6年前に教育支援を開始した村へ行った。
カトマンズからジープで1時間、山道を徒歩で1時間ほど登ったところにある人口6000人ほどの村だ。
最初に入ったときは、まだ奥まで車道が整備されておらず、山道を3時間以上歩いた覚えがある。もっとも、今でもランドクルーザーでなければ渡れない川や登らない悪路を超えて行く。「雨季になったら車は入れません」と案内役の現地カウンターパートたちが言う。
復路で激しい夕立に出会ったことが一度だけある。大変だった。小道はすべて川と化し、濁流が音をたてて流れ下る。シューズもズボンも泥水に濡れ膝まで水に浸かって歩いた。途中、来た道が崖下に崩れ落ちてぽっかりとなくなっていた。唖然とした私を尻目に、「それならこっちの道へ」と村の人は山の中に入って行く。彼の行く手に見えるのは道ではなくてブッシュと山林だけだったのだが、彼は迷うことなく街を目指した。
10年前から続けている首都カトマンズにおける奨学金活動とは別の視点で、地域を知り人々と交流する教育支援ができないかと模索するなかで、カウンターパートが紹介したその村は、当時、初等レベル(1~5年生)の学校だけの村だった。6年以上に進みたい子どもは、徒歩2時間以上(私の足では倍かかる)離れた地域にある学校へ通う。それ故に、村では初等レベルで修了する子どもたちが少なくなかった。
カトマンズからジープで1時間、山道を徒歩で1時間ほど登ったところにある人口6000人ほどの村だ。
最初に入ったときは、まだ奥まで車道が整備されておらず、山道を3時間以上歩いた覚えがある。もっとも、今でもランドクルーザーでなければ渡れない川や登らない悪路を超えて行く。「雨季になったら車は入れません」と案内役の現地カウンターパートたちが言う。
復路で激しい夕立に出会ったことが一度だけある。大変だった。小道はすべて川と化し、濁流が音をたてて流れ下る。シューズもズボンも泥水に濡れ膝まで水に浸かって歩いた。途中、来た道が崖下に崩れ落ちてぽっかりとなくなっていた。唖然とした私を尻目に、「それならこっちの道へ」と村の人は山の中に入って行く。彼の行く手に見えるのは道ではなくてブッシュと山林だけだったのだが、彼は迷うことなく街を目指した。
10年前から続けている首都カトマンズにおける奨学金活動とは別の視点で、地域を知り人々と交流する教育支援ができないかと模索するなかで、カウンターパートが紹介したその村は、当時、初等レベル(1~5年生)の学校だけの村だった。6年以上に進みたい子どもは、徒歩2時間以上(私の足では倍かかる)離れた地域にある学校へ通う。それ故に、村では初等レベルで修了する子どもたちが少なくなかった。