小学校時代の同級会が開催されるというので、30年以上も昔住んでいた街に向かった。
急行バスに1時間ほど乗ると懐かしい街に着く。開始時刻まで2時間ほど時間があったので、駅前の商店街をゆっくり歩いてみた。中学生時代によく入った文房具店もパン屋も本屋も消え、ぽつぽつ店のシャッターが下りている。この街も空洞化に悩む地方都市のひとつだった。
ふと、人通りのまばらな通りの一角に暖かい灯りの点された休み処が目に入った。入り口に食事のメニューが掲示されている。
木戸を開けて奥に入ると帳場があった。番頭風の女性にコーヒーを飲むだけでもいいかと聞くと、笑顔で靴を脱いで上がるように指示された。
江戸時代の大庄屋を当時のまま再生したという町屋には、いくつかの座敷が続き、狭い廊下を奥の方に案内される。綺麗に手入れされた中庭を臨む廊下は老舗料亭の雰囲気だ。
コーヒーだけと言ったが、場違いだったのではないかとふと不安になる。
通されたのは、6畳程度の畳敷きの部屋。白熱灯のスタンドや照明が旧家の雰囲気を演出し、絨毯の上に1脚だけティーテーブルが設置されていた。
一部屋を独占してコーヒーを飲む、なんと贅沢な空間だろう。
昨日と違って氷点下の気温になった寒い午後。町屋のガラス戸は隙間風こそ入らないが、今どきの高気密の建造物とは違い、冬の気候を体感できる古い日本家屋のままだ。部屋には石油ストーブが置かれ、椅子にあんかとひざ掛けが用意されていた。あんかに足を乗せるとほんのり暖かい。
夕食前の時間。他に客の気配もない静かな空気の中、大正時代にタイムスリップした気分で、運ばれてきた香り高いコーヒーを飲みながら持ってきた本を開いた。
寂れた商店街の素敵な空間。どうか長く居続けてくれますように。
↓こちらのブログもお楽しみください。
急行バスに1時間ほど乗ると懐かしい街に着く。開始時刻まで2時間ほど時間があったので、駅前の商店街をゆっくり歩いてみた。中学生時代によく入った文房具店もパン屋も本屋も消え、ぽつぽつ店のシャッターが下りている。この街も空洞化に悩む地方都市のひとつだった。
ふと、人通りのまばらな通りの一角に暖かい灯りの点された休み処が目に入った。入り口に食事のメニューが掲示されている。
木戸を開けて奥に入ると帳場があった。番頭風の女性にコーヒーを飲むだけでもいいかと聞くと、笑顔で靴を脱いで上がるように指示された。
江戸時代の大庄屋を当時のまま再生したという町屋には、いくつかの座敷が続き、狭い廊下を奥の方に案内される。綺麗に手入れされた中庭を臨む廊下は老舗料亭の雰囲気だ。
コーヒーだけと言ったが、場違いだったのではないかとふと不安になる。
通されたのは、6畳程度の畳敷きの部屋。白熱灯のスタンドや照明が旧家の雰囲気を演出し、絨毯の上に1脚だけティーテーブルが設置されていた。
一部屋を独占してコーヒーを飲む、なんと贅沢な空間だろう。
昨日と違って氷点下の気温になった寒い午後。町屋のガラス戸は隙間風こそ入らないが、今どきの高気密の建造物とは違い、冬の気候を体感できる古い日本家屋のままだ。部屋には石油ストーブが置かれ、椅子にあんかとひざ掛けが用意されていた。あんかに足を乗せるとほんのり暖かい。
夕食前の時間。他に客の気配もない静かな空気の中、大正時代にタイムスリップした気分で、運ばれてきた香り高いコーヒーを飲みながら持ってきた本を開いた。
寂れた商店街の素敵な空間。どうか長く居続けてくれますように。
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知っておいて頂きたいものもあると思いまして。
すいませんm(_ _)m
いただいたHPは興味深く拝見。何より、政府がこうしたシンクタンクをもっているのだという事実を改めて認識しました。
でも「喫茶室」から、インフレや労働課題へ発想が繋がっていく広さには?
を見ていつも思うのですが、誰がいったい働くの?、と思うのです。
日本は労働を輸出するしか、資源を得る事が出来ません。
その労働が、高齢者の介護に消費されれば、いったい誰が資源を調達してくれば良いのでしょうか?
最後はレミングの様になるべしかもしれません。
後顧の憂いが絶たれようとしています。
次の戦争は、インフレを伴ったものになると思っています。勝手に。
相場はインフレに強い銘柄が、上昇しています。
理由は分かりませんが。
昔から、友達に話が飛ぶといわれます。
自分では繋がっているつもりなんですが。
変な子はいつまでも、変な子かもしれません、
一代で築き上げ今もしっかりと経営している
居酒屋風割烹です。
私にとっては全くの別世界・・・
またオ-ナ-と飲み交わす雑談に人生の羅針盤をいただくことが多いのです。
人それぞれですが、家庭だけが?ではなく「隠れ家的なほっと」も大切ですね。
非日常の空間。
人は非日常の空間に価値を持ち、旅をするものであると思います。
近日、不安になるのです。
リゾートとは、現在生活している基準と比べることによって、リゾートが存在するのではないかと。
現在の、一般住宅も江戸時代の百姓から見れば、リゾートと言えるのではないでしょうか。
モルディブの原住民は、自分たちの島がリゾートと認識していなかったのではないでしょうか。
つまり、比較するものがあるからリゾートであったり、旅行先に魅力を感じるのだと思います。
とすれば、自分が今やっていることは、単なる基準の上方訂正でしかない様な気がします。
幸い、今回の件については、私はノーリスクなので完成した後に考えてみたいと思います。
非日常空間はいいですね(^^)