が頭を悩ませている今、「では、二酸化炭素排出量を減らせば、それでいいのか」と一歩つっこんだ課題を登壇するスピーカーたちが問いかける。
生物多様性の保全の視点から語られる課題は、どれも身近な生活に発しているものばかりで、考えるほど気が遠くなりそうなほど広く多様だが、彼等の話に耳を塞ぐことはできない。
乱獲、遺伝子組み替え、外来生物、自然破壊、汚染…
国連で92年に採択された生物多様性条約を日本が締結したのが翌93年。
昨年には第三次の生物多様性国家戦略が策定された。
担当部局も専門家も環境NGOも、当前のように話題にするそれらの条約や国家戦略が、一般市民にはあまりに遠い存在となっている。
一般市民に意識されることのない、一般市民主体の課題は、世の中にたくさんある。
そのひとつひとつに深く関わることなどできるはずもない市民は、税という形で資金を拠出し、行政に課題解決を委ねるということになるのだが。
それにしても、深刻すぎる今の実情をどう捉えればいいのだろう。
経済危機も、貧富の差も、紛争も、環境破壊も、あれもこれも。
消費するだけの自分の存在。
無力感に襲われて思考停止に陥るばかりでは情けないのだが、
専門家の集う会合で発信される情報は深刻すぎるものばかりである。
総会に先立って開催されたシンポジウムのメインテーマは「生物多様性」である。
地球温暖化を懸念した二酸化炭素排出量削減に向けて、各国が頭を悩ませている今、「では、二酸化炭素排出量を減らせば、それでいいのか」と一歩つっこんだ課題を登壇するスピーカーたちが問いかける。
生物多様性の保全の視点から語られる課題は、どれも身近な生活に発しているものばかりで、考えるほど気が遠くなりそうなほど広く多様だが、彼等の話に耳を塞ぐことはできない。
乱獲、遺伝子組み替え、外来生物、自然破壊、汚染…
国連で92年に採択された生物多様性条約を日本が締結したのが翌93年。
昨年には第三次の生物多様性国家戦略が策定された。
担当部局も専門家も環境NGOも、当前のように話題にするそれらの条約や国家戦略が、一般市民にはあまりに遠い存在となっている。
一般市民に意識されることのない、一般市民主体の課題は、世の中にたくさんある。
そのひとつひとつに深く関わることなどできるはずもない市民は、税という形で資金を拠出し、行政に課題解決を委ねるということになるのだが。
それにしても、深刻すぎる今の実情をどう捉えればいいのだろう。
経済危機も、貧富の差も、紛争も、環境破壊も、あれもこれも。
消費するだけの自分の存在。
無力感に襲われて思考停止に陥るばかりでは情けないのだが、
専門家の集う会合で発信される情報は深刻すぎるものばかりである。
おっしゃる通り、流行ではなく「日常」にするためのライフスタイルの変革や、新たで大胆な政策の枠組みが必要と思うのですが、先が見えません。今日、薦められて『偽善エコロジー』という本を買いました。感想をいずれ書いてみたいと思います。
何かしなければいけないのではないかと悩むことしかできないのが歯がゆく、悔しいのですが、それでも何もしないよりはマシといっていいのでしょうか。
今日は、駅前の掃除をボランティアの皆さんと一緒に30分だけですが、やりました。
それぞれの着眼点で、それぞれの専門家がいろいろな提言や提案をしてくれます。
それは一面正しいのでしょうし、一面バランスの問題を含むのだと思います。
どの点に絞りこんで、猪突猛進するか、それが問題で、それが政治家の仕事でしょうか。
よほど思い込みが激しく、論理的批判などに微動だにしない鈍感さがなければ、とてもとても勤まりそうもありません。
何を書いているのでしょう・・支離滅裂ですね。スミマセン。
様々な情報が錯綜し、政治家の言葉が虚しく響く今は、人に期待するのではなく、自分自身の立ち位置をまずはっきりさせるということでしょうか。
元気の出るメッセージをありがとうございます(^^)