見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

記録を録ることの意味と覚悟

2006-10-17 22:17:43 | 政治・社会
以前、審議会は一部非公開にしてもいい、という某知事の見解への違和感を書きました。 >こちら

*知事は「公職にあるものは、説明責任を果たさなくてはならない」と強調する一方で、「タブーや本音の議論ができない」と述べ、実利面を重視して一部は非公開とするほうが望ましいとの認識を示した。*

来週、女性ネットワークで、議員二人による対談とティーチ・インを企画しています。対立会派、相対する主張をもつ女性議員であるため、これからの地方自治のあり方を議論・模索する場として最高の設定(議論の熱し方によっては最悪の状況)となることが期待され、軽い緊張と高揚を感じています。

昨夜、友人とビールを飲みながら、当日運営を確認している中で浮上したのは、一連の様子を録音し記録に残すかどうかでした。

この対談企画は、半年後に迫った統一地方選や政治的影響も考え、不特定多数に公開せずに、ネットワークメンバーとその顔見知りを対象とすることにしています。
とはいうものの、この組み合わせによる対談は異色であり、二度と見ることのできない企画として、記録に残したいという思いもあります。
今回欠席するメンバーにも対談内容を詳しく伝えるべき、という使命感もちらほら。

問題は、録音した記録の処理方針と、記録が一人歩きした場合の対応です。
記録が不特定多数に晒されるとなると、対談ゲストやフロアーの発言にブレーキがかかることが懸念されます。この理由は、審議会を一部非公開にと主張した某知事のものと同じです。

地方行政の審議会委員であれば、委員として選ばれたことの責任と誇りをもって公開に耐えうる発言を期待しますが、今回の場合は女性議員としての本音の議論を期待し、ティーチインでもフロアーから忌憚内発言を求めたいと考えると、録音を録ることに躊躇するのでした。

この企画の目的と、何を重視するかで、結論は出るのでしょうが。


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